理事長のことば

31 10月 2024

Arrogance kills-11月のことば-

9月になったとはいえ、まだまだ30度を超えるような気温が続いた日本の秋、そんな中、時間を限定し、水分補給をこまめに行い、担任や体育指導の先生方が考え、構成した運動会の演目を汗を流しながらの必死の練習です。先生も負けじと一緒になって取り組みました。本番さながらの予行演習も行いました。懸命な努力、必死な姿の先生と子どもたち、努力は裏切ることはなかった。 運動会本番での子どもたちのやり切った顔、満足そうな姿、ひたむきに演じる子どもたち、私たち大人は何物にも代えがたい大きな喜びを感じ、成長した子どもたちの姿を再認識したのではないでしょうか。やらされたり、強制されたものでない、内からほとばしるような、満足そうな顔の表情や笑顔、誰もその感動を否定できません。作り物でない、内から出た演技、競技は本当の本物です。 保護者の皆さんの大きな声援に励まされて、子どもたちも大きな達成感を得たものと信じています。一つ一つの大きな山を乗り越えて、確実に大きく成長する軌道を進んでいます。成績だけの認知能力だけでなく、誠実に立派に楽しく人生の道を歩む一つの指標の非認知能力も確実に身につけてきました。幼稚園生活を立派に送ることはすなわち良い人生を得ることができる事にもつながっています。 これからが楽しみな子どもたち、同時に今後の日本を支える重要な構成員でもあります。 青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気に満ちて、日々新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものだ。又ある人は70歳であろうと16歳であろうと、驚異に惹かれる心、幼子のような未知への探求心や人生への興味の歓喜がある限りその人は青春だ。 We are only young once. 若い時は一度しかない。というようにyoung は一般的に若い人を指すことが多いのだが、先日89歳、85歳、84歳の人と一緒になった時、言語的にはold であり、elder であるのだが、私は youngest だと言われた。そんな使い方もあるのかと感心したのだが、人が集まると、昔は一番若かったのだが、だんだん真ん中になり、今ではほとんどの場合年長になっている。 高校の担任をしている時に、最初はほとんどの保護者が年配であったが、いつのまにか保護者と同じ年齢になり、そして保護者が後輩になっていった。その時はyoungestと言われたが、誰も年齢を感じさせない溌溂さにも驚かされた。人が意欲を持っている限り、希望を持っている限り、その人は青春だと思う。さて、私はめったに電車に乗らないし、道路を長く歩くことはない。しかしこの間やむなく歩道のない狭い市道を歩くことを余儀なくされた。いつもは何とも思わない道が歩行者の立場になると、歩くのが怖いくらい恐怖に感じた。車が凶器に思えた。歩くスピードと横を走る車の速さの違い、一瞬のハンドルさばきのミスが歩行者に打撃を与えてしまう。歩道のないことは勿論問題だが、時には逆の立場になってみるのも必要だと強く思った。丁度ハンディキャップを背負った人の苦しみを理解するために、装具を付けて行動するように。普段何気なく見ていることが、それが普通でなく、危険な状態であることを改めて思い知らされた。 さて、人には様々な人生訓があり、それは国や町やビジネス界の規範になっている。この間、日経新聞の「私の履歴書」で見かけた記事が気になった。それは洋の東西を問わず、成功する、あるいは成功した人の不可欠な処世訓だろう。アメリカの投資ファンドKKRの会長の座右の銘は「arrogance kills」であった。これは日本にある諺「実るほど頭が下がる稲穂かな」と全く同じ意味、すなわち傲慢になる事を戒めたものだった。ある人は幸せな人生を送るためにはどうすべきかと問われ、「正直に生きるという一点に尽きます。人をだましたり、うそをついたり、人生において、自分の利益しか考えられないような人は表情を見ればわかる。その人が歩いた生き方は顔に出るんです」と答えた。正直に生きる、それがお天道様に恥じない生き方なのです。そしていただいたご縁を大切に、誠心誠意尽くしていけば、信頼の輪は着実に広がっていく。又人の死はいつ訪れるかわからないので、だから今日一日でやり残したことがないよう日々悔いなく生きることの大切さを述べている。「実るほど頭が下がる稲穂かな」は学問でも、技能、財産、地位でも、持てば持つほど謙虚になる事だが、言うのはたやすいが、ある程度物を持ち、教育を受けた人が実行するのは少し厳しいかもしれない。しかしそれに向けて、一層謙虚に素直になり、感謝の気持ちを持つことが必要なのです。とその人は述べている。 出雲から神々が各地に帰ってきました。11月、霜月、文化かおる月、そして又働く人への感謝の月、今月も皆様方にとっては素晴らしい月になります様にご健康、ご多幸を祈念しています。秋の夜長のつれづれに少し長々と書いてしまいました。

24 9月 2024

激動の20代―10月のことばー

もう戦前を超えたとか凌駕したという言葉を何回聞いただろうか。朝鮮戦争の特需でそれまで打ちひしがれていた日本の経済は飛躍的に発展への道を歩み始めた。 池田首相の「貧乏人は麦を食え」は当時としては当たり前のことを言っただけだが、白米にあこがれる消費者に忖度するマスコミが貧しい人々を侮蔑する言葉として取り上げた。実際、戦前まで、例えコメ作りの農家であっても、かなりの農家が米を食べていなかった。供出米として政府に差し出し、年貢米として地主に米を引き渡すことで、手元に残るコメは少なかった。 年に数回のお祭りや祝い事の時に白米を食べただけであった。麦ごはんが主流を占めた。私自身も農家の出であるが、祖父が麦を作り、それを米に入れて食べることがあった。池田首相は所得の高い人は米を、低い人は麦を食べると言う当たり前のことを言っただけであった。池田首相の所得倍増計画や日本人の勤勉さと相まって、国力が大幅に伸びた。輸出にもドライブがかかり、商社マンや会社員が世界狭しと日本製品を売りまわった。又戦前の「安かろう、悪かろう」の欧米人の日本商品に対するイメージを払拭するために、デミング賞等を筆頭に品質管理にも力を入れ、大きな成功をおさめ、世界中から求められるようになった。 それと軌を一にして、驕れる日本人が話題になったのもこの頃である。今はコンピューターからAIへの大きな科学の進歩が言われているが、私の20代も留まることのない大きな変化の波に翻弄された。1963年(19才)、初めての衛星放送がアメリカから中継された。 しかしそれがあまりにも悲劇的なケネディ大統領の暗殺のニュースであった。日本国民誰もが暗澹たる気持ちになった。同じ年、名神高速道路が尼崎―栗東間で一部開通した。ドライブした友人が「やはり外車が違うわ」と言った言葉が印象的であった。その時日本人で車を持つ人は本当に少なかった。豊中で乗って栗東で降り、琵琶湖大橋を渡って帰ってくるのがお決まりのデートコースになった。次の年になると、新幹線が開通した。 それまで東京までは8時間、それが3時間30分になった。誰も用事もないのに新幹線に乗りたがった。京都や名古屋までが定番になった。そしてこの年東京オリンピックが開催され、私と同じ年齢の広島の被ばく青年が最終ランナーとなって、長い階段を駆け上って聖火台に火をつけた。同じ頃、紆余曲折があった名阪国道も無料の一般国道25号として、時の河野一郎運輸大臣のもと、1000日道路として開通した。今や名古屋と大阪を結ぶ重要なインフラとしてその役割を果たしている。そして1969(25才)年アメリカNASAのアポロ11号で人類が初めて月に降り立った。これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な跳躍だ。That’s one small step for a man, one giant leap for mankind. 3人の宇宙飛行士が持ち帰った月の石は大阪万博に展示された。 この時私は日本にいなかった。日本から遠く離れた南米アルゼンチンのブエノスアイレスでスペイン語で書かれたこの言葉を新聞で読んでいた。同じ頃、空前のブームになったライアン・オニールとアン・マックグロー主演の映画「Love Story, ある愛の詩」とその主題歌に大きな感動と感銘を受けていた。愛とは決して後悔しないこと。Love…

26 8月 2024

水ゆたか、流れる大河、イムジン江(河)ー9月のことばー

久しぶりに幼稚園に帰ってきた子どもたちは、毎年そう思うのですが、一段と大きく成長している。しばらく見ていないための錯覚だろうか。いや、実際にこの夏休み中の成長の度合いは大きい。話の内容にも、その話し方にも、それなりの大きな発達を見ることができる。身長も伸び、体重も増えて、大げさに言えば、これからの人生の荒波に向かって進んでいくための基礎的な体力が徐々に形成されつつある。これから頼もしい人間に成長していく楽しみの過程と言っても過言ではない。そんな子供たちにとって、これから始まる二学期は幼稚園生活の充実、発展、完成への過渡期、登山で言えば、中腹から山頂を目指しての一番大事だが、ある意味、ゴールを目前にした頑張りどころです。この学期は運動会、作品展、目を外に向けると、様々な収穫体験や遠足や自然との触れ合い、よく言われる非認知能力の涵養、収得にも大きな成果が得られる活動がいっぱいの時です。今月はまだまだ残暑が厳しいですが、体調、健康に十分注意して、10月の運動会の練習に全力で取り組んでまいります。又中旬には子どもたちを誰よりも慈しみ、その成長を目を細めて見守ってくれているおじいさん、おばあさんの敬老の日参観があります。子どもたちを通して、50年ほど前の自分の姿を過ぎ去った子供時代を思い出しながら、嬉しい年月の経過を実感していただけるのではないかと密かに思っています。幼稚園は私たち先生、子どもたち、保護者の皆様そしてご家族の人々が一緒に集うファミリーです。人が生まれてきた以上は、何か社会的貢献、例えそれが路傍の草引きでも、ごみ集めでもいい、だとすれば、保護者の皆様を含めた私たちの活動は幼子たちの発達・成長の大きな手助けをしている、未来の有能な人材への社会的貢献をしていると言えるのでしょう。それが我が子だけでなく、他人の子どもであっても、手を差し伸べていくことに繋がっていく。 そういう意味ではアメリカは一代で築いた財産を大学などに大きな寄付をして、自分の名前を冠した建物を作るとか、あるいは純粋に大学に寄付したりする。アメリカの有名な大学はほぼ私学だが、その結果それらの大学は想像に絶するほど資金力があり、その運用については株式やその他の投資にまで影響があるそうだ。最近ではコロンビア大学やハーバード大学の学長が辞職を余儀なくされたのも、ユダヤ系の大口寄付者によるところも大きいと報道された。又それらの資金を活用して、世界中から若手研究者を集め、研究成果を競っている。それらの資金を頼って海外に招かれて研究している日本の研究者も多い。ある意味、寄付と税金は密接に関係していて、寄付すれば、税金の控除を受けられる場合が多い。日本でも最近の文科省はこの寄付制度の促進を促している。少子化によって、学校の運営が厳しくなった中で、この寄付金控除の拡大は大きな前進と言える。8月初め、韓国に行った。関空から1時間30分、韓国は身近な隣国だ。25歳の時に関釜フェリーで、下関から釜山に着き、その後400kmあまりドライブしてソウルに着いた。1971年であった。街はきれいでなかった。貧しかった。明洞通りもごみごみしていた。そして20年後再び韓国に行った。前よりは印象が良かったが、それでもあまり行きたいとは思わなかった。そして今年、ソウルは変わっていた。私の持っていた昔のソウルのイメージは全く払拭された。漢江の奇跡だとよく言われるが、都市は大阪と同じかそれ以上だと思った。通りはわずかなレクサスとドイツ車以外はほとんどヒュンダイかkiaの車であった。所得は日本と同じかそれ以上とのこと、ソウル大学に続くナンバー2の延世大学のキャンパスの広さに驚いた。1970年代は韓国の中高齢者はほとんど日本語が通じた。今のソウルの街でも韓国語がわからなくても、ある程度日本語は通用することが驚きであった。街は活気にあふれ、昔の不潔なイメージが全くなかった。私が見たのはソウルの光が当たる一部分だけなので、国全体のイメージではない。個人的にはキムチが好きだが、韓国で食べたキムチや冷麺、焼肉などは本当に魅力的であった。二日目、ガイドさんと一緒に5人で38度線に向かった。北朝鮮に続く道路は片道3車線以上の堂々とした高速道路であった。北朝鮮から流れてくるイムジン江(河)が豊富な水量を湛えながら韓国に向かって流れていた。私の世代ではザ・フォーク・クルセダーズのイムジン河が有名であった。しばらくするとゲートがあり、それ以上進めなかった。その時、戦車を積んだトラックが通り過ぎた。静かな場所だが、何か空気の張りつめた緊張感があった。その場所からイムジン河をロープウェーで超え、米軍が駐留していた場所まで行った。ロープウェーの出発地には大きな遊園地があり、誰でも来ることができた。南北融和を演出しているのだろうか。あわただしい二泊三日の韓国旅行であったが、韓国を身近に感じることができ、日本から韓流ブームで沢山の人が韓国に行く理由がわかるような気がした。この旅の大きな収穫であった。 9月1日より、願書配布になっています。ご近所、お知り合いで、入園対象のお子様がおられましたら、是非お勧めしていただきますよう宜しくお願い致します。 9月、長月、天高く馬肥える秋、今月も子どもたちと楽しく有意義に過ごしてまいります。  

01 7月 2024

和を以て貴しとなす
ー7月のことばー

夏に至る夏至を過ぎ、私たちは真夏の7月を迎えました。 4,5,6月のこの三か月間、保護者の皆様にとっても、子どもたちとの関わりで、さまざまな悩みや憂い、反対に喜びや感謝があったと思います。 子どもたちにとっても大きな状況の変化の中で、大人以上に緊張を強いられてきた事も多々あったと思います。しかしそんな厳しい環境の変化にもまれ、苦しみながらも子どもたちは大人が考える以上に大きな成長を遂げ、様々な行事を経験して、成長・発達の道を踏み外すことなく、7月の季節を迎えることができました。ご家庭でも子どもたちの変化や成長を実感されることもあると思います。 様々な収穫体験では自然との触れ合いを通じて、自然界の食物を身近に感じたことと思います。 又クラス活動を通じて友達との関りを身近なものと考え、時にはトラブルを起こすことがあっても、子どもなりに解決していく、あるいは先生のアドバイスの下で仲良くなっていく、そんな微笑ましい光景も至る所で見られるようになりました。 反面、自我が芽生え、自己主張を強める子どもたちも出てきました。いろんな子どもがいてもいい、先生も大きな優しい心でいつも見守っています。 体操の先生の指導の下、リンゴ、年少さんは体を動かしたり、運動器具を使ったり、ルールを知ったりして、興味が一層ついた感じです。 年中、年長さんは今までの活動内容を踏まえて、より難易度の高い領域を目指しています。10月の運動会では大きな花を咲かせることになるでしょう。 英語そのものを勉強するのではなくて、世の中には人種、言語の異なる様々な人々がいることを知ってもらおうと始めた外人講師による英語、子どもたちは先生を恐れることなく、親しみをもって言葉に取組んでいます。 発音に関しては大人よりも上手いのかも?絵画の先生は、その世界では実力のある先生です。 3歳児では同じ色(単色)を好んで使ったりして絵に対して興味を示し、今までの単色の表現から様々な色を使うことに成長し始めます。子供の成長と同じように絵画にも成長の段階があることを踏まえての指導です。 音楽は徹底的な歌唱の指導を行い、次に合奏ではいろいろな楽器に慣れ親しんで器楽合奏の向上を目指しています。 その為に、小学校以上とは言いませんが、幼稚園には必要以上の十分な楽器が備わっています。異なった講師の指導を仰ぎながら、幼稚園の先生もこの三か月間フル活動をしてきました。 子どもたちの大きな成長要素を形作ったのではと自負しています。その辺のことを7月の個人懇談会で話し合っていただければと思います。 長い夏休み前には夏祭り、お泊り保育があります。夕方のひと時をお子様とご一緒にお楽しみください。 ところで純情で無垢な気持ちの子どもたちもびっくりするような発言や方便が政治の世界でまかり通っている。 当人たちはうまく相手をやり込めたとかうまく切り抜けたとか、騙された方が悪いと思っているかもしれないが、日本は聖徳太子の時から性善説が信じられ、「和を以て貴しとなす」の世界、詭弁を駆使して、相手を打ち負かすよりも誠実に、純粋に生きていく方が人間として優れている。 私たちはいま人間として「真に守るべき価値とは何か」ということを思慮し、戦争や自然災害の世を生きなければならないという時を迎えているように思う。 又礼節とは人間相互だけのものではなく、私共の生きる地球や自然に対しても持つべきものである。当たり前のことが私たちの胸に響くのはどうしてだろうか? 7月、文月、夏休み、海や山の季節、病気になったり、怪我をしたりしないで、元気いっぱい過ごしましょう。…

01 6月 2024

銀も金も玉も何せむに
ー6月のことばー

  「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」(銀も金も宝石も何の役に立とう。すぐれた宝も子に及ぶことなどあろうか)「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより来たりしものそ眼交にもとなかかりて安眠しなさぬ」(瓜を食べれば(残してきた)子どものことが自然に思われる。栗を食べれば一層しのばれる。 いったい子どもたちはどこから来たものだろうか。(どのような縁で私の子どもとしてやってきたのだろうか)目の前にやたらと(子どもたちの姿が)ちらついて、安眠させてくれないことよ)子どもを思う親の気持ちを痛いほど強烈に和歌で表現した山上憶良。1300年たった今でも力強く人々の心に響き渡っている。 子を思う親の気持ちはいくら月日が経とうとも枯れるものではない。困窮して日々の生活に追われていないから、そんな気持ちになるのだと言う人もいるが、実際時たまおこる悲惨な事件や子どもの人格を無視したようなケースもあるが、子どもの大事さ、子どもを持つ幸せ、育てる喜びを誰も否定することはできない。 そのような観点から日本一の幼児教育を目指す、子どもが中心、子どもの成長、発展、発育に全力を尽くす事が幼児教育施設の幼稚園に与えられた高い目標であると同時に努力義務となっている。 もし山上憶良が現在の日本に蘇ったなら、彼は何に一番驚くだろうか。 その一つがインバウンドという訪日外国人の多さではないだろうか。以前はただ日本に行って何かしら日本の品質管理の優れた商品あるいは信頼できる輸入商品を買うことが目的であった。 しかし今や訪日客の多さに驚かされる。大都市だけでなくて、こんな田舎に、こんな古びた観光地と思えるような所にも日本人よりも数多くの彼らがいる。 私の若い頃には企業の招待で細々とした訪日観光客であったのが、今ではオーバーツーリズムと言っても過言ではない。大都市は無論のこと、北海道や富士山、高野山の奥まで、日本人以上に日本の各地を巡っている。 長年日本に住んでいる日本人よりも彼らに聞いた方が日本のことを良く知っているかもしれない。そんな彼らが国に帰った時に、日本は良かった、行く価値があった。と言ってもらえれば良いが、人だらけで、行く価値がなかった、疲れただけであったという印象を与えたのであれば、いわゆる本末転倒と言っても過言ではない。 しかしよくよく考えてみると、私たち日本人が奈良平安の昔から営々と築き上げてきた伝統、日本人の奥ゆかしさ、自然を愛でる日本人の心情のやさしさと英知、そしてそれらが具現化された建築物や生活用品、装飾物、それに生活様式や考え方、規範、それらから導きされたどことなく親しみのこもった風景、そんなものが長い間外の影響を遮断された島国日本の他国にはないユニークさを生み出している。 明治時代以降徐々に海外に発信されてきたが、最近では様々なツールを通じて狭くなった外国に浸透し、円安と重なって一種のブームを生み出している。 しかしこれらのものは私たちが過去から受け継いだものであり、過去の人たちに大いに感謝と尊敬の念を持たねばならない。と同時に立派に未来に引き継ぐことも私たちの重要な責務である。 日本人の中には過度の自己主張も含め、西欧かぶれしすぎて、今までの日本人の美意識、生活様式、考え方までも否定的に捉える人が多くなったのはある意味残念と言わざるを得ない。 私もよく「今の時代はそうなっているのだから仕方がない」とか「今は昔の日本ではない」と言われることがあるが、果たして全ての日本人がそう思っているのだろうか。本性を隠して、あるいは表現せずに、月日を過ごしているだけでないのだろうか。強く自己主張する人、自分の価値観だけを正当化する人、そんな人ばかりであればサイレントマジョリティーも黙っていない。 日本は日本人だけのものではない。しかし日本に住もうとする人は外国の規範ではなくて、日本の基準も尊重してもらいた。英語でよく習った「Do in Rome as the…

01 5月 2024

一雨ごとに成長し、緑濃くなる
ー5月のことばー

  自然界の動植物はなぜあのように素晴らしい色彩や形をしているのだろうか。 私たちは例え、薬品や絵画材料を使っても決して同じように表現できないし、形に至っては私たちの想像を超えるものも存在している。しかし私たちの感覚や知識からすれば、あり得ない色の組み合わせであっても自然界のものはそれなりにうまく収まっている。 決して奇異な感じがしたり、他のものから浮いたりしていない。色彩に関しても、ダーウィン流の進化があるのだろうか。兎に角4月から5月にかけての芽吹きから始まって花をつけ、新緑に輝く過程はその美しさをいくら強調してもしすぎることはない。 そんな4月の初めの朝4時30分、辺りはまだ暗い。そんな中、一路富山県黒部市を目指した。大学を卒業して、50数年、学年40人のうち、8人の同窓生が宇奈月温泉に集まるという。 運転手は80歳間近の私一人、距離は片道430km、雨模様、車のタイヤはスポーツ仕様で、横向きに少し溝があるだけのランフラットタイヤ、何年か前に雨の高速道路でスリップした経験のある同じタイプのものだった。 別の車でと忠告も受けたが、慎重運転を心がけるということで、暗闇で小雨の降る中、一路越中富山を目指した。室内には流れる音楽がなかった。 ただ力強く鼓動するターボエンジンが私の心を揺さぶり、期待に忠実に反応した。日ごろ混んでいる阪和自動車道や近畿自動車道も、さすがこの時間、ブレーキの世話になる事もなく、一気に通過し、門真で第2京阪に舵をきった。 ここはいつもパトカーが目を光らせている高速道路、朝もやの中、安全運転で通り過ぎた。 久御山ICを右折し、京滋バイパスに入った。雨は降り続いていた。長いトンネルを過ぎ、一回転して、名神高速道路に合流した。前方に近江富士のシルエットが迫ってきた。 アウトレットで来たことがあった竜王を通り過ぎ、車は琵琶湖右岸を順調に期待に応えて進んでいった。 しかし少し疲れたこともあって、多賀SAで簡単な食事と身支度を整えて、再び名神高速道路に車を進めた。トラックの通行は激しい。新聞で騒がれている物流問題はどうなるのだろうか。 米原で北陸道に入ると、さすが交通量は少ない。飛ばしてはいけないと思いながら、ついアクセルを強く踏んでしまうことがある。 賤ヶ岳古戦場の木之本ICを過ぎると、福井県は目の前に迫ってきた。敦賀に到着。街からだいぶ離れている。ここを過ぎると、上り線と下り線が逆になって別れてしまう。 その理由がわからない。越前、鯖江を過ぎるともう福井市。永平寺、勝山、大野方面行の中部縦貫自動車道の入り口が見えてきた。子供の夢を乗せた恐竜博物館ももうすぐだ。 56年前を思い出した。当時アルゼンチンに駐在していた。日本から来た会社の人にはブエノスアイレスの名所を案内したが少し日程に余裕がある人には60kmほど離れたラ・プラタ市を案内した。 そこには博物館(Museo de La Plata)があった。私は全然興味がなかったが、南米で発掘された恐竜が所狭しと展示されていた。いつでも入場できた。…

01 4月 2024

ご入園、ご進級 おめでとうございます
ー4月のことばー

  カタクリの花が咲き、遣唐使が中国からもたらした梅が土筆や蕨を従えてそれに続き、コブシ、椿にその場所を譲っている。様々な色の椿がある中で、清楚で村里でひっそりと咲く、その存在感を誇示していないヤブ椿が一番好きだ。 「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」椿は日本原産で、椿という字は日本でできた文字とか。 そんな椿の終わり頃、待ちに待った桜満開の季節の到来です。まさに春爛漫、土の中で惰眠を貪っていた小動物も生命を吹き返し、命の鼓動が聞こえるようになった。街に、野山に、至る所にも芽吹きも見られるようになり、私たちも厚着から解放され、より軽快に、より自由に動き回る季節が到来しました。 ご入園、ご進級誠におめでとうございます。 皆さんがやってくるのを今か今かと首を長くして待っていました。皆さんは今日から私たちの仲間です。何でもわからない事があれば、聞いてくださいね。いろいろなことを経験し、体験し、突然のことに遭遇しても、皆さんには優しい先生、強い先生、明るい先生や何でもよく気が付く先生が周りにいっぱいいます。何の心配もいりません。いろいろなことをしましょう。沢山遊びましょう。 様々な場所にも出かけましょう。そしておいしい給食をたくさん食べましょう。元気になる秘訣です。先生はいつも皆さんの味方です。じっといつも皆さんのことを見守っています。怖がったり、泣いたりすることは何もありません。 これから生きていく上での大きな成長、発達へとつなげていきましょう。 「三つ子の魂百まで」、古今場所を問わずの原理原則です。今をしっかり生き続け、将来の土台作りをしましょう。困ったことや悲しいことがあったら、なんでも先生に話をしてください。 きっと楽しい、素晴らしい解決方法がそこにあります。進級児の皆さん、楽しい、新しい学年が始まりました。今までの幼稚園生活で経験したこと、体験したこと、教わったことを土台にして、この一年、大きな飛躍の年になるように努力していきましょう。 それと同時に新入園児の皆さんに優しく何でも教えてあげましょう。 人生は教え、教えられての繰り返しなのです。仲間たちと楽しく過ごし、今しかできないことをしっかりやっていきましょう。幼稚園で過ごした貴重な幼児期が皆さんにとって大きな役割を果たす時が必ずあります。最後に気になった言葉を引用させていただきます。 忘れてならぬものは恩義、捨ててならぬものは義理、人に与えるものは人情、繰り返してならぬものは過失、通してならぬものは我意、笑ってならぬものは人の失敗、聞いてはならぬものは秘密、金で買えぬものは信用。 近藤勇の言葉より 2024年4月、卯月、新しい年度の始まりです。始めよければ、終わりよし。(A good beginning makes a good ending).手をたずさえて頑張りぬきましょう。 今年一年間、ご支援、お力添えをいただきますよう、お願い申し上げます。

01 3月 2024

巣立っていく皆さんへ 本流を堂々と
ー3月のことばー

  昔高校の教員をしていた頃、英語の教科書選定にあたり、教科書会社から提案され、この学校にはこの教科書は易し過ぎるとか、あるいは難しすぎるとか、喧々諤々の議論の末にリーダーの教科書に「MAIN STREAM」を選んだことがあった。 30年以上の前の話だから今そのシリーズがあるかどうかわからない。その中でイギリス、テムズ川の源流の話があった。トネリコの樹木が自生する、観光名所のコッツウォルズ近くの丘から湧き出た水が途中ロンドン盆地に流れ込み、グレーターロンドンを貫通して、340kmの旅を終え、北海に注いでいる。今卒園や進級を控えた幼稚園児もこの川のように例えてもいいのではと思う。 岩からしみ出るわずかな水が集まって少しずつ大きな流れとなって本流に変貌していく。リンゴ、年少、年中さんはまだまだ湧き出た水が支流となって下っていく。卒園児の皆さんは支流が他の支流と合体して、少し大きな支流になっていく。 これから小学校、中学校、高等学校、大学と進学するにつれて、未知の人との交わりが増える、言ってみれば、様々な支流と合流して、大きな一本の川となる。働き盛りの30代、40台、50代ではロンドンを流れるテムズ川のように、人々の生活の営みにかけがえのない役割を果たし、静かに北海に消えていく。卒園児の皆さんは幼稚園で様々なことを学び、経験し、体験し、友達と交わり、肉体の面でも、知性の面でも、もう誰にも負けることのない位、立派に成長しました。 認知能力、非認知能力も含め、幼児教育の全ては幼稚園で習得し、完結しました。「三つ子の魂百まで」の諺通り、これからの基礎基盤となる基本的な要素は全て子どもたちの中に貴重な宝物として残っています。 これからはその宝物の土台の上に様々な経験や知識を積み重ねて自分にできる範囲の社会的貢献をし、生まれてきた証、存在した意義を示して欲しいと思います。そして紛争のない、人間らしい生活を享受できる世界になるように役立ってほしいと思います。 英知を授かった皆さんならきっとできると思います。それにもまして、これからの長い年月にわたって、健康を害することのないよう十分気を付けてほしい。時には幼稚園を思い浮かべてください。時には卒園アルバムをそっと覗いてください。 新たなエネルギーが体内に湧き上がってくることでしょう。最後に皆さんに私がいつも言っている二つの諺を贈ります。一つは「人事を尽くして天命を待つ」それと「実るほど頭の垂れる稲穂かな」です。 卒園児の皆さん、いよいよお別れです。リンゴ、年少,年中組のみなさん、皆さんはこの一年で大きく成長しました。発表会を見てそのことを実感しました。 皆さんはこれからお兄ちゃん、お姉ちゃんです。新しく幼稚園に入園した皆さんにもいろいろ教えてあげましょう。 そして今までと同じように幼稚園で先生と一緒に楽しく過ごしましょう。最近読んだ本の中から。 「美しい心でいたいならば、常に美しいものに触れなさい。自然であれ、何であれ、美しいものに触れて感動すれば、それが自分の勇気と生きる力になる」 菊池寛が興した「文芸春秋」、最近あまりにも低俗な雑誌に変貌したと思うのは私だけだろうか。泉下の菊池はどう思っているのだろうか。 「お皿は必ず裏から洗うのですよ。表の汚れをそのままにする人はいませんから。見えない裏を美しくすれば、自然に全体が奇麗になる」 ある人は母から「うそをついたらダメ、ずるをしたらダメ、楽な道と苦しい道があったら、苦しい道を歩め。」「働かせてもらえるだけで有難いから、給料の額に文句を言っちゃいけないよ」と厳しく言われた。 「努力は決して裏切らない。必ず報われる」「人間の能力に大差はない。あるとすれば努力と根性の差である」「夢をもて、夢は叶う」弥生三月歓喜の時、あらゆる生命体が目覚め始めました。 私たちも負けないように足並みをそろえて頑張っていきます。 2023年度、この一年、ありがとうございました。

01 2月 2024

和顔愛語
ー2月のことばー

  山茶花の赤や白の花が咲き乱れ、道に面した梅の花にも季節を告げるように白い花がほころび始めました。その名が示すように椿も負けじと蕾を膨らせています。それぞれ冬の厳しい寒さを乗り越えた喜びの瞬間なのでしょう。もうすぐ小動物たちも深い眠りから目を覚ますことでしょう。光り輝く太陽も私たちに少し近づき、昼の長さも目に見えて長くなったような気がします。2月4日の立春ももうすぐ、とはいえ、受験生には厳しい試練が続くときであると同時に、自分の実力が試される時、一瞬たりとも気が抜けない日々が続いていることでしょう。反面私たちの時とは違って、指定校や推薦入試ですでに決まっていたり又全入時代に突入して、心に少し余裕がある人も存在するでしょう。この時期に経験した勉強や困難を乗り越える力は将来にわたって人生の大きな助けになります。努力は決して人を裏切ることはないし、無駄な努力は何もないと思う。努力を続けることによって、いつかそれに光が当たり、報われることも十分考えられる。個人のことですが、高校時代は図書部に入り、ありとあらゆるジャンルの本をむさぼるように読んだ。直接的に大いに役立ったことは思い当たらないが、外国人を含めて様々な人たちとの話にも躊躇なく仲間入りすることができたのも一つのメリットかもしれないし、何か漠然とした自信がついたのかもしれない。「冬来たりなば春遠からじ」春を待ちわびる人の心境だろう。さて、「情けは人の為ならず」はどういう意味ですか?と高校教員をしていた時、あるいは幼稚園の採用試験で設問したことがあった。ほとんどの人が「人に情けをかけて助けることになると、結局その人の為にはならない。」という回答が多かった。本当は「情けや親切を人にすると、いつかそれは自分に戻ってくる」という意味ですが、後々のことを考え、損得を考えて、こんな言葉を言っているのでしょうか。ある人は今年の目標に、謙虚、素直、感謝 の三つに「利他の心」を付け加えました。「自分のことよりも他人の幸福を願うこと、自分を犠牲にして、他人のために尽くすこと」すぐに全てを実行できなくとも、その心持は大事なことです。美木多幼稚園初代園長の宮下紀久子は習字が得意で、よく展覧会にも出品していました。その中で圧倒的に多かった作品は「和顔愛語」でした。幼稚園や老人施設にも掛けています。読み方はワゲンアイゴ、仏教用語で「穏やかな顔と思いやりのある話し方で人に接する」ことです。非常に尊い言葉ですが、私たち凡夫においては、これを完全に実行することは不可能ではと思ったりします。実際機嫌が悪い時や落ち込んでいる時は無愛想にもなりますし、人を傷つけたりする言葉を発することもあります。しかし現実には「穏やかな顔や優しい言葉」が必要なことは言うまでもありませんし、もっと進んで「相手の気持ちを先に察し、その望みを受け取り、満たしてあげる」のが理想的であるのでしょう。亡くなって25年経っていますから、その真意はわかりませんが、その思いは「和顔愛語」通りだったのでしょう。先日は能登半島地震へのご支援ありがとうございました。日本赤十字社を通じて石川県に届けさせていただきました。お年玉から寄付されていたお子さまも沢山おられました。同じ小さな子どもたちが被災にあわれたと思うと、本当に心が痛みます。一刻も早い復興、そして能登半島が再びよみがえることを願ってやみません。さて、今遊戯室やホールでは音楽・生活発表会に向けての追い込みに大わらわです。子どもたちも頑張っています。それ以上に先生たちの頑張りは気迫に満ちたものがあります。是非、発表会当日は子どもたちの迫力に満ちた歌や合奏、迫真の演技に惜しみない、暖かい応援をお願いします。いよいよあと二か月で卒園、進級です。子どもたちは大きな成長、発達を遂げてきました。将来の日本を支える大切な、大切な人たちです。健康で心豊かな人になる事を願ってやみません。 2月、如月、建国の月、いつものことながら、ご支援、お力添え、よろしくお願いします。

01 1月 2024

2024年、平和で安心な世界が訪れますように
ー1月のことばー

  あけましておめでとうございます。 2024年1月、新しい年が始まりました。 新しい年と言ってもただ単に年号が変わるだけで、何の変化もないと醒めた目でシニカルに言う人もいるでしょう。しかし新しい年はやはり何かしらドキドキ、ワクワク、ある期待感を私たちにもたらしてくれるのも事実、悠久の歴史の中で人類は何回新しい年や四季の移り変わりを身をもって体験したことでしょう。 そして今年こそは、今年こそはと思いを新たに挑戦してきたか、あるいは挑戦しようとしたことでしょう。一年の計は元旦にあり、とは名言とはいえ、どれ程の人がそれを自分のことと捉え、実行してきたのでしょう。それがいいか悪いかは別として、明治以前は20年たっても、30年たっても、例え50年たっても世の中の変化はなかった。大きなほぼ決まった枠組みの中で、人は生まれ、成長し、結婚し、出産し、老いて死んでいった。自分の意志で大きな変化にチャレンジすることはほぼなかった。 しかし21世紀の今、人間の能力や才能には昔とそれほど相違はないが、時代やその背景は大きく異なり、人との交わりも希薄化されてきた。それと同時に島国日本も容赦なく世界の荒波に翻弄され、日本だけが他国と別でいることができなくなった。否応なくグローバリゼーションの世界に飲み込まれるようになった。 それは体制や人種の問題にとどまらず、私たちの心の中にまで変革を迫られるようになった。古くから維持してきた道徳や公共心、考え方、習慣などが諸外国からの激しいパッシングにさらされるようにもなった。又今まではあり得なかった考えや思想もそれが正しいものと認識され、受け入れることを余儀なくされるようになった。 私たちは昔の人なら、こう考える、このように物事を進めていく、あるいはそれは独りよがりの思いで、そんなことは考えられないといったことが諸外国とのフィルターに掛けられ、それは当然とか、当然のこととして処理されるようになった。 21世紀に入り世界は混とんとした状態になり、対決や力の世紀になってきた。いたる所で民族、宗教、領土などの問題で、人が人を平気で殺し、傷つけることが日常茶飯事、まさに狂気の時代に私たちは翻弄されていると言っても過言ではない。又誰が悪いと声高に叫ぶことも躊躇され、口をつぐむ傾向もある。 1980年、ニューヨークのダコタハウスで不本意に生涯を閉じたJohn LennonとYokoの「imagine」はベトナム戦争の最中、一部共産主義、左翼思想と揶揄されることもあったが、その内容には共鳴することが多い。 「想像してみて、天国などないと。その気になればかんたんさ、大地の下に地獄など無く、頭の上にあるのは空だけ。想像してごらんよ、みんなが今日を生きている。想像してみて、国など無いと、難しい事じゃないさ、殺したり、殺されたりすることもなく、宗教も無い。想像してごらんよ、みんなが平和に暮らしている。君は僕を夢想家だと言うかも、でも僕だけじゃない。 いつか君が仲間になってくれたら、世界は一つになるんだよ。想像してみて、独り占めも無いと、君にできるかな。欲張る必要も、飢える必要もなくなって、人類は兄弟だ。想像してごらんよ、人々が世界を分かち合う」戦争で犠牲になるのはいつも若者や名もない市井の一般市民、平和に心安らかに暮らせる日がいつ来るのだろうか。幼稚園の3学期は音楽・生活発表会と卒園進級です。 作品展が終わり、すぐに発表会に向けて取り組み始めました。 過去から引き継いだ豊富な衣装、保護者の皆様に作っていただいた新しい衣装、それらを身に着けると別人のように子どもたちは光り輝いて見えます。合唱や合奏、音楽も大きな進化を目指して練習にまい進です。 そして幼児教育の最後の大きなイベント、卒園式です。大きな成長を遂げたことを本当に誇らしげに語ってほしいと思います。 この子たちが理不尽な環境に巻き込まれることなく、まさに堂々と道の真ん中を進まれることを心より期待しています。 この2024年がお子さまにとっても、ご家族の皆様にとっても、幸多く、健康で心豊かな年でありますように心よりご祈念申し上げます。

01 12月 2023

一年間ありがとうございました
ー12月のことばー

  散り際の美しさを誇示しながら、園庭の樹木も今はすっかり衣装を取り去り、本来の形だけの姿に変身です。これから始まる厳しい環境に耐える為に研ぎ澄まされた裸の形です。虫たちやそれを生存条件としている動物たちも長い睡眠に入りました。 それぞれが生きるために、子孫を残すために昔から延々と続いてきた営みです。今は薄れたとはいえ、スペインで続いてきたシエスタ(昼寝)もそうなんでしょうか。 そんな中で私たち人類は理不尽な戦いをする反面、他の生物と異なって、知力と忍耐力を使ってより快適な生活を追い求めてきました。残念ながら人間だけが全ての支配者であるという驕り高ぶった気持ちも芽生え、他の動植物との共生という概念が少し希薄になってきたのではと思ったりします。 ある有名な学者は「私たちは歴史上最も健康で、最も裕福で、最も長生な人間である。そして私たちはますます怖がるようになりつつある。これは現代の大きなパラドックスの一つである」と言いました。 現実には目前のリスクを恐れすぎるほど恐れるくせに、遠い未来のリスクとなると、どんな大きなリスクでも一向に恐れない人間があまりにも多い。又ある人は「大きい不快、破滅をもたらすことのできるもの、それも遠くではなく目前に迫られるほど近くに現れるものだけを恐れる」「ひどく遠くにあるものを人々は恐れない」例えば誰でも人は死ぬということを知っている。 しかしそれは近くにないから少しも気にすることはない。目前のリスクに比べて遠くのそれは実寸よりも小さく見えるために、私たちはつい前者を恐れすぎ、後者を恐れな過ぎてしまう。しかしあまりにも遠い未来までも考えると私たちは生きることが辛くなるかもしれない。 二学期の大きな行事、運動会と作品展が皆様方に支えられて無事終えることが出来ました。ご感想はいかがでしたか。運動会では肉体的な大きな成長を見られたかと思います。 一歩一歩成人になる為の大きな生長だと思います。作品展では精神的、頭脳的な飛躍、自戒の芽生え、物の捉え方、見方等においても、順調なそれでいて確実な伸展を垣間見られたかと思います。幼稚園で経験したこと、学んだこと、人と交わったこと、たまには喧嘩をしたこと、さまざまな経験や体験がこれからの子供たちの成長に大きな起爆剤となって役立っていきます。ただアクセスだけで幼稚園や保育所選んでいると言われる傾向が強い中で、私たちは愚直に保護者の皆様と連絡を取り合って、子どもが真ん中、子供中心の保育を目指して、認知能力は勿論のこと、非認知能力の向上も目指して保育・教育活動を進め、いい形で小学校教育につなげていきます。 そして将来何十年か先にあの時この幼稚園に通園して良かった、両親の幼稚園選びの選択は間違いでなかった、正しい選択であったと言ってもらえるよう、教職員一同日々研鑽に取り組むと同時に子ども一人一人との接触をより一層深めてまいります。 あと一か月で2024年、年長さんは憧れの小学校です。年長さんを見ているとワクワク感がいっぱいです。今まで幼稚園で経験し、体験し、学んできたことが大きな財産となって小学校に行っても光り輝いたものになるでしょう。時あたかも文科省が小学校へ繋ぐ教育、幼少連携の重要性を今まで以上に発信するようになりました。 これから何十年もかけて子どもたちの追跡調査をする体制も整い始めました。私たちの幼稚園で学んだ子どもたちが将来にわたってきっと立派な人生を送られることを私たちは希望し、期待し、実際そうなるものだと自信を持っています。 新しい2024年、保護者の皆さんが幸多く、ご健勝でありますよう心より願いつつ、2023年の園便り終わりとします。 いろいろ行き届かない点、ご不満に思われている事も多々あった事と存じますが、この一年間本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。

01 11月 2023

明日に向けて
ー11月のことばー

   10月22日夜7時15分、ANAのボーイング737が爆音を後に残して伊丹空港を離陸した。1時間後の8時20分、何事が起ったかびっくりするほどの大きな音と衝撃を伴って、兎に角福島空港に着陸した。昼は大阪と同じくらいの気温でも、夜になるとさすがに寒い。福島交通のバスで約40分、郡山に到着、歩いてダイワロイネットホテルに歩いて移動、駅前の便利なビジネスホテルだ。第38回全日本私立幼稚園研修大会が10月23と24日、山形市のホテルメトロポリタン山形で行われる。それに先立って上杉鷹山の米沢市を、そして上杉神社をどうしても見ておきたかった。    翌朝8時30分、レンタカーを借りて、一人で東北自動車道を北進し、福島市で東北中央自動車道に進んだ。こんな峻険な山々が連なる場所によく高速道路を建設したと思うくらいトンネルが続き、そのトンネルを数多くの橋でつないでいた。高速道路があるのは当たり前だろうか?土地の地権者との交渉、買収、設計、土木、建設、付帯工事、その他、どのくらい多くの人々がこの道路を作るのに、携わったのだろうか。    どのくらい努力し、どのくらい頭を絞って設計したのだろうか?日本には数多くの高速道路があるが、ここも難工事の一つだったのではと思うと同時に、日本の土木工事の技術力の高さを見せつけられた思いだ。戦前、戦後を通じて蓄積された技術、人数が多かった団塊の世代の頑張り、そしてその後を受け継いでいる現役世代、GNPが世界4位になったとはいえ、日本にはまだまだ世界に誇るものがある。  「為せば成る、なさねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」上杉神社にはこれをしたためた掲示板があった。「どんなことでもやろうと努力すれば、必ず実現できる。逆に無理だと思ってあきらめ、努力をしなければ、絶対に実現できない。」上杉鷹山は莫大な借金を抱え、民衆が苦しんでいた藩を自分から模範を示して節約に努め、新たに産業を起こし、学問所も作り、財政の立て直しに全力で取り組んだ。又子どもや老人を大切にする政治も行った。今でも通用する次の4か条を唱えた。 1.民の父母の心構えを第一とすること。 2.学問・武術を怠らないこと。 3.質素・倹約を忘れぬこと。 4.賞罰は正しく行うこと。  それにしても隣の会津若松と言い、この米沢藩と言い、質実剛健、幕府に対する毅然とした態度、藩主を支える人々の心意気、山間に囲まれた厳しい環境のなせる業かもしれない。山形空港は「おいしい山形空港」と呼ばれる程、果物をはじめ、米、肉、なんでも美味しいと副知事や市長の言葉、そのおいしさの代表として、初めに「出羽桜」酒造の仲野益美社長の記念講演があった。 その中で心に残った一つが、山形の作り酒造は10社あって、皆、仲が良い事、「他の酒の犠牲の上に立った酒でないこと」すなわち自分だけ、自分の会社だけ良いというのではない。    またチャレンジ精神をうたい、「チャレンジすれば苦労を伴うが、未来が開拓できる」と説く。又輸出にも力を入れ、5年度は475億円であった。次に文科省の幼児教育課長の藤岡謙一さんが幼児教育の現状と将来について講演した。 教育は幼児教育から小、中、高校教育までの積み重ねであり、基礎、スタートが大事である。幼児教育では総合的に育む次の3つの資質能力をバランスよく習得する必要がある。 すなわち、知識・技能の基礎、思考力、判断力、表現力などの基礎、学びに向かう力、人間性などであり、幼稚園などでの普段の活動、遊びなどが小学校での本質的理解、正確な知識、技能の習得、思考力・判断力・表現力の育成に繋がっていく。    幼児教育の良し悪しの状況によっては今後の人生を左右するものであり、幼児教育にお金を使うことは将来への大きな投資である。日本でもその子どもたちはどのように成長し、どのような人となっていったのか、大規模な追跡調査を始めるそうだ。 この講演の中で私の興味を引いたのは幼稚園・保育所を選ぶ場合、保護者は何を基準としているかであった。…

01 10月 2023

10月、神無月、神の月
ー10月のことばー

  八百万(やおよろず)の神々が何を相談するのか、この月に出雲大社に集まり、他の国にいないことなのか、はたまた神の月の意味なのか。兎に角10月、今年度も半分が過ぎ去りました。この月の始まりは法の日、「人の支配から法の支配へ」と言われるが、独裁制や君主制の場合は優れた名君や政治家が出現すれば、国は長足の進歩を遂げる。個人的には戦後大きな成長発達を遂げたシンガポールがその例だと思う。 反対に暴君や冷血な独裁者が現れると、市民は大きな苦しみを背負わされる。法の支配は大きな飛躍がない代わりに、急激な社会の変動による不安がない。そのうえ、「法による支配」は法律を制定した支配者自身もその法律によって束縛されてしまう。 その意味、時には忸怩たる思いに駆られることもあるが、ある意味市民にとって安全である。法は社会秩序のための規範であり、一般的に国家権力による強制を伴うものであるが、それを忌み嫌う若者たちによる反乱も数多くみられることも又事実であり、そのことが法律の改正につながることもあった。しかし私たちは法治国家の一員としてそれを自覚し、法律の許される範囲で大きな活動をすべきだと思う。 四季がある豊かで美しい自然、昔からの言語、礼儀正しさと聡明で清らかな美しい心、それを支える恥の文化と武士道精神や思いやり、他人に対する尊敬、信頼、慈しみ、次の世代にもぜひ受け継いで残していきたい。 人が見ていないところでも天に恥じないように素直に正直に生きていく。 「四時の序、功を成す者は去る」すなわち春は春の役割を精一杯果たし、夏にその立場を譲っていく。夏は夏の立場を精一杯果たして秋に譲っていく。秋は秋の、冬は冬の役割を精一杯果たして次の季節に譲っていく。四季が巡るように、人もまたそれぞれの役割を果たして次の人にその立場を引き継いでいかねばならない。 今の日本は国民の自助努力の精神が求められているが、世の中の風潮は政府や自治体に依存するばかりで、自分でやればできる事すら積極的にやろうとしない。 税金を払っているのだからそうするのが当たり前、権利を主張しているだけだという。そうであれば本当に義務をはたしているのだろうか。国や自治体の費用がかさむばかりで、いずれ国家が倒れてしまうかもしれない。国家、自治体も無尽蔵にお金を持っているわけでない。自分の財布と考えたらそう安易に支出するだろうか。 文科省役人による幼児教育の現状についての研修があった。家庭の就労状況の変化(女性や共働き家庭の増加)によって少子化のスピードが加速化し、それにつれて待機児童が急激に減少し、幼稚園・保育所の大幅な定員割れがみられるようになった。逆に考えれば経営を続けていくうえで大きな困難が予想されるようになった。そんな中で、より一層質の高い幼児教育が求められるようになった。 1.教育の連続性・一貫性の確保 5歳児から小学校1年生の2年間を「架け橋期」として、この間の教育の充実を図り、生涯にわたる学びや生活の基盤を作る。 2.質の高い人材の確保・定着・資質能力の向上を図っていく。 その為に職員の処遇改善や専門リーダーや若手リーダーの研修を充実させる。 3.安定的な経営の支援を行っていく。その為に一般補助や特別支援教育への支援を行う。 4.幼児教育の重要性の理解・促進を図っていく。幼児教育において、子どもの将来への影響に関する大規模で長期的な調査を実施する。 5.地域における「面」での幼児教育の質的向上を図っていく。幼児教育体制を活用した地域の幼児教育の質向上の強化、 域内全体への波及を図っていく。 「子育て支援は幼稚園にとっても重要な役割」であることを鑑みて、幼稚園の運営に当たっては子育て支援のために保護者や地域の人々に機能や施設を開放して、地域における幼児教育センターとしての役割を果たすように努める。 今年度も半分が過ぎ10月からは後半、前期は慣らし期間、そして後期は発展・向上・充実の大事な期間、運動会、発表会など等の様々な行事を通じて子供たちを肉体的・精神的に大きな成長軌道に引き上げ、幼稚園教育の真骨頂を発揮していきます。小学校の先取り教育は本意ではありませんが、他の子どもたちと同等かそれ以上の能力を発揮できる下地を作ってまいります。…

01 9月 2023

西室院から園児募集まで
ー9月のことばー

  8月26日、高野山西室院、うす暗い本堂、静かな張り詰めた空気の中で、ご住職の凛とした読経の声が静寂の中で響き渡っている。今日は美木多幼稚園初代園長が鬼籍に入った日、そして25年が過ぎ去った。久しぶりの高野山、何年かぶりの西室院、来てよかった。率直な感想。 母親が園長であった時、美木多幼稚園はマンモス幼稚園と言われていた。今は中堅規模以下になったが、関係する皆さんが力を合わせ、努力して幼児教育に必死に取り組んでいることを報告し、全てのことは「園児の幸せのために」の理念を受け継いでいることを伝えた。西室院は奥の院の少し手前にある高野山別格本山であり、この日は京都洛南高校の生徒たちが夏季の林間学習をこの寺で行っていた。 なぜかこの日(土)は交通量が少なく、参拝客も思ったほど多くなかった。1000m級の山々に囲まれたこの盆地は大阪と比較すると気温が明らかに低く過ごしやすさを感じた。冬と夏とではどちらがいい?何回ともなく問いかけ、問いかけられた陳腐な質問。今年であれば躊躇なく冬と答えるであろう。 それほど今年の夏は異常に暑い。明らかに昔と異なっている。私は今も同じ場所に住んでいる。少年時代は団扇で涼をとり、流れゆく風を感じればそれで充分涼しかった。藁ぶきの家であったがそのままうたた寝してしまうと寝冷えをする位にまで気温が下がった。 夜も扉を閉ざすことはなかった。人が人を信頼していた。ただ蚊や虫を避けるために蚊帳を吊った時は暑くて寝苦しかった思い出がある。ある時ネズミが蚊帳の中に入ってきて、出口がなく、蚊帳の中を走り回っていたのが今ではおかしい思い出になっている。 そんな時に病気になれば、木製の冷蔵庫に氷があればそれで冷やすか、冷たい井戸水を絞って額にのせるだけだった。そんな時よりももっと前、精神的、肉体的に病んで、生きることに絶望し、死に場所を探しに旅に出た学生がいた。ある時遍路と薬売りと偶然同じ部屋宿に泊まった。何日か逗留している間に、病にかかり、薬売りに薬をいただくが遍路に薬代もないことを伝えた。 その時遍路が「おぬしは飲めばよい」「おぬし、金などどうでもなることじゃ。おぬしに金のないことぐらい、わしらにはようわかっておることじゃ。わしらの眼は節穴じゃないものな」「のうおぬし、いきることは辛いものじゃが、いきておる方がなんぼよいことか」とぽつんと言った。この言葉は遍路の人生哲学だったのでしょう。一方薬売りは別れ際に「学生さんよ、治ってよかったのう。生命は粗末にせられんぜよ」また続けて「薬の金がいるもんか、おぬしはそれを心配して薬をのもうとせなんだつうが、そんな気兼ねをするで死にとうならあね」この二人の言葉は人生のあらゆる辛酸をなめつくした壮絶な体験からうまれたのでしょう。 その場限りの都会の経営者の姿、上辺だけの乾いた人間関係と安宿で感じた素朴で温かい人間関係が見事に対象となっているのでしょう。一万人も志願者が押し寄せるという埼玉栄東高校の校長先生の話。 1. 守りに入ってしまえば前に進めないし、発展もない。たとえ間違っているとしても、とにかく前に進んでいく。 2.課題を解決するためには「何」が必要なのかをまず設定し、スピード感をもって解決へと突き進む。 3.さまざまな人たちと出逢い助けられてきた。また様々な環境に身を置くことで、自分自身の考え方や生き方が変化してきた。 4.自分なりの「居甲斐」を見つけ、多様な価値観を認め合える出逢いと学びの場をこれからも提供していく。 5.今は何が起こるかわからない不透明な時代、知識や学歴以上に、立ち上がって次に進める人間、学んだことを知恵に変え、自分の信じる道を極められる人間になる。 6.世の中には本当に無駄なことは一つもありません。一見無駄だと思われること、つまらない事にこそ可能性を感じ、目標に向かって日々倦むことなく愚直に努力と挑戦をかさねていくことから、生きる力、他人を思いやる心、ひいては総合的な人間力が養われていく。 少子化の影響ばかりではないですが、幼稚園を取り巻く環境は過去50年間のうちで危機的状態になってきました。中でも株式会社の経営する園では廃園、他企業・法人への譲渡が行われ、法人間の統合も出てきました。しかし私たちはどんなに苦しくても地域に子供たちがいる限り、生き残り、地域から必要とされる幼児教育センター、幼稚園を目指していきます。 9月1日から募集要項配布、10月1日から願書受付です。私たちは保護者の皆様に寄り添い、期待に応える幼稚園、子どもたちの認知能力でも非認知能力でも、その能力が大きく伸びる幼稚園を目指して教職員一同力を合わせて取り組んでまいります。誠に恐縮ですが、ご近所、お知り合いの方にもお勧めしていただきますようお願いいたします。 いよいよ二学期、楽しい行事が目白押しです。子供たちの頑張る姿、それを支える先生方の必死の姿、どうぞご期待ください。

01 8月 2023

暑さを超えて
ー8月のことばー

   猛暑、猛暑と言っても涼しくなるわけではない。それでも暑いと言いたくなる。 日本独特の蒸し暑さが続いています。  たとえ40度を超えたとしても、日陰に入ると涼しく感じる国々と違って、海に囲まれた湿度の多いせいだろうか。  しかし乾燥した国と湿気の多い国ではそれぞれのいい所とそうでないところ所もあるので、一概にどちらがいいとも言えないのが悩ましい。  毎日決まった時間に大雨が降るブラジルやいつも傘やパーカー用意しなければいけないイギリス、どの国にも天候にまつわる悩みや憂いがある。  梅雨のひと時、こんなことを考えていると「コロナ禍で5歳児に4か月の発達の遅れ、施設閉鎖やマスク着用が影響か」のニュースが飛び込んできた。  幼稚園ではなくて東京都の認可保育所の話。京大や筑波大の研究チームによると「三つ子の魂百まで」のこの社会性を身に着ける時期、保護者以外の大人や子供と交流する機会が減ったことが要因と考えられる一方、1から3歳児でコロナ禍を経験した3歳児にはそうした傾向はみられなかった。  運動や言語理解など9つの領域を130項目以上で評価し、その分析結果によると、5歳児ではコロナ禍経験群は未経験群と比較して、4.39か月の遅れがあった。  特に大人に対する社会性やしつけの分野で遅れが目立った。一方3歳児では発達の遅れは明確に見られず、逆にコロナ禍を経験した群のほうが大人に対する社会性や概念の理解について発達が進んでいる傾向があった。  これは一対一の交流が重要な1~3歳の時期にコロナ禍で保護者と過ごす時間が増えたことが発達によい影響を与えた可能性がある。  5歳児の発達の遅れについては今後の十分な支援で挽回は可能だとの見方を示す一方、影響が長期的に及ぶかどうかはさらに追跡調査をしていく必要があると報告した。  この傾向は特に5歳児に限ったことではなく、小学校教育に携わっている教員からも小学生の学力が着実に低下しているとの指摘があった。  このことがよく言われている学力などの認知能力だけでなく、意欲、協調、仲間意識、やり遂げようとする力などの非認知能力にも影響があるのかどうか、私たちも大きな関心をもって見ていきたい。  私たちは幼小の連携を視野に学力の向上を目指し、自信をもって子どもたちを小学校に送り届けたい。私たちが幼稚園で行ってきた保育・教育活動は決して保護者の皆様の期待を裏切らないものだったと思っています。  さて、この文章を書いているのは7月14日です。  この日は私たちが学校で学び、歴史の試験にも何回も出題された1789年のフランス、バスチーユ監獄襲撃の日、というかフランス革命勃発の日、現代でもラテン系のフランスの熱しやすい言動はしばしばニュースとなって新聞紙上の大きな見出しになっている。  フランスではこの日はお祭り騒ぎ、次の日から大方の人はバカンスに行ってしまう。パリに残る人はほとんど外国人だとか。幼稚園でも夏休みが目前です。今年はコロナの影響も少なくなり、ご家庭でもいろいろ計画されているかと思います。  小さい時の経験は具体的に子どもたちの発達・成長にどのような影響を及ぼすかは別として、子どもたちの頭の片隅に又心のどこかに忘れない思い出として残っていくことでしょう。 二学期が始まるときには元気いっぱい、日焼けした姿で戻ってきて欲しい。切なるお願いです。…

01 7月 2023

存在の規範
ー7月のことばー

     「光陰矢の如し」「歳月人を待たず」「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」「未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように早く飛び去り、過去は永久に静かにたっている」「彼氏や彼女と別れを決めた瞬間、楽しかった思い出が走馬灯のように過ぎていく」「百代過客で時間は待ってくれない。やらないで後悔するより、失敗してでも後悔しない人生を選びたい」時は過ぎ去る。一瞬たりとも待ってくれない。今がハイスピードで過去になっていく。  幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期、時の移ろいの速さに対する感覚は異なっている。私たちに平等に与えられた命、いつかは必ず朽ちるという諸行無常、時の流れの速さに驚くばかり。最近45年近く前に高校3年生の担任をしたときの卒業生に出会った。彼女はすでに還暦を超えていた。  お子さんの一人の彼氏はイギリス人で、もう一人は結婚してお孫さんもいると話された。瞬間びっくりした。18歳の高校生がもう60歳を超えていたのかという驚きであった。なるほど計算上は確かにそうだが、あまりにも時の流れの速さに身震いを感じてしまった。  人は他人の成長の速さに驚くこともあるが、自分も同じように齢を重ねている事に気が付かない。あるいは意識的にそうあることに目をつぶっている。長野高校,和泉高校、鳳高校と続いた25年間の高校教員時代に、偶然教え子と教師という関係になったが、今や40代から60代、人生の壮年期、家庭的にも仕事上でもいろいろ解決すべき問題を抱え、ストレスのある人生を送っている。楽しいことも多いだろう。それに匹敵するくらい苦しくて、悲しいこともあるだろう。    限りある時間、どうぞ幸せで健康な毎日を過ごしてほしい。ある人たちが共通して思い、実施に励んでいる言葉。 1.笑顔で話す 2.顔を見て話す 3.第一印象を良くする 4.できると思えばできる 5.目的を忘れない 6.小さな改善努力が後の大きな成功進歩 7.思いは言葉にして初めて伝わる 8.その動作・考えに無駄はないか。  私たちは概して全てのことに自分なりの規範、枠を設定して行動している。それがある意味、秩序だった社会の規範であり、安心して生活していく守護神となっている。例えば、私たちは警察を怖い、先生は子供を守る、弁護士は人を助け、検事は人を訴追する、  自衛隊は国土を守り、医者は患者に安心感を与え、公務員は過去の先例にならって行政を進める。犬や猫は人に飼いならされ、ロボットは人に背くことはない。ゴキブリは夜に活動し、ムカデはひっそりと陰で機会をうかがっている。大概の外国人は自分の意見を持ち、強く主張する。    私たちは彼らがそのような行動をするものとして、自分たちの行動・規範を守っている。もし自衛隊が国を守らない、警察は秩序が乱れ、人を守ってくれない、犬・猫が人に向かってくるような想定外のことが起こると世の中は混とんの世界に陥ってしまう。私たちは小さな小さな歯車に過ぎない。しかし小さな歯車に何か齟齬があると大きな歯車も動くことができない。個人個人の社会での活躍によって、歯車がいい方向に向かい、大きな社会を動かす歯車につながっていく。…

01 6月 2023

山滴る季節
ー6月のことばー

     山が萌え、山が色づき、山が笑っている、そんな表情豊かな山の樹木の間を吹き抜け、味付けされた風は薫風となって、私たちに心地よい最上の自然の営みをもたらしてくれる。そんなそよ風、木漏れ日の5月が過ぎ、山滴る季節、早くも水無月(水の月)を迎えました。10代に長く感じた時の流れも、年齢を重ねるにつれ、その動きが加速度的になってきた。今となっては1年前の出来事がほんの昨日の出来事のように感じてしまう。もう何回6月を経験しただろうか?との感慨にふけ、又いやがうえにもそのスピード感に恐れおののいてしまう。    梅雨のない北海道は別として、日本全国6月は雨の多いレイニーシーズン(rainy season)、それを鬱陶しいと捉えるのか貴重な水の季節と考えるのか。淡水魚のアユが躍動するときであり、野山では普段草木に覆われて隠れていた清楚な山ユリが一斉にその姿を白日の下にさらけだしている時でもある。    上を見上げると時鳥(ホトトギス)が忙しそうに思い思いに鳴いている。田舎では夜になると、蛍が夏の風物詩となって私たちに幻想的な情景を醸し出し、サクランボや青梅が店頭に並び、7変化のアジサイが私たちに迫ってくる。水の大切さを園児にも話をしている。人の体の70%は水でできているとか、水がなければコメなどの食べ物もできない、水は本当に大切なものだよと。すぐに理解できなくとも、頭の片隅のどこかに、そんな知識が蓄えてあれば、素晴らしいことだと思う。     6月はゼウスの妻、ユノ(Juno)の月、ユノは結婚の守護神、6月の花嫁はまさに祝福されたJune bride。日本では水の月であっても例えばイギリスでは最も快適な月、賑わいを見せる月、私たちはそんなバラと夏至の月を心行くまで楽しみたい。そんなことを考えていると、私たちは本当に自然に生かされている、自然と共生し、自然のやさしさに、慈愛に満ちた心に包まれて感謝していかされている。    そんな大事な自然を支配下に置こうと考えると、大きな天罰の災害となって私たちに襲い掛かってくる。私たちは豊かな自然の恵みを享受し、生活の質を広げていきたい。こんなことを考えている一方、世界ではいまだ原始的な人が人を殺しあう戦争が繰り広げられている。大義名分はいろいろあるだろう。  しかしせっかく貰った命、生かされた命を齢20歳の若者が失っていいのだろうか。生気を失い、言葉を発しない、もはや一つの物体に変わり果てた君たち、何のために生まれてきたのか、何のために両親に慈しみ育てられてきたのか、人生の楽しみを享受したのか。国のため、祖国のため、愛する人のために死ぬこともあり得ると言う人もいるが、本当に死ぬことの大義名分があるのだろうか。    価値観の違いとはいえ、私にはそうは思えない。最も中世の騎士道精神を受け継ぐノブレス オブリージュ(貴族や上流階級の財産、権力、地位を持つものはそれ相応の社会的責任や義務を負うこと)を尊ぶ人にはそうでないかもしれないが。近頃かまびすしいCSR(corporate social responsibility 企業の社会的責任)にも通じることがあるのかも。それはさておき、欧州でもアフリカでもその他の地域でも、戦いを終えて平和な世の中が一刻も早く訪れてほしい。    人が武器の実験のターゲットであってほしくない。先日ある保育所を見学させていただき、いろいろ説明を受けた。その保育所は体育、運動遊びが有名で高い跳び箱を飛んだり、ブリッジして歩いたり、逆立ちも全員ができ、運動能力の向上に努めていた。又漢字や文字などの習得にも力を入れ、あり意味小学校の先取り教育的なことも行っていた。先生方もそれに対して非常に機敏で意欲的で、子どもたちの資質の向上に一生懸命務めていた。私たちにとっては大変勉強になり、教えられることも多かった。ただそこは建物だけの80人規模の保育所で、園庭がないことに大きな違和感があった。…

01 5月 2023

毛利元就の三矢の訓
ー5月のことばー

   春を彩る桜の花が終わり、それに代わるかのようにツツジは今を盛りと咲き乱れています。五月晴れの空には鯉のぼりが気持ちよく泳いでいます。みどりの風が心地よい5月、一年のうちで最も華やかな季節の到来です。爽やかなこの季節、心行くまで楽しみたいものです。いつか楽しもう、いつか行楽に行こうと思っているだけで、何となくためらっていると、いつしか季節が過ぎ、人生の春も過ぎ去ってしまう。人生は限りあるもの、あとになって悔いを残すことのないように、よく働き、よく遊ぶのも人生の一つの処世訓、さわやかに、精一杯楽しくこの5月の環境を享受しましょう。    4月の遠足のお子様の反応はどうでしたか。新しいクラスでの初めての経験、初めてのお友達、戸惑ったり、悲しくなったり、寂しくなったりした半面、仲間が見つかり、嬉しくなった、楽しくなったこともあるでしょう。    年長組は諏訪森、鳳、美木多も同じ日、同じ時間に天王寺動物園に行きました。あいにくの雨に少したたられましたが、その分、動物園は空いていて、十分に動物たちの動作、行動や表情、様子を見ることができ、又写真もかなりの枚数撮ることができました。それに何よりも子どもたちの満足そうな表情、喜びを感じることができました。    ひょっとしたらお家で動物園に行ったことがあると思いますが、仲間と行く動物園は子どもたちにとっては格別の喜びだと感じました。動物たちの何気ない動作、表情、身振りがさも園児のためにそうしていると感じてしまうのです。充実した春の遠足だったと思っています。    私たちは海遊館に行ったり、大泉緑地に行ったり又は3園のそれぞれの幼稚園に行って交流を深めてきました。美木多幼稚園は泉北ニュータウン光明池駅から歩いて10分、緑に囲まれた、今年46年目を迎える幼稚園です。鳳幼稚園は民営化になってから11年目、それまでの堺市立幼稚園時代を含めると、100年近い歴史があり、住宅街に囲まれた鳳駅より徒歩5分の幼稚園です。そして諏訪森幼稚園は90年以上の歴史があり、高齢者の皆さんに「私もここを卒園した」と時に言われることがあります。  古い高野街道の近くに位置し、南海諏訪森駅から歩いて5分、最近前面の道路が都市計画道路に正式に決定され、浜寺東小学校の前を通って国道26号線に接続される広い道路になります。南海電車の高架化と都計道路、少し園の環境が変わるかもわかりません。美木多幼稚園と鳳幼稚園は幼稚園のままですが、諏訪森幼稚園は認定こども園制度ができた10年前に堺市で最初に認定こども園の指定を受けました。  美木多幼稚園と鳳幼稚園は1号の園児だけで、募集は10月1日、幼稚園独自で行います。管轄は大阪府になっています。諏訪森幼稚園は1号、2号、3号(0,1,2才)を受け入れ、1号は10月1日に幼稚園で募集、両親が働いている場合などの2号は堺市に申し込み、幼稚園には堺市から園児の名前が知らされます。  認定こども園は堺市の管轄です。募集要領は変わりますが預かり保育などに関してはほとんど遜色ありません。毛利元就の「三矢の訓」ではありませんが、私たちは3園の協力体制、研修制度、カリキュラム、その他の内容に関しても密接な連携を保っています。新任研修、音楽研修、絵画研修、体育の指導、カウンセラー等の研修もしかりです。  幼稚園で使う絵本や教材なども共通のものを使い、その内容については、研鑽を重ねています。又毎月場所を変えて、3園の主任会を行い、活発に意見を交わして、保育の質の向上を目指しています。マンネリに陥ることなく、いいものは残し、新しいものも積極的に取り入れています。    又3園とも立地する環境が異なる為に、それぞれの園の独自性も勿論尊重しています。それぞれの幼稚園には管理栄養士がいますが、毎月集まって給食会議を開いて、メニューの工夫、チェック、栄養価、残食なども話し合っています。    稲森和夫さんの言葉を借りれば、「動機善なりや、私心なかりしか」をモットーに子供の成長発展のために何が必要で、何が必要でないか、自問自答しながら保護者の皆様から託された期待に応えてまいります。    今後ともご支援、お力添え、よろしくお願い申し上げます。…

01 4月 2023

養花一年、看花三日
ー4月のことばー

   日本の古い歴史の中で、一つのけじめをつけて、始まりとしたのはいつのころだったのでしょう。というか、けじめをつける、或いは始めと終わりを考えるのは何かと好都合に思ったのは随分昔のことだった?日本には他国よりも明確な四季が存在することで、それに拍車をかけたのかもしれない。  春の彼岸で天から神の降臨をお願いして、稲作の始まりを祈願し、秋の彼岸では収穫の喜びの感謝で又神を呼んでくる。    陰暦にまつわる様々な行事といわれと始まりと終わり、私たちはその始まりや終わりを大事にし、感謝の気持ちを持った人々の集団、私たちだけが選ばれし者との不遜な考えを持たずに、優しく誰とでも仲良くなれる人々の集団、そんな集団生活を送る私たちにとっての大きな始まりは1月と4月、特に後者は日本独自のユニークな始まり、多分すべての生き物が目覚め、花や動物が歓喜の「雄たけび」をあげるこの月を大事な出発点として選んだのでしょうか。    「養花一年、看花三年」という言葉通り、一年かけて育てた花もたった三日で散っていく。春風の無情な、そんなはかなく、もろく、無残に散っていくが故に、花は私たちの心をとらえる。ある意味、はかないことで私たちに瞬間のめでる気持ちを高揚させ、ほとぼしる愛情が生まれてくる。今年もそんな季節が到来しました。  2023年4月、お子様のご入園、ご進級、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。今まで乳児保育を受けたお子さまもそうでないお子さまも、今日からみんな一緒、幼稚園の仲間、幼稚園っ子です。本当に不思議な縁を感じます。この年幼稚園で一緒に存在すること自体、考えれば考えるほど不思議で、本当に偶然な出来事です。人はその人と人生で少なくとも2回は会うと言われます。そうであればその縁を大事にして輝く未来を進んでいきましょう。  幼稚園では今まで経験や体験しなかった事がいっぱい出てくるでしょう。そんなときは臆せずに先生に問いかけてください。寂しくなった時も、悲しくなった時も又有頂天になってうれしくなった時もそっと先生に打ち明けてください。きっと先生は優しくその解を教えてくれることでしょう。寄り添ってくれることでしょう。    これから始まる三年間、四年間の就学前教育、きっと皆さんは大きな成長を遂げ、たくましく、立派に育っていくでしょう。いろいろ経験をしましょう。いろいろ体験しましょう。いろいろ知識を増やしましょう。先生はいつも皆さんの味方です。いつも皆さんのそばにいます。安心して幼稚園生活を楽しみましょう。そして進級する皆さん、皆さんは幼稚園ではお兄ちゃん、お姉ちゃんになりました。幼稚園のことは何でも知っています。新しい仲間に優しく、丁寧にいろいろ教えてあげましょう。皆さんが前にそうされたように。    お子様の入園された保護者の皆さまにとっては、初めてお子様を未知の世界に送り出す不安や心配がいっぱいおありだと思いますが、どうぞ安心して私たちにお任せいただきたいと思います。子供たちに寄り添い、様々な問題を解決して、子どもたちの信頼を得て、教育活動に取り組んでまいります。    又進級された園児の皆さんのこの一年間の様々な活動は本当に立派でした。この一年で大きく立派に成長を遂げられました。頼もしい限りです。私たちはこれからもこの大事な「三つ子の魂百まで」の幼児期、将来に禍根を残すことなく、全身全霊取り組んでまいります。    いよいよ新しい船出です。  この一年、お子さまにとって掛け替えのない年であります様に、そして又光り輝く希望と期待の一年でありますよう心より切望しています。春爛漫、いざ出航です。

01 3月 2023

巣立つ子らへ
ー3月のことばー

   少しずつ日差しに春を感じ、クロッカスにも小さい黄色の花が咲き始めました。梅の花も満開を迎え、固く閉ざした樹木の蕾もふっくらとなってきました。ボケやモクレンが今か今かとその出番を待っている。いよいよ春の到来です。自然の大地が春の来たことを感じ、草木が徐々に芽吹き、成長しつつあります。北国では山や野が雪化粧を落とし、トドやアザラシが流氷と共に訪れるころになりました。    この時期昔ほどでないにしても、霞がたなびく季節であり、なんとなく心もざわめき始める時です。何かしら期待と希望の幕開けです。それらすべては大気と土が潤い、日差しが強まった事の証でしょう。田んぼの畔や土手で顔をのぞかせるツクシやタンポポ、レンゲ、それらの花と匂いが重なり合って私たちに自然と共に生きることの素晴らしさ、魅力を教示している。  自然の躍動と私たちの鼓動が相まって、全てが大きく波打っている。生きとし生けるものすべてに万歳です。先日の発表会に際し、ご来園、ご声援ありがとうございました。本人の頑張りもありますが、この一年間の成長・発達は目を見張るものがありました。精一杯頑張った、持てる力を出し切ったとほめてあげたいと思います。  それと同時に先生方も子どもたちとかかわり、様々な行事を苦労し、努力して乗り越えたことによって、本当に大きな成長を遂げたと思います。この頃の幼児教育を卒業する短大生、大学生のほとんどが「楽だ」とか「ピアノがいらない」とか言って保育所志望する中にあって、幼稚園で一生懸命子どもたちと交わり、努力し、練習し、前向きに頑張っている先生は本当に立派だと思いました。人は生涯勉強し、努力しなければと言われます。    そして又努力は人を裏切ることはしないとも言われます。私の知り合いの中には官僚も大企業の社長さんもいませんがその人たちは時にはマスコミにたたかれ、一般の人からは怨嗟の気持ちで見られることもあります。  それは正当な評価でしょうか。日経新聞の私の履歴書を読み、様々な話を聞くと、何倍もの努力をし、勉学に努め、今の地位にたどり着いた人がほとんどです。中には青雲の志が実を結ばなかった人もいることでしょう。    しかしそんな人はほかのことで運をもらっているかもわかりませんし、人間として大きな成長を遂げていることもあります。アメリカ人と違って、日本人は人の成功を羨んだり、けなしたり、あるいは何かあるのではと勘繰ったり、はては失敗すればいいと思ったりする。アメリカでは、あの人が成功したのだから、私も頑張ろうと前向きに考えることが多い。    長年この日本に住んできて、よく考えるに、若い人は大事に大事に育てられてきたせいか、最後は誰かが助けてくれるだろうと甘い考えを持つ人が多い。それで働き口がいっぱいあるからと言って転職を繰り返す一因になるのかも。腕を磨きたい、技量を盗みたいと言って有名店で修業する若者が多かった。    理不尽のことや下働きに堪えて、自分を磨いていった。しかし今やそんな店に修業に行っても、すぐにブラック企業だとか、人使いが荒いとかクレームをつけ、自分のことを棚に上げて人を訴えることがある。必死になって努力しなければ、挫折感だけ味わい、二度とない人生を無為に終わらせることになる。巣立っていく年長の子どもたちには、「友達を作ろう」、「勉強しよう」、「努力しよう」、「時には我慢もしよう」、「そして健康や事故には十分気を付けよう」 とエールを送りたい。  そして年長以外の皆さんには「もう少し私たちと一緒に幼稚園で楽しく過ごしていこう」と伝えたい。3月は春の彼岸の月、此岸(現世)に対する別次元の世界であり、拘束のない自由な境遇、身の上を考えてみることもできるし、それは一種の理想郷であり、観念の世界になっている。    それ故、この時期に巣立つ子どもたちには、汚れと不自由に満ちた此岸に、理想と意欲に燃えた彼岸をもたらしたいと思う。世間の荒波に翻弄され、悲しくなったり、寂しくなった時には幼稚園のことを思い出してほしい。又幼稚園を見に来てほしい。私たちも精一杯頑張って、いつまでもこの地に幼稚園、皆さんの母園が存在し続けるように努力していきます。    Von…

01 2月 2023

惻隠の情と積善の家
ー2月のことばー

   共通テストが終わった。その結果で志望校の選択を迷っていることでしょう。蛍雪の功とか二宮金次郎という言葉はいよいよ人々、特に若者の中から無くなってきたと報道されています。大学全入時代に突入したと言っても、何倍もの大学があるかと思えば、定員を充足できない大学も多数存在する。    ただ単に所属しているのではなくて、その目的を達成するために、そして少しでも自分の能力を向上させる目的で選ぶ、故に競争力の差が出てくるのは当然の帰結、大学という名前に昔ほど重きを置かなくなったし、ステータスのシンボルでもなくなった。とは言え、昔の高校生と同じかそれ以上に勉強し、努力した高校生にはうれしい便りが届いてほしい。    残念ながら栄光を手に入れることができなくて、今となっては色褪せた浪人生活を余儀なくされても、次の一年間の頑張りは人生において決して無駄ではない。逆に大きな成功への一歩になるかもしれない。兎に角努力しよう。意欲を持とう。何事にも泣き言を言わずに積極的に取り組もう。そんな姿を人は知っている。言葉に出さなくとも人はじっと見ている。  一年間の予備校生活の間にいろいろな友達ができ、様々な環境があることを学ぶだろう。昔は府立高校はオールマイティーで、私立高校は、ある意味、府立高校の不合格者の行くところであった。しかししばらくして、その立場が逆転した。成績優秀者は私立高校へなだれ込んだ。今、受験競争は幼稚園から既に始まっているとも言われている。    英語教材も含んだ様々な学習教材、私立小学校への受験、小学校は公立でも、私立中高一貫校への進学、勉強する子とそうでない子の二極化が進んできた。勉強の能力、すなわち認知能力も大事だが、自制心、計画性、協調性、忍耐力、意欲 など等の非認知能力も大事であり、これも人生における大きな成功のカギだと言われる。    広い園庭、幼稚園という有利な恵まれた環境を利用して、子どもたちのさらなる能力、隠れた能力を伸ばし、引き出していきたい。ところで、世の中はなぜもこうも索漠としたものになったのでしょうか。円安になり、物価が上がり、給料が上がらなくなって、ドイツに抜かれて、世界ナンバー3からナンバー4になるのは目前、もう抜かれているのかも。    毎日のように一部の若者たちが疑いを知らない、あるいは持たない善良なお年寄りをだましてお金を奪う、危害を加える、命を奪うことが大きなニュースとなっている。一部の若者の暴走に過ぎないと言う人もいるが、由々しき事態になってきた。日本は世界で一番安全な国でなかったのか。私たちは恥の文化を忘れてしまったのだろうか。    それがグローバル化、コスモポリタン化の悪い一面だろうか。日本や日本人の狭い範疇にとどまり、人と助け合い、人の難儀を見過ごしにできない慈悲心、惻隠の情を忘れてしまった、あるいは持っていないのだろうか。西洋の優れたものを取り入れることも大事だが、足元の日本人の長年にわたって培われてきた文化や思想、考えも本当に大切にしたい。最後に一つの言葉を贈りたい。    「積善の家、必ず餘慶あり、積不善の家、必ず餘殃あり」善を積んできた家は必ず孫に至るまで幸福が続く。反対に不善の行いを積む家には必ず子孫に至るまで災禍がつづく。  太陽が少し私たちに近づいたとはいえ、一年のうちで一番寒い時期、天が私たちに与えた試練を克服し、明るい春に向かって一歩踏み出しましょう。    今月もよろしくお願いします。

01 1月 2023

明けましておめでとうございます
ー1月のことばー

   「福寿草 遺産といふは蔵書のみ」高浜虚子。旧暦の正月、花のない乏しい寒期に咲く鮮やかな黄金色の花、そして新年を祝うめでたい「福」「寿」の文字、アイヌ伝説によれば、父君が選んだ婿の神を嫌って結婚を拒み、神の世界から追放されて、野の咲く花に変えられたクナウ。保護者の皆様の2022年はどのような年でしたか?思わぬ運が転がり込んできたり、反対に不運に見舞われた人もいたかもしれません。    しかし大多数の皆さんはいつもの年と同じあまり変化のない年月だったのではと思います。私にとっては勝手に第二の故郷と考えているアルゼンチンがFIFAワールドカップで36年ぶりに優勝したことがいい出来事でした。  最初に訪れた53年前のサッカーの熱狂ぶりからして、痛いほどその感激ぶりが伝わってきます。当事者には全然わからなくても、世界には勝手に、静かに応援する人がいることは誰もが認めることだと思います。それでは2023年はどんな年であって欲しいでしょうか?  物価の急激な上昇が収まり、日常の生活が少しは楽になる、お子さんが無事進級、進学してほしい、懐かしい人に会いたい、いろいろな思いがいっぱいあると思いますが、突き詰めていけば、いつもと変わらない平凡さが一番かもわかりません。思いの10%位が実現し、50%も実現すれば、超感激でしょう。  お子さんが健康で、勉強にスポーツに一生懸命取り組んでほしい、幸せや運がもっと来てほしい、そんな保護者の皆さんの願いに少しでも応えることができますように、私たちもこの2023年は様々な観点からSDGsへの取り組みも含めて、幼児教育を再確認していきたいと思っています。  保護者の皆様に寄り添い、保護者の皆様からの厳しいご要望にも誠意を込めて取り組んでまいります。手を携えて子供たちの成長発達を図っていきましょう。  その為にも「親の背中を見て、育つ」の諺通り、私たち大人が様々なことに努力し、子どもたちの模範になるような姿を見せなければなりません。さて国の根幹は教育です。戦後アメリカ軍は日本の教育を根本的に変えました。今でも、ある国では自由で主体的な教育を認めずに国民の意見を同一化しようとしています。  「三つ子の魂百まで」、その時期から徹底的に負の教育をされたら、いったいどんな意見を持つ子が育つのでしょう。日本はある意味恵まれていますが、自由の中にも一定の規律が必要であるのは言うまでもありません。  「何事にも努力すること」「礼儀作法を身に着けること」「日本の歴史を学び、伝統的歴史文化に誇りを持つこと」日本人が日本人であることの規範であり、証でもあると思います。コスモポリタンの中にあってもやはり「日本人は違う」というアイデンティティが必要です。  残念ながら日本の少子化は止まりません。2022年の出生数は80万人を切ることは確実です。周りを見ても幼児の少ないことに驚きです。そんな中で子どもたちはますます自立の必要性に迫られています。保護から脱却して独り立ちの世界です。子供たちの自立を促す意味で、私たちは何をなすべきか。  その土台作りをしっかりと私たちは取り組んでまいります。何事にも挑戦する子どもたちを育てていきます。新年は不断に流れていく時間につけた一つの目盛りであり、命が新しくなる時です。足踏みせずに動き続けます。前進続けます。若さは可能性がいっぱいです。十分それを意識しましょう。  年取ってその可能性に気付いたとしても、それを伸ばす力が失われていることが多い。  アメリカの政治家で科学者のフランクリンは13の徳を言っています。1.節制 2.沈黙 3.規律 4.決心 5.倹約 6.勤勉 7.誠実 8.公正 9.中庸 10.清潔 11.平静 12.純潔 13.謙譲 私はこれに感謝と素直も付け加えたい。  ある幼稚園の主任の先生がいみじくも語っていました。家族に感動を与えることができる幼稚園でありたい。子育ては一筋縄ではいかず、沢山の苦労があります。特に幼児期の保護者は心配事が山ほどあり、お母さんという立場の人は産後うつ、育児ノイローゼ等、体がマイナスな状態になるリスクを抱えながら子育てをしています。  そんな中でこの幼稚園に入園させて良かった、母親(父親)になってよかった、子育ては大変だけれどもこんな経験をさせてもらえる園に入れてよかった。逃げ出したくなる日もあるけれど、お母さんになって本当に良かったと思っていただけるような園でありたい。  私たちもお母さんからゆるぎない信頼を得、頼ってもらえることができる幼稚園を目指して、2023年ひたむきに取り組んでまいります。  本年も変わることのないご支援、お力添えをお願いいたします。

01 12月 2022

厳しさの先に見える一縷の光
ー12月のことばー

  「旅に病んで夢は枯野を駆け巡る」51歳の時に旅をこよなく愛した松尾芭蕉は、旅の途中、病床に伏しながらも、「夢に見るのは今なお枯野を駆け巡る私自身の姿」と詠んだ。今では想像もできない情景だが、私が生まれた泉北の地は、開発される前一部このようであった。虫の音も聞こえず、寒風が吹きすさび、ススキの穂が大きな波を打っている。荒涼とした大地、荒れ地、自然の厳しさを身をもって教えられた寂寥とした風景であった。芭蕉自身も、もう旅に出ることはできないのではという悲観的な考えをする一方、反対に今は病で伏しているが元気になったら、夢の中で枯野を駆け巡っている希望的な解釈、まさか4日後にはこの世に別れを告げる時が来ようとは思ってなかったであろう。古今東西を問わず、私たちは苦しい時に何か明るい希望の情景を作りだしたり、思い出したりして生きる意欲を駆り立てる。いつのまにか12月、冬の季節を迎えた師走、老人たちにとってはもっと遅く来ればと思ったりする年末、されど子どもたちにとっては大きく、たくましく育ったこの一年、保護者の皆様の2022年はどうでしたか。勿論悲しい出来事もあったかもしれませんが、子どもたちと過ごすたくさんの小さな喜びも存在したことでしょう。どうぞその喜び、幸せを大切にされて、2023年、新しい時を迎えられることを心より祈念しています。 さて、長崎での研修大会では、まず初めに私は初めて名前を聞いた高校でしたが、創成館高等学校校長の奥田修史さんの話がありました。1971年生まれ、ハワイ大学を卒業し、帰国後祖父の代から続く奥田学園に就職し、32歳で理事長、34歳で校長に就任した。それまでは「偏差値なし」、経営破綻寸前、年間生徒指導数300以上、名前を出すのもはばかれる学校、地域から嫌われる学校であったが、数年で立て直すことに成功し、今や有名国公立にも多数合格するほどに実績を伸ばし、野球部は甲子園常連校になるほど成長した。以前の入試説明会では体育館がガラガラであったが、今やあふれるばかりの志願者が押し寄せている。ラジオ、テレビの出演も多く、その経営手腕は高く評価されている。赴任したころは「そんなことをしても無駄」「どうせできない」というような「負の考え」が充満していた。若さも大きな武器だったのでしょう。まず学校の常識を疑ってみた。次にオリジナルな物に変えていった。又批判されようが独自性を貫いていった。そして負け犬になっていた生徒、教職員に自信と希望をつけさせた。I PADを生徒全員に持たせたり、定期考査を廃止して、毎週テストしたりした。教職員の朝礼では笑顔のない朝礼はいらないと言い、先生がアロハシャツを着ての勤務も行った。いわゆる型破りを実践した。「本気で生きる姿を見せる」「本気しか物事を動かされない」と断言し、宿命と運命の違いを述べた。 次に文科省の藤岡幼児教育課長の話があった。文科省の官僚だが、実際横浜の旭中学校の校長として3年間勤務した。校長を経験した官僚は二人目であった。安全な環境の確保として、スクールバス事故を受けて、子どもの安全安心対策支援パケージの導入支援を言われた。実際スクールバス所有の全ての園に行政からの実施調査があった。近々文科省主導でバスに再発防止機器が取り付けられる予定だ。次に出生数の推移を述べられ、1973年に210万人が2021年には80万人に減少した。この事で、経営者及びミドルリーダーの意識の醸成が重要だと説いた。施設の数では令和3年度は幼稚園9418園、100万人、認定こども園8535園106万人、保育所31238園209万人となっている。又待機児童は2017年には約2.6万人いたが、2022年には3千人になった。教育基本法では幼児期の教育は生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものと定義され、粘り強さ、好奇心などの非認知能力がついているかどうかが求められている。そして学校教育法第22条では幼稚園は義務教育及びその後の基礎を培うものと定義され、あきらめるのではなくて、やってみよう、教えられたことだけやるのではなくて、いろいろなことに興味をもってやってみることが大事と言われ、そして幼稚園と小学校の接続、連携の重要性を強調された。次に新潟大学の溝口教授の少子化と新しい家族の創成についての講演がありましたが、その中で家族持ちは「しんどい」、結婚の意思があるのに、結婚しなくなった。子を持つコスパ悪化で、「しんどい」結婚生活になるので、未婚化の一つの要因かもと言われたことが気になった。今回の研修大会を通じて、私たちは子供たちの可能性を伸ばすために、様々な方策を考えるべきであり、それが「三つ子の魂百まで」の格言に沿う努力目標ではないかとの思いを新たにした。

01 11月 2022

エキゾチックな香りに魅了されて、長崎へ
ー11月のことばー

  スペインの国の花、グラナダ(ザクロ)が家の軒先で最大のおめかしをして、その実を食べるように私たちを誘惑している。昔スペイン語の教授がザクロはその実の形、内容から手りゅう弾と同じ意味を持たされているのを残念だと語っていたことを思い出す。秋が深まっていく10月下旬、その日、暗闇の中、早朝5時30分に家を出て、伊丹の大阪空港に向かった。駐車場はまだ余裕があった。久しく来ていないせいか、手荷物検査場の場所が変わっていたのには驚いた。7時20分発のJAL2371便の搭乗口は一番遠かった。待つこと30分、機内はそんなに混雑していなかったが、ランウェー(滑走路)は混んでいて、15分ほど待たされた。その遅れを取り戻そうとしているかのように、飛行機は出力を最大限ひねり出して、急角度で高度を9000mまで引き上げた。1時間ほどして、大村湾の上空に到達し、低空飛行を維持しながら無事長崎空港に着陸した。タクシーの運転手や町の人にいろいろ聞くのが好きだ。この飛行場は元は大村空港と言って、海岸沿いにあったが、騒音などの関係で、1975年、対岸2km先にある箕島を買い取って、日本で初めての海上空港になったそうだ。箕島には10世帯弱の住民が住んでいたが、町に移住してもらった。先祖代々受け継がれ、住み続けてきた人たちの心情はいかほどのものだったか?人は重大な決断をせねばならない時が何回かやってくる。何を大義名分にして決断をするのだろうか。そのお陰で今の大村市は長崎県の中では長崎市、佐世保市、諫早市についで人口では4番目で、町はきれいで、発展し続け、住みたいという人が増えていると、その人は自慢げに語っていた。通過するだけの新幹線はいらないと言って、又水は他県に流れるとか言って、リニアに反対する、それぞれの知事はあまりにも狭い了見の持ち主ではと思ったりする。今は一地方の問題であっても、将来的にはどのように展開するかわからない。レンタカーのカローラを借りて、40kmほど離れた長崎市を目指して、右手に大村湾を見ながら車を進めた。第37回全日本私立幼稚園連合会設置者・園長研修大会の会場、出島メッセ長崎はJR九州長崎駅の目の前であったが、ホテル同様、ナビにはなかった。新しすぎるせいであった。連合会会長の二つの発言が印象的であった。一つは丁度真冬にフィンランドの幼稚園に行ったとき、保育時間は朝8時から4時までと言われた。フィンランドの冬は夜が長い。それでは昼の長い夏の保育時間はもっと長いですかと質問すると、3時までですと答えられた。その理由は家族と過ごす時間が本当に大切だからですとのことであった。それに後の一点は非認知能力のことであった。認知能力はIQ等に示されるように点数などで数値化できる能力、それに対して、テストなどで数値化が難しい、内面的な能力、例えば意欲、忍耐力、自制心、判断力、行動力、協調性、思いやり、創造力や応用力等、子どもが人生を豊かにするうえでとても大切な能力。そしてこれらの能力は幼児期から学童期に育ちやすい。それらの涵養のために、園庭の活用が大切であり、広い園庭を持つ幼稚園は大きなメリットがあり、その活用方法も十分認識すべきだと説明した。最後に子供とともに育つ楽しさ、うれしさ、そしていかに良質な教育をしていくか、子ども自身が生まれてきてよかったと思える社会、伝えたい思いがある社会、そんな社会ができるように私たち幼稚園関係者は身をもって努力していかねばと述べた。次に長崎県の大石けんご知事と長崎市の田上富雄市長の話が続いた。知事は千葉大学出身のお医者さんで、この前まで厚労省のコロナ対策委員であった。今年39歳で日本一の若さで知事になり、3,4,5歳の3人の幼稚園児の親、一方の市長はお孫さんが幼稚園児、両氏とも長崎県五島の出身だが、異国の香りがする長崎、グラバー邸、オランダ坂、出島など等、長崎のいいところをいっぱいアピールしていた。実際新しい長崎駅の1階の食堂街で食べた海鮮丼ぶりは本当においしかった。又その夜に市内の稲佐山に登ったが夜景が見事であった。両氏は幼児期の重要性はいくら強調してもしすぎることはないと述べられ、変えてはいけないもの、変えなければならないものをしっかり見極めながら行政を進めていくとお話しされました。そのあとの記念講演、文科省の役人による行政報告、基調講演については12月の園便りで報告いたします。いよいよ今年もあと二か月、それが短いか長いかは別として、季節の変わり目、十分に気を付けて日々を過ごしましょう。

01 10月 2022

未来の立役者、幼稚園児たち
ー10月のことばー

  ピラミッド、アンコールワット、マチュピチュ等々、世界には大昔から建造物や遺跡が数多く存在する。中国の歴史には及ばないが、日本にも古くからの遺跡や建造物が今でも輝きを放って存在している。そしてそれらが日本の景観美と相まってインバウンドの目玉となっている。最近では明治時代に建築された建物が優れた建築家の作品であるという理由で保存運動がおこったり、実際保存されている。卑近な例では南海本線の諏訪森駅や浜寺駅の駅舎が保存されつつある。それはそれで確かに過去の人々の歴史を知るうえで貴重な遺物だろう。何も目に見える大きな構築物だけではない。路傍の記念碑、胸像、はては小さな石碑にしても現在まで残っているのは何かのいわれがある。建築家の名前にばかりスポットライトを当てて、それを実際に作り上げた人々、その建築にゴーサインを出した人々には何も光が当たらない。私の周りにいた、例えば型枠大工さんはある設計家が設計した複雑な建物の型枠を作ることに大変苦労していた。イラン出身の有名な女性建築家、ザハ・ハディッド(Zaha Hadid)が設計した東京オリンピックのメイン会場は、一度決まったものの没になった。決定権を持っている人が一度決めたものを世間の圧力に屈服して、それを反故にした。審査委員長の無責任な言葉が印象的であった。後世に残った建築よりも優れた建築物が設計の段階であったかもしれない。日の目を見なかったのは何も建築に限らない。例えば自動車でもモックアップモデルの自動車で実現されなかったモデルは実際販売されたモデルよりも多いと思う。Isuzu 117クーペは本当に素晴らしいデザインだと思ったが、弱小販売力の悲劇であった。建築家、設計家、デザイナーの自己満足だけではうまくいかない。当時批判されたが、それを押し切って後世に残る奇抜な建物を許可した、時の権力者に大きな拍手を送りたい。 さて、幼稚園には様々な行事、いろいろな参観や研修、遊び、人や動物とのふれあい、花や野菜の栽培等、数多くの活動があります。それらのことに真剣に取り組み、情緒的にも知的にも豊かに育ってほしいとの願いはどの幼稚園でも共通のものです。しかし公立幼稚園と違って、私たちは自力で経営していかねばなりません。その意味でも、いくら立派な教育・保育理念やそれを実行しようとする強い意欲や意思を持っていたとしても、そしてそれは当然のことですが、その対象となる園児がいなければ、経営が立ち行かなくなり、絵に描いた餅になってしまいます。私たちの幼稚園には園内でのお子さんの様子をよく知ってもらいたいとの思いで、行事や参観が多くあります。そのことが両親とも勤務している保護者には不都合であるとの話も聞きます。しかしその場合でも当該園児には何ら不都合になったり、寂しい思いをしないように十分教育的配慮を考えています。10月1日は毎年園児募集、すなわち願書受付の日になっています。極端な話をすれば、今までの教育、保育が支持されてきたか、そうでないかの審判を受ける日だと思っても過言ではありません。ところで幼稚園は1840年、ドイツのフレーベルが小学校に上がる前に幼児のために作った学校が最初であり、kindergartenと呼ばれました。尚保育所は厚生労働省所管の児童福祉施設であり、保育(養護と教育)を行うもので、学校教育法による学校ではありません。日本の最初の幼稚園は1876年開園のお茶の水女子大付属幼稚園であり、146年の歴史があります。諏訪森幼稚園も鳳幼稚園も90年以上の歴史があり、美木多幼稚園も45年目を迎えている。それぞれ卒園児も多く、今では各界で活躍している。私たちの希望はただ私たちの幼稚園に通園している子どもたちだけが恩恵を受けるのではなくて、結果として通園していない子どもたちにも何らかの良い影響を与え、挙って成長・発達を促していきたいと思う。私たちの国は何度も資源を持たないと口が酸っぱくなるほど言われ、教えられてきた。その代わり、優れた頭脳の持ち主が他国に比較して数多く存在すると言われてきた。しかし今現在、その面でも自信が揺らぐ確かな証拠や数字が列挙されている。自信とプライドを失いつつある今の日本人に将来に誇りを取り戻せるように幼稚園児や幼子にも頑張ってもらえる基礎を作りたい。その為にも幼児教育の重要性をいくら言っても言いすぎることはない。私たちは保護者の皆さんの全幅の信頼を得て、その熱い思いに応えることができるよう教職員一同力を合わせて進んでまいります。ご期待ください。 10月、神無月、October,八番目の月、今月も元気いっぱい出帆です。

01 9月 2022

Life is short, Art long.
ー9月のことばー

  美木多幼稚園は45年、老人施設「ハーモニー」が25年、諏訪森幼稚園は12年、鳳幼稚園は10年目を迎えました。通算の歴史をたどると、鳳も、諏訪森も90年以上にもなるのですが。緑あふれる施設、自然との共生、子どもたち、保護者の皆様、そして高齢者の皆様に喜んでもらえる施設、建物、先生や職員との暖かい心の通った関りや運営を、当然ですが、心がけてまいりました。私たちの成長と同じく、樹木も生育し、枝が道路にはみ出し、影を作り、迷惑をかけていることもある。人との共生という観点からは、お互いに譲り合わなければいけないのは当然と思いながらも、根元から無残に切り倒されているのを見ると、本当に悲しい気持ちになる。そんな中で特養などの老人施設では終の棲家として、何が必要なのか?長年日本経済発展のために、日夜努力されてきたお年寄りが、今いる所が最終の場所として、満足してもらえているのか?十分なケアをしてもらっているのか?誰もが例外なく迎える老いの姿、100%とはいえないまでも、楽しかった、有意義な人生であった実感して、最期を迎えてほしいという思いを職員の皆さんと共有したい。団塊の世代が後期高齢者にさしかかった今、問い合わせや入所希望者が増加してきた。対して幼稚園はどうだろうか?泉北ニュータウンの開発、発展につれて、最初の15年くらいは園児の増加がうなぎ上りで、マンモス幼稚園と呼ばれたこともあったが、今はピークの三分の一、これは何も自然減や人口減だけの理由ではなくて、美木多幼稚園、「もっとしっかりしなさい」という戒めの言葉であり、捲土重来の励ましの言葉でもあると思う。諏訪森幼稚園は堺市で最初の幼保連携型認定こども園として認可を受け、90年余りの基礎の上に、今は高齢者となった卒園児や地域の人に愛されて素直に成長してまいりました。鳳幼稚園は民営化された当時の熱気や高揚感が徐々に静まってきたとは言え、まだまだ熱望されて、鳳幼稚園を選んでいただく保護者の皆さんが多いのは本当にうれしい。毎年9月、10月は願書配布と願書受付の時、保護者の皆様にどれ程信頼されているか、頼りにされているか、それが私たちにとってのバロメーターであり、一喜一憂の瞬間です。どちらにしてもこれからも子供たちの楽しくて、幸せな顔、そしてその後ろにいる保護者の皆様の大きな喜びと、信頼感をいただけるよう、今以上に教職員一同力を結集してまいります。どうぞ今一度私たちに任せていただき、私たちは悔いのない、後悔をさせない保育に努めてまいります。よろしくお願いします。 あなたの趣味は何ですか?よく聞かれる。野球とか、写真とか、読書とか音楽鑑賞とか答えていた。30歳の時に一般企業に勤めていた大学の同級生にゴルフを勧められ、その後それが趣味になった。勿論友達と一緒に行くこともあるが、ほとんどの場合、一人で行って、知らない人のグループに入れてもらう。サラリーマンや会社経営者、弁護士や医者などの自由業の人、様々な職種の人に出会い、いろいろ知識を得たり、見聞が広がることもある。私たちの年齢ではもうボールも飛ばないし、方向性もうまくいかないし、スコアもまとまることが少ない。ただ「昔はもっと上手かった。」というのが関の山であり、言ってもどうしようもないし、「又昔のことを言っている」と非難気味にけなされる。そんな時に、80代になったのに、まだまだ上手くなろうとして、練習したり、プロに教えてもらう人が多い。そのことにも感心していたのに、90歳を超えてもまだプロに教えを乞うゴルファーのことを聞いた。あと何年ゴルフができるのか、あと何年生きながらえるのか、微妙な歳であるのに。高齢者でプレーをしている人の中には足が痛いとか、腰が痛いとか言う人が多いが、逆に考えれば、そんな境遇でも、それだけ前向きの考えを持っているのだから、神は命を伸ばしてくれるのだろうか?あるいはその意欲で、その人の寿命がどんどん伸びていくのだろうか?生物学的、医学的に人間はいくら努力しても、限界がある。しかし少しでもそれに近づこうと努力している。人生は一生勉強だと賢人たちは言っているが、本を読むだけが勉強ではあるまい。何事にも打ち込むこと、没頭すること、何事にも前向きに努力することがこの世で生きた証であり、私たちが見習わなければならない教訓だ。幼稚園の子供たちにとってはこれからの90年は長いように思えるが、それに近づきつつある私の感想からすれば、本の瞬きのような瞬間であり、陽炎のようなはかなさだ。すぐにやって来て、すぐに消え去っていく。その意味でもこの瞬間を大切にし、後悔のない時にしたい。Life is short, and art long. 運動会の練習に忙しい9月、長月、台風の月、雨や風に負けることなく、運動会の練習頑張ります。当日保護者の皆様方によく頑張ったねと褒めてもらうことを期待して。

01 8月 2022

閑話休題
ー8月のことばー

  ある識者は滅亡するあるいは衰退する民族として、次のような例を挙げている。 1. 理想を失った民族。 2. すべての価値をものでとらえ、心の価値を失った民族。 3. 自国の歴史を忘れた民族。 私たち日本人は果たしてどうだろうか。その崇高で高邁な理想を持つ民族として、世界から尊敬と畏怖の念で見られていたのが、近年ともすれば、拝金主義の横行と大いなる利己主義に苛まされている。民族の誇りと矜持を持ち続けることが少子化に悩む日本のあるべき姿と思う。時あたかも凶弾に倒れ、不慮の慚愧に堪えない非業の死を遂げた元首相の主義主張とも符合する。意見は異なっても何とかして民族の魂を揺さぶり、惰眠をむさぼる民族を叱咤激励する姿はだれも否定できない。どんなに怒りがあっても、どんなに逆上しても、どんなに我慢できなくても、人が人を殺めることは、例え戦争であっても、してほしくない。若い青年男女がその先を見ることなく、この世に別れを告げている。西洋と東洋では死生観が異なるといえ、本当に痛ましいことだ。どうか幼稚園のこの子たちが22世紀の世界を見るまで、元気に生き延びてほしいと心より祈らずにいられない。太平洋戦争で命を落とした100万人以上の日本人がもうこんな馬鹿げた殺し合いを止めてほしい、自分たちだけで十分だと彼の地で願っている。終戦の年、私はまだ1歳にもなっていなかった。そんな私が今まで生きながらえてきた事に、祖父母、両親、知り合いの人や近所の人、そして名も知らない多数の親切な人々にいくら感謝してもしすぎることはない。 閑話休題、少し前に伝説的なカーレーサーの中嶋悟の話を読んだ。「レーシングカーは少ない距離の走りに耐えたらいいだけだから、そんなに強い車体はいらない。」驚いた。あんな高速で走っているのだからずいぶん丈夫に作っていると思っていた。実はその逆。若い時より車に少し興味があった。しかし基本的なことを知らなかった。小林旭の「自動車ショー歌」は有名だが、今は存在しない車や会社がある。目という岸和田出身のセールスマンを通じて、日野自動車のコンテッサが家にやってきた。リヤエンジンの優美な車だった。学生時代には親のブルーバードSSSに乗った。当時としては高馬力の100馬力であった。プリンスのスカイラインGTBは垂涎の的であった。月給3万円の時のフェアレディは100万円、しかも現金での販売のみであった。手に負えなかった。20代の会社員の時は堺から門真まで、最初は2ドアのカローラ、その後セリカのリフトバックに乗り換えた。教員時代は日産のローレル2ドアであった。私の好きな車であった。50代ではスバルSTIと三菱ランエボを交互に何回か乗り換え、マニュアルシフトを楽しんだ。エボファイナルは今でも惜しい車だ。25年前のランクル100は盗難にあって、嫌な思い出だ。300にも乗ったが、25年の進歩はどのレベルかよくわからない。GTRは異次元の瞬発力だが、タイヤの溝があまりないので、4WDにも関わらず、スリップが本当に怖い。15歳で50CCの免許を取って以来、幼稚園バスの運転も兼ねて、大型免許も所持している。SDGsの問題もあるが、時計も含め、メカメカしたものには心を惹かれる。今年の夏休みはコロナの第7波が押し寄せている。厚労省は高齢者の接触以外ではマスクの不要をTVで流している。対人や環境にも十分気を付けながら、マスクのない爽やかな夏、生活を楽しみたい。今年の夏は海や山、行楽地へ出かけるのもありかなと思う。毎年休み明けには一段と大きくなった子供たちの姿がまぶしい。病気に罹ったり、事故にあったりすることなく元気に2学期、幼稚園に帰ってきてほしい。幼稚園号は新しい冒険の世界に出発です。尚、厚かましいお願いですが、9月は園児募集の願書の配布、10月は願書提出となっています。ご近所、お知り合いで、対象の園児さんがおられましたら、ぜひとも入園を薦めていただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

01 7月 2022

和顔愛語
ー7月のことばー

   母は師範学校を卒業し、小学校の教員として働いた。若いときには満州にも行ったそうだ。何事にも活発な進取の気性に富んだ女性であった。最初は自転車やバス通勤をしていたが、スクーターが発売されると(確か三菱のピジョン)、すぐに購入し、通勤方法がそれに代わった。家の前の坂にその音が響くと、帰ってきたことがすぐに分かった。勿論昭和30年代にそんなことを許す父親も寛大であった。    赤坂台小学校を定年の一年前に退職して、美木多幼稚園設立と同時に初代園長に就任した。私から見ると、何事にも意欲的で、優しく、近所の子供を集めては文字や書道などを教えていた。母はお花、お茶、書、体操などが得意で、特に書道に関しては年老いてからもその道の先生に教えを請い、数多くの作品を残した。私は書を書いているのを知っていた。    ある時母が表装の話を私にしたが、私の中では想定外の高さの費用であり、その希望を実現させてあげることができなかった。それ以降その話をすることはなかった。あの時の医者の対応に満足したわけではなかったが、国立大阪病院で2年間、ただ天井を見上げるだけ、話すことも手を動かすこともできずに過ごした。    ただ瞼を少し動かし、顔の表情を変えるだけの生活であった。頭はしっかりしていたので、余計悲しみが募った。もし追体験できるならば、表現するすべての手段を奪われた気持ちはどうだったのか、どの位残酷なことなのか、知りたいと思った。その母の死後、いろいろ整理していると、たくさんの書が出てきた。表装をすることを拒否されたそれらは、いつかは立派な額に入れられて、飾られることを待ち望んでいるように私には思えた。表装をする、額に入れる、それ自体は決して安くはないが、奢侈品を買うことを思えば、大きな額ではなかった。    私は自分の罪滅ぼしの意味でも、母への敬慕の意味でも、残されていた全ての作品を表装し、私の関係する幼稚園や老人施設に掛けさせていただいた。その中に「和顔愛語」があった。母の大好きな言葉であり、作品も多かった。額に入ったその言葉は毎日見慣れているせいか、何も意識することはなかった。時々いい言葉ですねと言われることもあったが、「ありがとうございます」と通り一遍の返事をするくらいであった。    しかし人は思いがけないときにふと目についた柱にかかった額の文句などにはっと心を打たれ、目を見張ることが少なくない。そしてそれが思いがけない時に思い出され、心の養いになり、決断する時の大きな力になる事もある。今回の私はこの言葉を見て、母を思い出し、優しさを知り、巧言令色でなく、笑顔になり、優しい言葉,いとおしい言葉で人に謙虚に接することの大切さを再認識することになった。私が生まれてきたのは勿論父親や母親のおかげ、もっとさかのぼれば、先祖代々のおかげだろう。  この事について、日本の戦前・戦後の首相等に大きな影響を与えた思想家の安岡正篤は次のように述べている。「わが幸福は祖先の遺恵、子孫の禍福は我が平生の所行にあること」「平生、己を省み、過ちを改め、事理を正し、恩義を厚くすべし」「成功は常に苦心の日に在り、敗事は多く得意の時に因ることを覚えるべし」「用意周到なれば、機に臨んで惑うことなし」今まで何事もなかったような物が急にある瞬間大きな意味を持つことがある。そんな思いを抱くことが多い。一種の好奇心を持ち続けているせいだろうか。  熱い暑い日々が続きます。どうぞご家族の皆様にはご自愛していただき、今しかない2022年の今月も有意義に充実して過ごされますことをご祈念いたします。  7月、文月、July、子どもたちの健康と幸せを願い、そしてコロナ撲滅を目指して Bon Voyage.

01 6月 2022

団塊 ビートルズ 全共闘 の世代
ー6月のことばー

   久しぶりにアメリカでの出生数が増えたとのニュースが報道されました。コロナ下での自粛や忍耐生活に対する反動ではないか?ちょうど世界大戦の終戦後に各国でベビーブームが起こったように。この現象はアメリカ独自のものか、それともこれから出産ラッシュが世界中で続くのか?日本の昨年の出生数は80万人余り、現状では日本が日出る国から日没する国と揶揄されても仕方がない。適齢期人口の減少、晩婚化、子供を欲しがらない、経済的な悪条件、未来に対する悲観的な考え、自由に生活を満喫したい、漠然とした未来への不安、子どもの人生に責任を持てないこと、様々な要因が浮かび上がる。戦前の産めや増やせや政策は現在には即しないが、子供を持つ喜び、子供を育てる喜びや楽しみを享受する人が増えてもいいのではないかと思ったりもする。    その絶望感の裏返しで、強い意見を言うと、パワハラだとかセクハラだと声高に非難される。誰もが本音で本音のことを言うのが難しくなった今の日本、言葉を慎重に選びながらの発言、ダイナミズムに欠けた日本の将来は私たち自身の双肩にかかっている。村八分にされない程度で、自分の意見を大胆に発することも必要だ。ところで、それまで毎年200万人位の出生数が戦争が終わると、270万人に増えた。1947から1949年。いわゆるベビーブーマーの時代、「団塊の世代」とも「ビートルズの世代」とも「全共闘の世代」ともいわれる。    日本だけでなく、欧米でも同じ現象が起こり、「ヒッピー」の言葉がはやり、ベトナム反戦運動が最盛期を迎え、様々な反戦歌やフォークソングが一世を風靡した。月から石が届き、「love story」の映画がヒットした。私は団塊の世代より少し上ですが、270万人の勢い、活力はマグマのように大きなうねりとなり、現状の社会に対しての大きなはけ口を求めてさまよい続けた。大学に行っても校門が閉ざされ、ロックダウンの状態であった。毎日警察とデモのせめぎあいがテレビで流れ、それに参加していた有名大企業のエリートの息子たちも大勢逮捕された。  中には悲惨なリンチ事件もあったが、デモや闘争はほとばしるエネルギーの発露となっていた。共産党系や社会党が大きな勢力であったが、若いときによく陥る憧憬のようなものであった。勿論それに組しない学生も数多くいた。企業や公務員に就職し、管理職に進むにつれて、それらは青春の時代に罹るハシカのようなものと考えられた。    しかし毎年270万から260万人が社会に出てくる迫力、熱量は大きく、経済の成長とともに、それを受け入れる大きな度量が日本国にあった。オリンピック、万博、新幹線、高速道路、新しい技術の創造や品質管理の追求、海外市場の開拓、夢があり、希望があり、企業や社会の応援があった。学生運動に費やした膨大なエネルギーを今度は企業戦士として、大いに発揮した。  正直言って、この団塊の世代を社会は吸収できるのかと心配されたが、社会も、企業もものの見事に受け入れ、日本発展の原動力となっていった。一部まだ過去を引きずる人もいるが、全体は穏やかな、心優しい日本人に変身した。日本社会は罪を犯した人には厳しい見方もある半面、すべてを受けいれる寛容さもあった。今は退職しているとは言え、現役世代の時の幹部の中には学生時代の活動家も多い。  ハシカがハシカで終わればいいものを、慢性病になるのであれば、困ったものだ。団塊の世代は後期高齢者に差し掛かった。あと何年かそのような状態が続くであろう。社会保険、医療保険、介護保険など等、様々な面で大きな負担が現役世代にもかかってくる。世は先送りとまで言わないが、一時期の日本のダイナミズムの形成に大きな貢献をした団塊の世代にも、豊かな健康で文化的な老後を送ってもらいた。その為にはただ援助を受けるだけでなく、それに感謝し、積極的に対応することも必要なことだ。同じ大地に生まれ、同じ空気を共有する私たちは同じ仲間として、お互い尊重と礼節の精神を持ち続けたい。  「上に居りて驕らず、下と為りて乱れず」人の上に立って傲慢にならず、人の下となっても秩序を乱すようなことはしない。 私たちには限られた命しかない、言い換えれば、私たちの命は有限。その中で切磋琢磨して、楽しく人生を過ごしてみたいものだ。  6月、水無月、アジサイの月、そして 幸せになるというJune brideの月、園児たちと一緒にたくましく前進していきます。

01 5月 2022

明日ありと思う心の仇桜
ー5月のことばー

   地上に住んでいる人、小鳥たちと同じように空中に住んでいる人、北海道に住んでいる人、沖縄に住んでいる人、裏日本や表日本(この表現が不適切ならば、日本海側や太平洋側)に住んでいる人、日本国中に住んでいるすべての人に5月の到来です。5月は行楽の月、一年のうちでもっとも爽やかな季節であり、心行くまで楽しむのもまた5月です。仕事と同じように、楽しむときは徹底的に楽しむことが必要であり、うじうじためらっていれば、いつしか人生の春は過ぎ去ってしまう。    人生が限りあるものゆえ、晩年になって悔いを残さないようにこの季節を大いに楽しみましょう。半袖にしようか、ベストが必要か、長袖に戻ろうか、いろいろ考えた4月と違って、5月は半袖、また木々の緑も濃淡様々、こんなに微妙な濃淡の緑色が存在するのかと驚きの連続です。私たちにはまだまだ自然界から教えてもらうことがいっぱいあります。自然を征服すると誰かが言ったとしたら、その人は自然の偉大さに盲目になっているのでしょう。    その緑色の隙間から洩れてくる「木漏れ日」、なんという優雅な響きなのでしょう。思わず木々の間につるしたハンモックの中で横たわっている姿を思い浮かべてしまう。大げさに言えば、自然界の大きな力が地上に降りたって、私たちを奮い立たせてくれているような錯覚に陥ってしまう。限りある命、せっかくの与えられた素晴らしい季節、惰眠をむさぼることなく、元気いっぱい爽やかに生きましょう。さて先日、子ども家庭庁が新聞で話題になっていた。    幼保一元化が叫ばれ、認定こども園制度が作られ、幼稚園や保育所から参入する施設が増えた。年長5歳児はイギリスのように小学校の義務教育に入れるべきだという意見は一応封印され、子ども家庭庁は認定こども園と保育所を管轄することが決まった。幼稚園は従前通り文科省の監督になった。日本全部で30000園の保育所、幼稚園と認定こども園はそれぞれ8000か所くらいであるが、最近は幼稚園から認定こども園に移行する施設が増えている。    これは偏に国からの補助金の増加で経営の安定に寄与することが大きい。幼稚園、認定こども園、保育所の利点などについては又別途お知らせします。 若い9歳の親鸞が仏門に入ることを決心したときに、周囲の人にそんなに急いで決断をしなくても、明日でもよいではないかと言われ、「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐のふかぬものかは」という歌を詠んだ。「明日も見ることができると思っていると、夜半に強い風が吹いて散ってしまうかもしれない。」転じて「今を一生懸命生きたい。明日になれば自分の命がどうなっているかわからない」諸行無常を歌に託した親鸞の心情ですが、私たちは得てして明日も明後日もそしてこれからも、未来が永遠に続くと思い、生活習慣もそういう風に慣れ、今の今を大事にせず、先にのばすことが多い。明日になったら始めよう。もう少し落ち着いたらとりかかろう。    まだまだ先が長いからこの辺で一区切りしよう。というように自分に都合のいいように解釈して結局何も手を付けられなかったことが多い。この際、先はないもの、明日は来ないかもしれないと考え、今日できることは今日するという習慣をつけたいものです。と書いたところで、高校で習った英語のフレーズを思い出しました。Do what you can do today. さわやか五月、皐月の季節、元気いっぱい出発です。    今月もご支援、お力添え、よろしくお願いします。

01 4月 2022

桜満開 春爛漫
ー4月のことばー

   その花の美しさにもかかわらず、不愉快な名前を付けられたボケの花、チューリップ、大好きな椿、トキワ、マンサク、モクレン、こぶし、クレマチス、蘭、数えればきりがないほどの沢山な木々や草花が最大限のおめかしをして、私たちを現世の桃源郷に招待しています。何の装飾も誇大もなく、本当に春爛漫の世界です。そんな世界に皆さんを迎えることができるのは私たちにとっては本当に幸せであり、喜びの極みです。入園・進級おめでとうございます。私たちの仲間に加わっていただき本当に感激です。これからは仲間の一員として、うれしいこと、寂しいこと、喜ばしいこと、悲しいこと等など、様々な環境の中で、手を取り合い、切磋琢磨して、大きな成長を遂げていきましょう。  進級する皆さん、幼稚園は第二の故郷です。皆さんはこの一年で大きく、たくましく成長を遂げました。これからは、お兄ちゃん、お姉ちゃんとして優しく、仲良く、時には強く、新しいお友達に接していきましょう。  アフリカやアジアのどこかの国で、種族の違いで争いがあるというニュースが頻繁に報道され、そのことに慣れきっている私でも、大規模の戦争が現にウクライナで行われているということが私たちの理解の範疇を超えている。新式のミサイル、戦車、航空機、対戦車ミサイル、超音速兵器、私たちの想像を超えた殺戮が進行している。極端な話をすれば、それらの兵器を作っている会社の株式を買えというブラックユーモアまで出ている。  そんな死の商人みたいなことが許されるだろうか。二つのことを思い浮かべてしまった。ウクライナの男性は国境を超えて避難できない。祖国のために残り、祖国のために戦わねばならない。その先に死が待っているかもしれない。ロシアの若い兵士もあまりその意義を理解せずに、戦場に送り込まれている。    そしてそこで命を失う可能性が高い。私たちは生きる世紀を間違えたのだろうか。戦場でたくさんの人を殺害したものは英雄と言われた。現在では犯罪だろう。両親にかわいがられ、育てられた若者が将棋の駒のように配置され、わずか20代でこの世から去ってしまう。理不尽な出来事であり、悔やんでも悔やみきれない。  命を全うするのが人間としての荘厳な生き方でないのだろうか。人が虫けらのように近代兵器の犠牲になっていくさまに身の毛のよだつような恐ろしさを感じてしまう。2点目は日本の敗戦のことを考えてしまう。全国民が玉砕するまで戦うということが言われた1945年、しかし時の政府は全面降伏を受け入れた。無意味な殺生を避ける意味でも、日本民族を絶やさないためにも、大義名分を捨て敗戦を受け入れた。    毎日毎日放送される戦争の状況、私はそんなことは見たくも聞きたくもない。その原因がなんであるか、そんなことはどうでもよい。人が人を殺める行為だけは決してしてはならない。これ以上その背後にいるお父さん、お母さんを悲しませないためにも。    大事に大事に慈しみ、育てられた園児の皆さん、たとえ私たちが平和ボケだと言われても、皆さんがこの園で、この国で、安全安心、幸せに暮らすことができるように、例え非力であっても、全力を出して何らかの貢献をしていきたい。それが私たちの責務であり、未来につなぐ架け橋と思う。今年は美木多幼稚園45周年、鳳幼稚園10周年、そして諏訪森幼稚園は91歳の誕生日を迎えます。特に諏訪森幼稚園の地域では、私もこの幼稚園の卒園だというお年寄りの話をよく聞く。本当にありがたいことです。    少子化や園児減少が止まりませんが、幼稚園に来ていただける園児がいる限り、私たちはしっかりと幼児教育に取り組んでまいります。毛利の三本の矢ではないですが、三園が力を合わせて教えあい、学びあい、協力し合って、皆様方の期待に応えることができますように頑張ってまいります。これからも暖かいご支援、お力添えをよろしくお願いいたします。 四月、卯月、今月も元気いっぱい出発です。

01 3月 2022

Viva Primavera(Spring)
ー3月のことばー

   今はビルに囲まれて、そんな風景は想像することもできなくなったが、春はどこから来るかしら、あの山超えて、野超えて、遠い国から来るかしら?という歌は野山に囲まれた土地に住んでいた人にとっては簡単に思い浮かんだ情景だったのでしょう。春にまつわる歌や語句を拾い集めても、すぐに何かが頭をよぎることになる。    「愛も希望を作り始める。遮るな、どこまでも続くこの道を」「春は名のみの風の寒さや、谷の鶯、歌は見えど、時にあらずと」「梅は咲いたか、桜はまだか」「東風吹かば、にほひをこせよ梅の花」「春よ来い、早く来い、あるきはじめたみいちゃんが赤い鼻緒のじょじょはいて、おんもへでたいと待っている」「春のうららの隅田川、のぼりくだりの船人が」「春が来た、春が来た、どこに来た。山に来た、里に来た、野にも来た」「春の小川はさらさら行くよ」「ちょうちょちょうちょ菜の葉にとまれ」「さくらさくらやよいの空は見わたすかぎり」「今春が来て、君はきれいになった。去年よりずっときれいになった」「春を愛する人は心清き人」「白い光の中に、山並みは萌えて、遥かな空の果てまでも」それに「蛍の光」や「仰げば尊し」、「ビリーブ」、「贈る言葉」、そして大好きな中島みゆきの「時代」、春や春を連想させる歌は枚挙にいとまがない。    そんな春、大地に根ざしたすべての生き物は眠りから覚め、小躍りして躍動的に走り出す。冬の厳しさから解放された嬉しさはそんなに無上の喜びなのだろうか。厳しい受験競争を勝ち抜いて栄冠を勝ち取った諸君、本当におめでとう。期せずして本望を遂げられなかった君たち、捲土重来の試練に耐え抜いてほしい。神はいたずらに苦難を与えているのではない。君たちの大きな成長と飛躍を期待しているのだ。苦しめば苦しむほどあなたの人格は深くなり、そして人格の深まりとともに、あなたはより深く人生の秘密を読み取るようになる。意図せぬ転勤や退職で心が折れかかっている人たち、社会は皆さんに乗り越えるべき大きな試練を与えている。    しかしそれは決して絶望ではなくて、これからの生きていくうえでの大きな原動力に繋がるものだ。そして卒業式を迎えた諸君、「どうせ未来は大したことはない」というような事を言わないでほしい。定年を控えた中学校の校長先生が巣立っていく生徒のために書いた「旅立ちの日に」の中で「はるかな空の果てまでも君は飛び立つ 勇気を翼に込めて 希望の風に乗り、このひろい大空に夢をたくして」と書いている。今の時代は閉塞的ではない。若者にはチャレンジしがいのある時代。人生の終わりになって後悔しないように頑張ろう。何回も言おう、「人生は一度きりだ」と。そして幼稚園の良い子のお友達、ご卒園おめでとうございます。これから始まる小学校、中学校、高等学校、大学や専門学校などへの道では、友を沢山作ろう。勉強しよう、限りある時間を無駄に使わずに有効に活用しよう。  そして楽しく生きよう。皆さんの先輩も不断の努力を重ねてきた。誰にも負けない強い意志をもって突き進んでほしい。未来は君たちの指定席だ。保護者の皆様、お子様の卒園、進級おめでとうございます。  どれほど苦労されて今まで頑張ってきたことでしょう。しかしその頑張りに応える子どもたちの成長・発達は皆様方に大きな励ましとなって返ってきます。自分を信じ、子どもたちを信じて、掛けがえのない人生を送られますことを心より願っています。年少、年中の皆さん、いよいよ年中、年長への進級です。  今までの弟や妹の立場がお兄ちゃん、お姉ちゃんにかわるのです。小さな子にも優しく接していろいろ教えてあげましょう。皆さんがそうされてきたように。    弥生三月、さまざまな人の思いを乗せて、未来に向かって出発です。

01 2月 2022

15の春は泣かせない
ー2月のことばー

  スペインかぜ、いわゆる100年前のパンデミックは3年経過して、終息を迎えた。今のコロナ感染症はもう2年以上たつのに、まだその兆しが見えない。これだけ医学が進んでいるにも関わらず、当時と同じような大きな衝撃を人類に与えている。ある人は今のオミクロンはコロナの最後のあがきで、徐々に終息し、今までの日常生活に戻るだろうと言う。そんなに怖がらなくても、もうそこに明るい光が見えていると楽観的に予想している。又ある人はまだまだ変異株が現れて、終息するまでに時間がかかると悲観的に言う。テレビ出演の大学医学部の関係者はもう単なる風邪に過ぎないので、そんなに恐れる必要はないと言うし、政府にかかわる学者はまだまだ用心しなければいけないと言って様々な規制の解除を先延ばしにしている。正しく恐れることが必要なのだろう。陽性の人が10日間の隔離が続くと、経済も、病院も、高齢者施設も、学校などの教育施設も機能が麻痺しかねない。物事には終わりがある。必ず終息する。いつそれが宣言されるか誰もわからない。イギリスではすべてに規制を撤廃した。日本はどうするのだろうか?積極的な終息宣言や規制の撤廃は大きな責任と非難を伴うだけに日本政府はそのリスクをとることができるだろうか。時あたかも高校大学受験の真っ最中、いろいろ柔軟な試験対策が報じられているが、あくまでフェアで誠実であってほしい。受験人口が減り、多様性のある専門学校や職業を選ぶ人が多くなったとはいえ、不必要で理不尽な挫折感は人の成長に寄与するものでない。京都の蜷川虎三知事は「15の春は泣かせない」と言って、1校区1高校の制度を作り、高校全入の道筋をつけた。勿論当時低かった高校進学率を上げ、働き手の拡充をする狙いもあったかもしれない。現在は反対に学区制が取り払われ、公立高校の序列化が進んできた。40年前、高校3年生の担任をしているときに、「先生、どんな大学でもいいから推薦してほしい」と生徒から言われ、大阪のある大学を紹介し、無事4年間を充実して楽しく過ごした。スポーツマンであった彼は明るい人を引き付ける性格と物事に積極的に取り組む姿勢で、今は立派な企業人になっている。しかし大多数の受験生は自分の実力以上に世間的に評判のいい大学を選びたがる。昔は浪人することは何も気にしなかったが、少子化の今の時代、浪人することはどうなのか。現役で入ったことが将来の栄光につながるのか、苦節10年まではいかないにしても、艱難辛苦の努力が将来の希望に通じるのか。「If winter comes, can Spring be far behind? 」冬来たりなば、春遠からじ。そんな2月、ふと目を下に落とすと、クロッカスが土の中から少し芽を出している。年齢を重ねたからいうのではないが、つい最近黄色に咲くクロッカスを見つけたのではなかったか?あれからもう1年もたつのか。梅の花も開花の準備の真っ最中、季節の中で生活しているとはいえ、その移り変わりの速さは私には残酷に感じてしまう。最近読んだ本の中で論語の一遍があった。「之を知る者は之を好む者に如かず、之を好む者は之を楽しむ者に如かず」(仕事でも勉強でも知っていることはいいことだが、それを好きだというのには及ばない。好きであるのはいいのだが、それを楽しむのには及ばない)つまり仕事でも勉強でも楽しむ境地に至れば一流の経営者になりえる。ある哲学者は「一生懸命やると楽しくなるのが仕事の本質である」と言った。仕事が楽しみになれば、時間も名誉も金銭も超越することができます。故に仕事を楽しめる人は本当の経営者になれるのです。渋沢栄一流に言えば、このようなことでしょうか。 寒い中にもどことなく春の気配が色濃く感じられます。コロナもまだまだ油断できませんが、明るい未来を夢見て、2月、如月、元気いっぱい乗り切っていきましょう。

01 1月 2022

明けましておめでとうございます
ー1月のことばー

  いったい、いつになったらマスクなしの昔の日常に戻るのでしょうか。コロナが蔓延してはや2年、生活様式が極端なほど変化をしました。毎日子どもたちを見ていると、本当にマスクのない世界を味わせて上げたいと強く思います。律儀にマスクをする子、鼻の部分だけを出している子、下のほうに下ろしている子、マスクをしないで園庭を駆け回っている子、同じ姿の子どもは存在しません。ちょうど子どもたちの個性が異なるように。さて、2001年は保護者の皆様の多大のご協力、有難うございました。お陰で無事新しい年を迎えることができました。クラスターも大きな事故や怪我もなく、泣いたり、ぐずったりする子はいても、すぐに元気になり、友だちと駆け回っています。創立時の1978年ころの子どもと比べると、コンピューターやAIの分野では格段の進歩がみられるものの、無邪気な子どもたちの姿は昔も今も同じ、ただハナタレ小僧がみられなくなったくらい、そんなことを考えながら、令和3年、2021年を終え、新しい年を迎えました。毎年毎年繰り返される悠久の歴史の一コマにすぎない2022年、私的に来年の一年を予想すると 1.多分コロナのパンデミックはほぼ終息することになるだろう。2.それに伴って極端に減少した子どもの出生数はかなり上向くことになるだろう。3.しかしながら人口の減少に歯止めがかからず、出生数はピーク時の三分の一以下の80万人を切るかもしれない。4.それに従って待機児の言葉は過去のものになり、幼稚園は勿論のこと、認定こども園も、保育所も大きく定員割れを起こし、50年前に雨後のタケノコのように乱立した府立高校と同じ運命をたどることになるだろう。5.極端に言えば、幼児教育施設の統廃合や倒産という事態に陥るかもしれない。それはかなりの勢いで新築された民間の老人施設が今やケアする人の減少や入所者の選別によって倒産の危機に陥っている場面が多々見られるのと同じかもしれない。6.しかしながら少なくなっても、子どもたちは必ず生まれてくるものだし又人は必ず高齢になる。まじめに、真剣に幼児教育に取り組み、又老人介護に力を注いでいるそれらの施設や組織はどんなことがあっても生き残ることができるだろう。In the long run, 長い目で見れば結局、人は流行や巷のフェイクニュースに踊らされることなく、真に必要なもの、真に信頼されるものに向かっていく。一時的に目がくらんでも、人の目は節穴ではない。誠実さと真面目さと感謝の気持ちが最後の勝利者であるだろう。経済の面ではどうだろうか。諸物価が高騰し、日用品の値段が上昇するか、量が少なくなる。しかし消費者に直結する企業はおいそれと同調値上げができないし、消費者の厳しい目が光っている。企業が値上げできない分、人件費の抑制をしなければならず、給与が上がらないという負の連鎖が継続し、先進国では最低の給与水準になっていることも事実。勿論、人手不足から人件費の上昇圧力がかかり、その面でのせめぎあいが激しくなることが予想される。アメリカや欧州のように容易に物価上昇を図ることができればいいが、株式や有価証券重視ではなくて、貯蓄第一の日本ではそれも難しい。政府がこれほど借金して、コロナ対策でお金をばらまいても、インフレにならないのは不思議な現象と思う。しかし今年は企業も業績の回復と増益、驚異的な内部留保が見込まれ、政府方針の成長と分配で私達にも恩恵が降ってくるかもしれない。不平、不満な人を出来るだけ少なくする意味でも、アメリカのような格差の拡大ではなく、誰もが満足できるような社会の実現が少しでも見られたらと思う。スポーツの世界では冬季オリンピックでも夏のオリンピック同様、日本人の活躍が多く見られるだろう。社会的にも政治的にも安定した一年になるだろう。しかし夏の参議院選挙次第では不安定な面も残されている。新たに参政権を持った18歳、19歳の若者の参政権の行使や政治へのアプローチはもっと活発なものになって欲しい。医学の面では日本の製薬会社のワクチンや飲み薬が審議会で認可され、病院や老人施設での面会禁止が解除され、コロナ以前のように自由に会うことも許されるようになる。倫理面では日本古来の伝統的な道徳、長幼の序、礼節、謙譲、挨拶、感謝の気持ちが薄れ、権利を主張し、理屈っぽいきらいがあるが、総じて日本人は活力を失ってきたように思うのは私だけだろうか。それとも急激な人口減がそう思わせるのか。そんな大人の背中を見て育つ子どもたちには、立派で力強く誠実な後姿を見せて、暗黙の教育にしてほしい。2022年、また一つ歳を重ねる新しい年、皆さんはどのような旅立ちをしますか。いずれにしても無駄な一年にしたくない思いがいっぱいと思います。幼稚園の教育に携わる私たちにとっては、どんな小さなことでも何かお役に立てればこの上ない喜びです。最後になりますが、SDGsがますます声高に叫ばれ、、実現性が試される年になります。将来世代への禍根を残さないためにも真剣な取り組みが求められています。一緒になって美しい地球、この大地を残すために私たちは何ができるか、たとえ小さなことであっても一つ一つ実行していきましょう。2022年、今年もよろしくお願い申し上げます。、と同時に皆様方のご健勝、ご多幸を心よりご祈念申し上げます。

01 12月 2021

ゆく年くる年、2021 師走
ー12月のことばー

  2年前に始まったコロナ狂騒曲、世界中に多大の不幸をもたらし、人々の日常生活をまったく変えてしまった。100年前のインフルと比較され、科学技術が進んだ現代では終息するのも時間の問題と誰もが考えたのに、一部日本では少し落ち着きを取り戻したものの、諸外国ではまだまだ猛威を振るっている。マスクや熱測定から解放されるのは未だ見通しが立たない。そんな中、厳しい対応と子供の成長・発達との相矛盾する中で、日々の保育と行事活動を行ってまいりました。時には叱咤激励のお言葉を頂きながら、保護者の皆様のご期待に応えられる努力も重ねてまいりました。お褒めの言葉も多数いただいた反面、中にはまだまだ対策をという無言の圧力も感じることもありました。これからも子どもたちの安全、安心と保護者からの信頼を目指して、努力してまいります。さて、時は師走、昔流に言えば、盆に延びた支払いも暮れにはどうしても取り立てることで「越すに越されぬ歳の暮」とは打って変わって、現在では年度末の3月のほうが大事、と言っても12月の声を聞くと何かじっとしていられない苛立ちや、一年の悔恨や反省を思う。しかしそんな懸念を払拭して、「来年こそは」と思う者はもっとも良く人生を送ることができるだろう。私の楽観的な見方かもしれませんが。ついでに書くと作家の石坂洋次郎は人生を終えるにあたって、次のように書いた。私自分は働けなくなって、ただ長寿を保つことはごめんだという気持ちである。また、人生は一度だけでたくさんだというのも私の場合の実感である。シミや偽りや傷あとだらけの私の人生をもう一度!そう思える人はよほど神経の鈍い人だと思う。私は地獄、極楽を信じないが、もし人間が死後、そういう世界に移り住むのだとすれば、私は泰平無事だが、少しばかり退屈そうな極楽よりも、血の池、針の山の責め苦がある地獄に住みたいと思う。自分の首を片手にぶらさげて歩いていく亡者であることも変わっていて面白いのではないだろうか。  保護者の皆さんはどう思われますか。というより、まだまだお若い皆様にとって無縁の事象かもしれません。 2021年、今年もいろいろありました。物議をかもした2020東京オリンピック、日本人は大活躍でした。精神的ストレスを告白した二度目の優勝を飾ったテニスの大坂選手、二刀流の前代未聞の大活躍の大谷選手、稲見選手の銀メダル、松山選手のマスターズ優勝、笹生選手の全米オープンの優勝、藤井4冠の超人的な活躍、衆議院選挙と岸田首相の選出、バイデン大統領就任、等々がありました。個人的には60歳から始めて18回目に頂いた生まれ年の新聞、1944年11月3日の記事には「荒鷲レイテ湾を猛攻」の勇ましい記事の反面、「B29悪天候でも爆弾1トン積んで飛来」の記事で、日本の敗戦を予感させるような記事も。10年後の1954年のトップの記事は日本一の健康優良児と優良校が決まったニュース、いまはもう消えてしまったが。様々な事件や出来事が起こり、さまざまな道筋をたどって解決し、消えていく。それは私たちの人生に通じるものであり、喜怒哀楽の境地なんだろう。あるものはハッピーエンドの結末となり、またあるものは後味の悪い結果を残していく。粛々とそれを受け止め、自分の成長の一過程と考え、それに対処する知恵を身につけていく。人はもろい反面、堅固な一面も併せ持っている。  入園、進級で始まった4月以来、先生や友とのふれあい、新しい環境との出会い、いろいろな行事や保育活動を通じて、それぞれの学年にふさわしい知識を身につけ、体験や経験もしてきました。子どもたちは保護者の皆様が思っている以上に大きく立派に成長発達を遂げたと思います。三つ子の魂百まで、幼児教育の大切さを今一度かみしめながら、2022年も全力で子どもたちと楽しい時を過ごしてまいります。ご期待ください。

01 11月 2021

ならぬことはならぬものです
ー11月のことばー

  鳳幼稚園や諏訪森幼稚園の入園式や卒園式で使っている有田焼の華やかな花瓶、美木多幼稚園もと思い、70%引きの文字に踊らされて、鉄道を乗り継いで行った佐賀県有田町、何回か行った瀬戸物市の時の賑わいとは天と地の差、有田駅から周囲を見渡しても誰もいない。暇そうにタクシーはこちらを向いている。5月連休のその時との落差にびっくり。この町にある深川製磁も香蘭社も売り上げに苦しんでいるとか。昔は引き出物によく使われた食器類も、今やカタログギフトに代替わり。訪れたことのある70%引きの店には伝統工芸士の作品がいっぱい。美木多幼稚園にも有田焼の花瓶が期待できそうだ。それはさておき、窯元が所狭しと並んでいる有田、先人たちがこの土地に魅惑され、営々と技術を継承されてきたのだろう。しかし近頃は不要不急の物が排除され、又生活様式の変化によって、昔の隆盛が見られないのも残念な事と思う。昨年はコロナ禍で見送られた全日本私立幼稚園連合会の研修大会が福島県郡山市で開催された。今年のテーマは「新しい明日に向けて幼児教育の振興を考える」です。今幼稚園はさまざまな問題に直面しています。団塊の世代では250万人を超えた出生数は今や80万人余りに減少、極端な少子化に直面している。又幼稚園の義務化が俎上に上り、子ども庁の創設も浮上している。この大会で福島の小児科医の菊池先生が講演し、その中で、原子力発電所の事故以来、子どもたちの精神的な恐怖が増大し、内にこもる子どもたちが増え、それに伴って、肥満傾向児の出現が他県よりも多く見られ、又体力、運動能力の低下がみられるようになった。このことはゲームやネット、メール、食事の過多によって日本全国的な傾向だが、特に福島県では顕著に表れている。これはまた保護者の生活環境の変化や保護者のストレスによる虐待、保護者の不安などに伴う子どもの心の不安定化や差別や風評によって助長されていると述べられた。その為には、福島だけの問題ではないのだが、子どもが主役の居心地の良い街作りが必要だと説き、子どもが居心地良ければ、保護者も家族も幼稚園も学校も企業もそして地域が居心地良くなると説明した。そして次のような社会が必要だとしている。子どもたちの心と体が健やかに育つ社会。子ども中心の社会。子どものためにお金が投じられる社会。子育てより子育ちが重んじられる社会。その為にも子どもたちの成育環境の創造が必要だと強調した。この医師の偉い所はただ自説を主張するだけでなく、実際にその為に何をすべきを考え、子どものための施設や遊び場を作って有言実行していることだ。 福島は私にとっては未知の県だった。この機会にこの県を知りたくて、何の前知識を持たずに、一日前に福島に入り、レンタカーで動き回った。私には福島イコール猪苗代湖であり、磐梯山であり、会津藩くらいの知識しかなかった。この県が豊かであるかどうかは別として、福島空港から会津若松に続く道は黄金色に染まっていた。有田へ行った時も佐賀平野に感銘を受けたが、福島南部のこの地域も日本の原風景、私に昔を思い出させるような情景であった。会津の人の故郷を思う気持ちは鶴ヶ城に入ったときにひしひしと実感した。故郷の偉人を尊び、15歳や16歳で身を投じた白虎隊、会津藩の徳川に忠誠をつくしたせいで、青森の下北半島の不毛の地に送られたこと、誇りと挫折の相まみえた展示がされていた。会津藩の什の掟はなぜか心に残った。1.年長者の言うことに背いてはなりませぬ。2.年長者にはおじぎをしなければなりませぬ。3.虚言を言うことはなりませぬ。4.卑怯なふるまいをしてはなりませぬ。5.弱いものをいじめてはなりませぬ。6.戸外でものを食べてはなりませぬ。7.戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ。 ならぬことはならぬものです 善悪は別として、昔の会津藩の矜持が感じられる指針だったのでしょう。 海抜500m以上に存在する猪苗代湖は周囲80㎞、日本で4番目に大きな湖であった。こんな高地にこんな大きなものが、感嘆させられた。高所にあるがゆえに、会津盆地やその他の地域の農作物の水源になる一方、発電にも大きな貢献をしている。湖畔にある野口英世記念館には生家を含め、数多くの展示がなされていた。アメリカに渡った英世はたった一度だけ日本に戻ったきっかけを作った母親の切実として帰国を促す手紙は人の心を打つものであった。 秋が深まり、寒さが増してきました。コロナ禍がまだまだ油断できない中、インフルエンザの流行も心配されています。心と体の健康に気を付けて、今月も元気いっぱい、幼稚園号は出発です。

01 10月 2021

隠された真意
ー10月のことばー

  その高齢の弁護士の一言が忘れられない。「代々続いて私で4代目、ずっとその仕事に就いてきて、本当に弁護士であってよかった。私にとって弁護士は本当に天職だ。いかなる圧力や意見にも屈せず、正しいことを言い、行い、正義を貫いてきた。この仕事を続けることができて良かった。近頃お金に絡まることで、弁護士が不祥事を行うことがよく見受けられる。私はそのために3年間仕事がなくても、収入が途絶えても、それを補うことができる不動産や配当収入を心がけてきた。それ故、自分の主張が脅かされ、脅迫されても、正義を貫くことができる」成る程、誘惑はお金だけではないが、それも一つの大きな人生転落の原因となっている。80歳を超えた老弁護士にとって、いままでの来し方は自信にあふれ、満足したものであった。最近の若い人を中心に、天職を求めて、頻繁に仕事を変わる傾向を考えれば、ある意味、うらやましいほどの自信のなせる業だ。何が天職かは誰も決めることはできないが、その人が満足し、自信をもって天職と言っているのであれば、他人がとやかく言うことではない。その人にとってはそれが天職なのだろう。勿論天職は自由業の人だけでなく、市井の目立たない、片隅の小さな仕事でも、それは大きな社会的貢献の礎であり、その人にとっては光り輝く天職となっている。短い人生、一度限りの人生、後戻りのできない人生、天職に巡り合う、というより自分が今一生懸命取り組んでいる仕事はまぎれもなく天職に違いない。 最近読んだ新聞記事に犬ぞりの話があった。政治家の話だが、あるエリート政治家が総裁選挙の応援で、自分の属する派閥の領袖で、総裁候補者に、選挙資金の融通をお願いした。その時にその派閥の長に「君、犬ぞりを知っているか?」と問われ、「ハイ、犬が引っ張るそりですね」と普通に答えた。それに対して「たくさんの犬が引っ張るそりのことだ。ただその犬の中には、そんなそぶりも見せずに、一生懸命引っ張っている犬もいれば、見かけは一心不乱そうだが、適当に引っ張っている犬もいる。さまざまだ」と言った。それを聞いたその政治家はそれ以降、今以上に忠誠をつくし、そのボスのために何事にも懸命に取り組んだそうだ。その言葉の裏に隠された真意を理解して、直接の表現以上に底知れぬ恐怖を感じたのかもしれない。 ある小学校で二宮尊徳の銅像を見た。彼が偉いとか、蛍雪で勉強したのが立派だというのではないが、少なくともその精神から学ぶことは多い。車を運転していると、自分の家や会社は雑草一本もないのだが、それにつながる公共用地は雑草だらけの風景に出くわす。そしてそんな人ほど、役所に雑草を刈ることを強く要請していることがある。自分の土地の雑草を刈る時に、少し広げてそこもきれいにしたらと思うのだが、損得勘定が働くのか、公徳心の面で欠けるきらいがあるが、言うは易し、行うは難しなのだろう。私たちは一般に変化に対して、損得に対して、理性的、合理的な判断を超えて身構えてしまう傾向がある。案外大昔のように、所有権の概念がない時のほうが、公共心があったかもしれない。 10月、いよいよ運動会がやってきました。私の願いは演技の上手下手、運動能力の優劣よりも、その子が汗水を垂らして真剣に取り組んでいるその姿、その表情をしっかり見ていただきたい。その思いが運動会のすべてだと思っています。 2021年10月、すべての神が出雲に行ってしまう神無月、今月も子供の成長発達を夢見ながら、前を向いて進み続けます。ご期待ください。

01 9月 2021

時の流れの中で
ー9月のことばー

  日本語の語呂合わせで必死に覚えた英単語、その中には考えたくもないような「死刑だ」の発音の単語があった。そう、cicada, 蝉だ。今年アメリカでその大量発生で話題になった。英字新聞に興味のある記述があった。 The Cicadas are coming. It’s not an invasion. It’s a miracle.のタイトルでマーガレットさんが寄稿していた。Deep beneath the spring-warmed soil, a great…

01 8月 2021

夏が来れば
ー8月のことばー

  「夏が来れば思い出す、遥かな尾瀬、遠い空」夏の定番のこの歌は私たちを無意識のうちに尾瀬に誘ってくる。「夏を愛する人は心強き人、岩をくだく波のようなぼくの父親」冬のお母さんに対する夏のお父さん、夏を好きな人の心情は強い心の持ち主だろうか?思わず自問自答してしまう。「あの夏の日がなかったら 楽しい日々が続いたのに」アリスの秋止符、夏にはどんなことがあったのだろうか。夏は開放的ですぐに恋に陥りやすい環境、しかし冷静になって考えれば、それが自分の意志でなかったと苦い思い出に浸る夏の日。いろいろな思いを秘めた夏、2021年、又その夏がやってきた。昨年は行動も制限されての一週間の夏休みでした。今年はコロナの影響はまだまだ残るものの夏休みは従来通りの期間、行動自粛の要請はあるものの、ワクチン接種が進み、少しは行動様式が緩和されつつある。そんな中で密にならない対策を維持しながら、夏にしかできない、この時期にしかできない事に取り組むことも子供たちの成長発達にとっては大事なこと、それと共に家庭にいる子どもたちにとっても、ただ怠惰に夏休みを過ごし、それが過ぎるのを待っているだけでなくて、お父さん、お母さん、おじいさん、おばあさんとの良好な関係を築き、子どもたちの節度ある日々の生活が求められています。私たちは子どもたちが病気になり、事故に遭遇しないか本当に心配しています。どうぞ安全・安心にも十分ご配慮お願いします。私は福泉町立美木多中学校出身です。その3年前は美木多村立美木多中学校と呼ばれていました。今の美木多中学校とは名前が無くなった時期があって、縁が切れていますが、今その跡地は住宅地になっています。そこでの3年間は一学年60人の友達と話をしたり、スポーツを楽しんだり、夏になると近くの池でおよいだり、何かあると、光明池まで行ったりしました。少しは家の農業を手伝ったことがありましたが、真っ黒になりながら日々野球をして過ごし、3年生になってから受験勉強を頑張り、この年2人、田舎の中学校から三国丘高校に入学しました。高校では運動部も考えたのですが小説や随筆などのいわゆる書き物が好きだったこともあり、図書部に入りました。そこで手あたり次第本を読み、そのことが確実に何らかの形で役立っているように思います。それ故、高校の教師をしていた時も「本を読もう」「どんな本でもいいから活字を読もう」「それが君たちの生きる力になる」等と何回も言ったことがあります。ネットが発達してきたから新聞、雑誌はいらない、よく言われます。しかし瞬間的に消えるネットのニュースと印刷された新聞のニュースとは大きな違いがあるように思います。マスコミはそれぞれの会社が主義主張を持っていて、偏向とは言わないまでも、中立ではありません。私は読売,産経、日経、The Japan Times(大きなタイトルを読むくらい)の4紙に目を通していますが、今日(7月15日)の読売の時代の証言者のコラムに田村哲夫(渋谷教育学園理事長)さんの話が連載されています。その中で大学時代の恩師丸山真男先生がロマン ロランの一節を引用した次の文章に感銘を受けて、生涯その一節を持っているそうです。「力の限り善きことを為せ、何ものにもまして自由を愛せよ、たとえ王座の階(きざはし)にあるとも、絶えて真理を忘れるな」私たちは日常の雑念に追われて自分を見失うことが多いが、時には心の洗われる文章に接していたい。

01 7月 2021

日本人の矜持
ー7月のことばー

  「梅雨晴れの明るい夏空とあなたの来訪を心より待っています。」「梅雨明けももうすぐです。どうか元気にこの憂鬱な時期を乗り切ってください。」の結びの挨拶の6月も終わり、「梅雨明けの夏空がまぶしい日々となりました。寝苦しい夏の夜、皆様ご機嫌いかがでございますか。」の時候の挨拶の7月、文月を迎えました。今月は山開き、海開きが毎年のように予定され、天の川、ロマンいっぱいの七夕祭りは子どもたちにとっては興味津々です。又京都の祇園祭や大阪の天神祭りもカレンダーの上では存在してもコロナのせいで中止、浴衣を着て、うちわをもって、暑い夏をいかに楽しく気分の上ですごしていくか、先人たちが考えた行事が全て中止、いやクーラーがあるから部屋の中で涼しく過ごそうと考えるのとは異次元の考え方の相違、自然の中で生かされ、自然の懐に抱かれ、自然の豊かさからちょっぴりおこぼれを頂く振る舞いが、私たちの中からするりと逃げていく。今年の7月は昨年同様、自然の営みから少しかけ離れた生活様式を強いられている。5年前のリオのオリンピックで、次の開催都市の東京がバトンを受けつぎ、日本中が歓喜の渦に包まれた。その開催が一年延期され、今年7月、いよいよ実現される。私にとっては1964年の第18回に続いての2回目、56年ぶりの日本での開催、それも私の10代と70代の時の開催、個人的には興奮や過度の期待はないが、前回の国威発揚の時とは様変わり、その変容と言えば、国民の大多数や一部マスコミが強く反対していたのに、近づくにつれて、賛成が圧倒的に増えてきた。世界各国から集うアスリートへの敬慕の表れだろうか?日本人のおもてなしのせいだろうか。同時に驚いたことにオリンピック村やその他の競技施設が世間一般で大きな反対のうねりがあった中でも、オリンピック関係の人たちは粛々と開催に向けて準備を整えていた。私たちは表面的に、無責任に反対、賛成を叫んでいるが、それに携わる実務者たちは英知と経験と自負の心と誇りをもって、やるべき仕事を着実に誰に知られることもなく、誰に自慢することもなく、淡々とこなしていた。コロナ禍の中でのオリンピックは普通の何倍もの努力と完遂力が必要だ。しかしそんなことは日本人の力量をもってすれば、たとえ国難だとしても、うまくやり遂げることができる。そんなオリンピックについて人はさまざまなツールを使って発信している。そのほとんどがオリンピックに否定的な意見、しかしどこかの国のように自由な発言が抑制されたり、禁止されたり、または身体を拘束される状態にはならない。発信者にとっては留飲を下げたり、ストレスの発散になっているかもしれないが、それが他人を貶めたり、非難するようになると、看過されない問題が生じてしまう。肉体的暴力は大きな苦痛やダメージを与え、死につながることもある。同じように言葉や文字の暴力は物理的でないが大きな大きな精神的打撃を相手に与え、死に追いやることもある。大多数の善良な小市民にとっては、肉体的暴力以上の苦痛を強いられることがある。私たちは他の動物よりも少し沢山知能を与えられた生き物だ。何もかも自分で判断できた。自分で考えることができた。自分で食べ物の安全や賞味期限を考えることができた。仲間ともうまくやっていけた。困ったときはお互い助け合い、知恵を出し合って困難をくぐりぬけてきた。人はおおらかで疑うことをしなかった。正直で素直であった。今は何の努力もなしに見たり、聞いたりすることやあまり価値のないものに心や時間を奪われてしまった。便利なツールは人間性の破壊かもしれない。ビートルズがインドに逃避し、大金持ちのロックフェラーの息子がボルネオの山奥に逃げ込んだのも人間性を取り戻したかったのかもしれない。そんな鷹揚な日本人を騙したり、利用する人がいれば、それは有害な存在以外の何物でもない。私たちは日本人の持っている人を信頼し、敬う心の優しい人間であり続けたい。

01 6月 2021

変化と順応
ー6月のことばー

  最近、子ども庁の創設が議論され、就学前教育や小学校・中学校の問題を一元的に扱うとされ、近い将来本格的に活動することが報道されている。その中で就学前の教育・保育を10年後を目途に、一元化、すなわち、幼稚園、認定こども園、保育所が同一の施設として機能することが一部の委員の間で検討されていると報じられた。その後さまざまな人や団体からの意見があり、その案は一応凍結された。それぞれの三つの組織の生い立ち、役割、仕事内容、目標が違っている。最近、幼児教育を受けた大卒の70%近くが保育所志望だとか。幼稚園は音楽をはじめ、様々な教育活動、仕事内容、時間的制約の面でも忌避されている。しかし私たちは就学前の教育・保育を充実したものとし、立派に小学校につないでいきたい。3施設の役割が異なり、それぞれの施設が存在することに大きなメリットがある。 さて、世の中は刻々と変化を続けてきたし、今も不断に変化している。これからも留まることなく変わっていくだろう。その中で昔の常識が現代ではそうでなくなり、今の常識が未来の非常識になりえる。その変革のスピードに取り残され、順応していかなくなると、世間からの疎外感を味わうことになりかねない。私事で申し訳ないが、高校では理科系に入っていたが、大学は文系を受験した。海外で働きたいとの思いであった。小・中学生頃から宇宙にあこがれ、頭上に浮かぶ無数の星や天の川、北斗七星に心を奪われた。ソ連の人工衛星スプートニクの成功が興味を加速させた。実際私が生まれ、今も住む南区のこの場所でも南米の真っ暗なパンパスの草原で見た空と同じように、無論星の種類が異なるが、無限の数の星が空から降るようであった。毎日、誠文堂新光社の宇宙の本や星座表を片手に持ちながら空を眺めていた。電気のことも大好きで、大学を卒業して入社した会社では輸出用の外国語のパンフレット作りに励み、技術的なこともそれなりに習得に努めた。当時はオーディオ全盛時代であり、どこのアンプやスピーカーがよいとか、トランジスターか真空管か?評論家が好きなことを言い、それがまたマニアに受け入れられた。メーカーは技術を競い、人は新技術を求め、競って購入した。ドルビーもCD―4も開発され、今では見ることのできないAKAIやTEACのオープンデッキが垂涎の的であった。輸出用カセットデッキ付属のデモテープ作りに東京青山にあったビクタースタジオに行ったのもこの頃であった。音楽や楽曲にそんなに精通していたわけではなかったが、その当時の流行の曲やダイナミックで、心に響く曲を選んだ。会社を離れ、教育の世界に身を置き、時代が過ぎ去るままに身を任せていると、急速な技術の発展、アナログならまだしも、デジタルの世界には取り残されてしまった。何よりもむかし根を詰めて読んだ取扱書を読まなくなった。というより面倒くさくなった。今までやってきたのだから、わざわざ取説まで読む必要もないだろうと思うことが多くなった。根気の問題だろう。そしてこの位なら大丈夫と思うことが世間からは高齢者になれば注意散漫につながっていく所以でもある。まだまだ若いと思っていたのが、他人から見れば、そうではない。時代の流れに取り残されないように前を向いて進まねばならない。どのような変化を遂げたのか、少し書いてみたい。1960年代、アポロ宇宙船が月に到達した時代、北欧やアメリカを中心にして、ベトナム反戦運動と相まって、いわゆる性の解放が叫ばれ、自由恋愛やエロ・グロ全盛時代を迎えた。その時に清涼感あふれるLove Story が公開され、清純プラトニックへ少し舵が切られた。同時にウーマンリブ運動がおこり、女性解放が叫ばれ始めた。池田首相の所得倍増計画があり、月給は目を見張るほど増えていった。それに伴い、1ドル360円の固定相場が変動相場に移行し、1ドル200円から100円、それ以下になった。航空券も半額以下になった。外貨を稼ぐ方針が180度見直され、輸入奨励に切り替わった。日本の首相がデパートで輸入ネクタイを買うパフォーマンスも放映された。エズラボーゲル教授によるJapan as No.1 が刊行され、日本人は有頂天になってニューヨーク、ロスやロンドンで不動産や絵画を買いあさった。買えないものは何もないように思えた。バブルがはじけ、失われた10年、20年が始まった。高値で買った不動産は二束三文で買い戻された。絵画もしかりであった。60年代にそんな国に行くことは不潔感をもって見られた韓国や台湾、シンガポールに今や個人所得も抜かれ、世界第3位の立場も危うくなってきた。出生率の低下、人口減、未来への希望が潰えてきた。最近多様性が主張され、男女別姓が大きな問題となり、LGBTも声高に主張されている。それらに何も反対するつもりはないが、様々な急激な運動には常識はどのように対応していくのだろう。社会制度が安定していたころは常識が幅を利かせていたが、今はAさんとBさんの常識が異なることが多々ある。倫理観の違いと言ってもいいのだろうか。うかつにも「それが常識だろう」と言えなくなってきた。私たちは大量の役にも立たない情報に翻弄され、個人情報も白日の下にさらされている。人との共通点は必要だが、流されない自分の意見は世間の常識と違っても大事にしなければならない。何日も早くに始まった梅雨、水の大事さ、怖さを学びながら、この6月を乗り切っていきます。今月もよろしくお願いします。

01 5月 2021

食欲と給食
ー5月のことばー

  この間のたけのこご飯についてお子さんの反応はいかがでしたか?たけのこは以前は業者から国産品の調達がなぜか難しくて、食材で唯一中国産でしたが、10数年前に岸和田市内畑から購入が始まり、そこの竹藪も人手不足により、良いたけのこが収穫できないということで、今年はミカン狩りでお世話になっている村木農園の親族のムラタケ農園の村木さんにお世話になりました。村木さんは本来の計画の日であれば、たけのこはもう既に地上に出ているから、黒くなっている。出来るだけ土の中にいるたけのこを提供したいという思いで、調理する一日前に孟宗竹の藪から掘っていただいて、諏訪森、美木多、鳳の給食に使いました。やわらかくて、おいしいたけのこだったと思います。私のまわりにはコメ作り、野菜作り、果物作りで生業をしている友だちや知り合いが沢山いて、道の駅やハーベストにも出荷しているのですが、たけのこを見落としていました。何でもそうですが、スーパーやお店で売っている食品がそのものの本来の味と思っていますが、そうではなくて、もぎ取ったばかりの果物、収穫したばかりの根菜類や新米は本当においしい。少しでもスペースがあれば、野菜作りをしようとする目的は、なるほど健康上の理由もありますが取れたてのおいしさも大きな要因になっているようです。食材が持っているそれぞれの食感だけでなくて、本来のそのおいしさを最大限に引き出すことが食事を提供している私たちに求められる大きな役目です。勿論衛生面での重要性は大切ですが、それをあまりにも過度に考えて、何もかも煮沸処理して本来の味を損なうことを残念に思う。45年前の創立期より業者の給食に頼らずに、食材を選び、調味料を取捨選択し、安全・安心の言葉と共に、おいしさも追及してきた美木多幼稚園の給食、できるだけ旬の食材、信頼できる食品を使い、時には豪華にマッタケいっぱいのマッタケご飯(これだけは外国産)や富山県氷見市直送の冬の寒ブリを使い、子どもたちの食べる意欲を高めることも考えている。国産のウナギを使ったうな丼や混ぜご飯、おいしい牛肉がいっぱいのすき焼き風煮物、子どもたちの残食がほとんどなくなっている。10年前に厨房がなかった諏訪森幼稚園に、厨房の設備ができるまでの少しの間、美木多幼稚園で調理して、ワゴン車で運んだことも今は懐かしい思い出、その後にできた鳳幼稚園も同じように美木多幼稚園の給食システムを導入して今につないでいる。最近ではそれぞれの幼稚園の管理栄養士がカロリー計算をしながら子どもたちの健康の向上に努めている。私たちは外食するときはその料理がどんな食材、どの国の食材を使っているかはわからない。私たちはどうしてもの場合は外国産を使うことがあるが、そんなことは頻繁にあるわけでない。子どもの口に入るものは当然大人の責任です。そんな基本的なことをかみしめながら、これからも愚直に給食作りに励んでいきます。 さわやかな薫風の季節の到来です。木漏れ日が豊かに私たちに降り注ぎ、生きる清涼感や喜びをもたらしてくれます。そんな安らぎの瞬間もいたずら好きなメイストームによって厳しい試練の中に追いやられることがある。それらすべてがあっての人生、若い時に裏日本(日本海側)と表日本(太平洋側)と比べるとなぜ裏日本の人が、外国で言うと、なぜ重苦しい空のドイツ人が陽光注ぐイタリア人よりも成功者が多いのだろうか?必然的に努力を強いられる為だろうか。裏日本と表日本、ドイツとイタリア、それぞれの前者と後者には、環境以外に特筆すべき差はないし、それぞれ能力的にも何ら問題はないが、そう考えさせられるのは、一つには成功者を羨むことがあるのだろうか。子どもたちにとっては少しは慣れてきた5月、この月を無事乗り切ると、幼稚園生活の楽しさが見えてきます。子どもたちがそうなるように精一杯努力を傾注してまいります。5月、さつき、今月もフルパワーで発信です。

01 4月 2021

ご入園・ご進級おめでとうございます
ー4月のことばー

  心と体が一体のものであり、体が朽ちても心が未来永劫に残るものと仮定すれば、そしてそれが過去から未来につながるものと考えれば、私たち個人個人は果てることのない長い長い歴史の中で生き続けている。そんな悠久の歴史の中で、ほんのわずかな瞬間、心と体が一緒になる。それは何億分の一の瞬間であるかもしれないが、そんな瞬間の現世で巡り合えた皆さんとの偶然としか言いようがない邂逅、本当に神からの贈り物として、この縁を大事に大事にしたい。そしてそれが一期一会の世界、ほんの少し前まで宇宙のどこかに漂っていた皆さんが具体的な形となって、私たちの前に現れました。ようこそ私たちの世界へ。これから同じ仲間として、お互い尊重し合い、努力し合って、後に続く人たちのために、少しでも何らかの有意義な貢献をしていきましょう。生まれて1000日前後の年月を経て、私たちのもとに集まってくれた、それも破格の偶然、これから私たちと過ごす時間はこれからの人となりを形成する本当に大事な時間、基礎基本を形作る時、友を作り、規律を知り、物を学ぶ姿勢を身につけましょう。今の今の習慣や得たものは将来の君たちにとっては大きな財産となり、人生を渡るうえでの的確な判断基準を形成していくことでしょう。先生と過ごす時間、友だちと接触するひと時、外へ行った時の経験や刺激、物事を学んだり、音に触れたり、体を鍛えたり、自分の思いを白紙のキャンバスや画帳に表す動作、すなわち、知識、音感、体力、絵画表現、それらすべてが有機的に結びついて、これからの君たちの生きる指標(道しるべ)となっていく。幼稚園の先生や君たちのお父さん、お母さんは必死になってそのお手伝いをしていきます。 新入園児の皆さん、そして進級児の皆さん、幼稚園は君たちがのびのびと過ごし、学び、心休める場所です。幼稚園の先生は皆さんを励まし、皆さんに寄り添い、皆さんを見守っています。 保護者の皆様、お子様のご入園そしてご進級おめでとうございます。私たちは皆様方に委託されたお子様、大事に大事にされた宝物のお子様を保護者の皆様の愛情に勝ることはないとしても、それに近い愛情を注いで、寄り添い、見守ってまいります。そして子どもたちと同じように、幼稚園を大好きと言ってもらえるように頑張ってまいります。そして卒園、進級時には幼稚園にやってよかったと言ってもらえるように努力を積み重ねてまいります。4月から始まる今年度は途中でオリンピックが開催予定ですが、まだまだ新型コロナウィルスが跋扈し、この一年間は全く安心というわけではありませんが、適切な感染症対策を立てながら、保護者の皆様の期待にも応えてまいります。この一年、保護者の皆様からのご支援、お力添えを受けながら、私たちは全身全霊頑張ってまいります。2021年(令和3年)4月、いよいよ大海に向けて出帆です。

01 3月 2021

卒園、進級、おめでとうございます
ー3月のことばー

  「東風吹かば 匂い起こせよ梅の花 主なしとて春な忘れそ」、菅原道真が九州に左遷された時に読んだこの歌にもあるように、東風が吹いたら、その匂いを九州まで届けてほしい。決して忘れてはいけないよ。大宰府に行ったことがないが、冬から春への季節の移り変わりを告げる梅の花、家の庭に咲く白い枝垂れ梅と幼稚園に咲く黄色や白のクロッカスの花で冬と春のせめぎあいの季節を知り、又その花の桜以上のはかなさを毎年毎年過ぎていく時間の速さに一抹の人生の黄昏を実感する。自然界は「私たちは毎年毎年の営みをしているにすぎない」と言うだろうが、それを愛で、心の豊かさを求める私たちにとっては永遠にそれが続くわけではない。未曾有のコロナ禍の中で、昨年大学生になった若者はどのような学生生活を送っているのだろうか。3年生、4年生の就職はうまくいっているのだろうか。私たちの幼稚園を卒園した人の中にも今そんな境遇に置かれている人もいるだろう。蛍雪の功なって、今年志望校に晴れて合格した学生にはどのような運命が待っているのだろうか。捲土重来を余儀なくされた受験生もいるだろう。どうか人生を甘く見たり、あきらめたりしないでほしい。「努力は決して裏切ることはない」私はこのことわざが好きだ。今の苦悩や苦しさ、困難を耐えてこそ、その何倍もの価値となって返ってくる。そのようにして大きな人物になった人を探せば、枚挙にいとまがない。そんな先輩や祖先の人が身を犠牲にしてまで築いてきた日本は先進国の中では一人当たりの所得が最下位と言われている。日本に住んでいる限り、実感することはないが、外国に旅すれば痛いほど思い知らされる。私たちの愛する円がなぜこんなに価値がないのかと、ある経済学者は働いている人の給料を低く抑えているからだと言うし、又ある人は日本人の生産性が低いからだと言う。中国に負け、台湾に負け、韓国に負け、そしてフィリピンにまで負けるようなことがあれば、安閑としていられない。若い時にそれらの国に行くと言えば、遊びのツアーとして、非難されてきた。最近の日本はどこまでその地位が下がるのだろうか。GDPはまもなくインドに抜かれるという。人が減り、住まなくなり、価値が下がった国土が外国から狙われているという。そのことが事実だとしたら、私たちは惰眠から目を覚まし、一致協力して日本のアイデンティティーを守っていかねばならない。連綿と歯を食いしばって守り続けてきた先祖の人々に申し訳が立たない。勿論、地球全体で考えたら、日本の土地をどこの国の人が売買し、住みつくのも、自由であるのかもしれない。さて、本題に戻そう。私たちは何のために勉強するのだろうか。勉強しなくても、立派に成長し、事業を起こし、成功する人も沢山いる。勿論それ以上にその反対の人もいるが。勉強することは良い会社や役所に入り、良い職業に就き、収入を安定させて、生活を楽にする、勿論そのこともあるだろう。私たちは勉強することによって、心の豊かさを確実なものにする。たとえその過程で失敗しても次の成功への足掛かりを見つけることの選択肢を多数知ることができる。勿論、勉強だけでは完璧でないかもしれないが、少なくとも何もしないよりは何倍も何倍も確率が高い。 年長組の皆さん、卒園おめでとうございます。皆さんは前途洋洋です。怖いものは何もありません。昔と違って、努力すれば、与えられるものが沢山あります。これから続く長い学校生活、いろいろ悩み、苦しみ、戸惑うこともいっぱいあるでしょう。自分一人で無理に解決しようとしないでください。親がいます。兄弟がいます。そして友がいます。先輩も後輩も控えています。君たちの成功をみんな応援しています。いろいろな人のアドバイスを受け、参考にしながら、逞しく自分の道を勇気をもって切り開いていってください。リンゴ、年少、年中組の皆さん、来年も先生と一緒に幼稚園で過ごします。まだまだ幼稚園で学ぶこと、経験することがいっぱいあります。今が人生の中で一番大切な時です。心行くまで、楽しく、元気よく過ごしてください。病気になったり、事故にあったりして、お父さん、お母さんを悲しませないでください。皆さんを見守り、皆さんに期待している人が皆さんのまわりにはいっぱいです。 保護者の皆さん、この一年間、本当にありがとうございました。今後とも今まで同様、ご支援、お力添えを賜りますようお願い申し上げます。

01 2月 2021

私たちの役割
ー2月のことばー

  Argentina legalizes abortion. Japan Times のNew York Times 版3ページに載っていた大きな見出し。まず懐かしいアルゼンチンという単語に目が留まり、次にlegalize(合法化する)に目が移り、最後のabortion (中絶)という言葉に隔世の思いを感じた。1969年、ビジネスで降り立った南米の大国アルゼンチン(と言っても、ほとんどの人はそんな国の名前も知らないし、ましてその内情となると、その国に関係する人しか知らない)に降り立った。東京・羽田を出発してニューヨークを経由して24時間、まさに日本の裏側であった。サッカーに興味のある人なら違った感想を持ったかもしれないが、ワールドカップもその当時の有名な釜本の名前も知らなかった。ただパンパとか牛の数が人間の数よりも多く、南極に近くて、パタゴニアという地域があって、白人の国、スペイン語を話す国くらいの知識しかなかった。日本人の私は一応仏教徒であり、真言宗であったが、仏壇とか、葬式でかかわりを持つ程度であった。しかしこの国は違った。ローマカトリックの流れを受け継いだ敬虔なカトリックの国であった。その力は絶対的と言ってもよかった。離婚は勿論、中絶はもってのほかであった.その時私は24歳、その地の同じ世代の若者は宗教と現実の狭間で苦悶していた。それから50年、やっと中絶が法制化された。今までの数多くの悲劇や非合法が合法的になった。それも議会の賛成が反対を大幅に上回った。あの時若かった人はどのような心境だろうか。恋の国アルゼンチン、情熱の国アルゼンチン、こぶしを挙げ、抱き合って喜ぶ人々の写真は長かったその歴史を雄弁に語りかけていた。 偶然私はその記事が目に留まったから私なりに知ることが出来た。しかし私たちは四六時中アンテナを張り巡らせているわけではない。見逃した事実、知らないうちに過ぎ去った過去、事実が次々と私たちの周りに現れ、ほとんどのそれが私たちに無視され、つかみ取られずに消えていく。人はそんなすべてを知ってどうする?取捨選択して受け止めていれば十分だと反論する人もいる。この頃よく思う。あの事実は知った方が良かったのか?あるいは知らずに人生を送った方がよかったのだろうか?何でも、たとえそれが自分に不利な状態になるとしても、今の幸せな生活が暗転して、もがき苦しむような状態になるとしても、真実を希求する人がいる。他人が好意的に考えて、隠し通そうとしても、その善意は通じない。反対に自分のすべての不利な状態をシャットアウトして、今の瞬間が満ち足りたものであれば、過去がどういう状況であっても、どういう立場であったとしても、関知しない人がいる。幸せとは何か、プライドとはどんなものか。人は他人を面白おかしく、たとえそれが事実でないとしても、さも見てきたように得意げに話すことがある。知人や親族や関係する人の自慢をしても、それを聞く人はまたかとうんざりしているのに、それを自覚せずに滔々と続ける。真実はすべて正しいとしても真実を知ることは不幸の始まりになるかもしれない。案外作家の原点はそんなところにあるのかも。翻って私たちのこの世での役割を考えてみると、それは誰かに幸せや喜びをもたらすこと、大きな意味では利他の心を持つことである。えてして人は自分を中心にして、地球が回っていると考えがちだが、人の幸せを考え、人の喜びを追い求めるなら、私たちの社会は概して明るい未来が待っている。そのためにはどんな仕事でも仕事を好きになろう。個人的には学校を出てからPanasonicの社員、府立高校の英語の教師、幼稚園や特別養護老人ホームやケアハウスに携わってきたが、幸いなことにそれぞれの仕事に音を上げる程いやになったことはない。老人施設設立前は年寄りや死の淵にいる人の面倒なんか嫌だと思ったこともあったが、実際に接してみると、人生の先輩たちに教えられたことも多いし、頼りにされたことも多かった。人のお役に立っている。たとえ小さくても、何かの社会的貢献していると自覚が芽生えた。この人たちを喜ばせるために何をなすべきか、どうしたら最後の短い期間を楽しく過ごしてもらえるか、それなりに考えることが出来た。幼稚園でも同じ、未来を支える子どもたちが少しでも立派に成長するように、どういう保育、どういうカリキュラム、どういう環境がいいのか。いろいろ思い悩ますことが多い。先人たちが長年にわたって努力し、考えてきた幼児教育をその根幹を大事にしながら、未来発展へのシナリオ作りをする,仕事に不平、不満を言っている時間がない。今月も先生。園児、保護者の皆さんと密接に連携を取りながら、皆を喜ばす保育を目指して努力してまいります。

01 1月 2021

2021年、あけましておめでとうございます
ー1月のことばー

  新しい年、新しい希望と意欲に燃える時、保護者の皆様には2021年が本当に思い出深い、素晴らしい年になりますよう心よりご祈念申し上げます。人生にはやり直しがない、漫然と日を暮らしていたのではじきに終焉を迎えてしまう。「今年こそは」という意気込みをもってこの一年に挑戦したい。さて、その前に2020年は皆様にとって、どのような年だったでしょうか。幸せな1年であった、健康に恵まれた1年であった、子どもが生まれ、仲間が増えた、給与が上がった、昇進した、友だちが沢山できた、欲しかったものを手に入れた、行きたかった所へ行くことができた、子どもが嫌がらずに元気に幼稚園に通園している、小さな喜びの連続が大きな喜びに変わった。反対に経済的には恵まれなかった、家族や仲間に不幸があった、先々を考えて欲しかったものをあきらめた、行きたいところにも我慢した、と少し嘆きの人もおられるでしょう。しかし幸せや幸運の神はいつまでも寄り添ってくれるとは限らないし、反対に不幸せは未来永劫続くわけでもない。お金や地位や物質的豊かさの人だけがこの世の勝ち組であり、幸せを一手に引き受けているとは限らない。実際そうではない。ある知り合いの牧師が大学の学長を目の前にして、その大学をあえて退職して、一牧師に戻った。妻は収入が減ることを嘆いたが、牧師にとっては自分の進むべき神の道であり、使命に燃えた選択だった。我々凡人には考えの及ばない超越した考えである。幸せ、不幸せは外から見ただけではわからない。ある人が不幸せであると嘆いていることが、他人から見ればうらやましいほどの幸せであり、反対に幸せだと感じていることが、別の人にとっては不幸に違いないと思うかもしれない。すべてが相対的なものであり、絶対的な基準がない所に、又面白みや機微がある。少し2020年を振り返ってみよう。この年は誰もが予想しえなかったことであふれている。何と言っても新型コロナの世界的pandemic、東京オリンピックの延期、安倍長期政権の突然の崩壊と菅首相のジェットコースターの様な政権、幼稚園を始めとする学校、大学の休園,休校とズームの普及、テレワークやマスクの着用と密からの回避、有名人の死と死への恐怖、私たちの小さな脳が張り裂ける位の大きな変化にさらされた未曽有の年でもあった。いつ終息するかわからない展望のない状態では私たちの恐怖心は治まらない。そんな2020年にも別れを告げての2021年、社会、経済、政治の世界を見てみると、新型コロナとワクチンの問題、オリンピックの問題、首相選挙と衆議院選挙、日本特有の派閥の問題、経済の落ち込みと中国の問題、様々な思惑の絡まるこの年、大きな問題も大事だが、目の前の一つ一つの障害を取り除き、約束や決まり事を守って、一歩一歩着実に進んでいくことが、困難から身を守る方法であると思える。100年前に未知のスペイン風邪と恐れながらも勇敢に戦った祖先の例を見るまでもなく、近い将来、あれは何だったのだろうと思える日が来る。そしてその日も先が見えている。この2月下旬、諏訪森、鳳、美木多の年長組の第2回合同音楽発表会を西文化会館で開催する予定でした。その為の合唱曲も練習してきました。しかし会館のほうから舞台には50名しか登場できないと言われ、残念ながら今年は見送ることにしました。来年度はしっかり実現していきます。コロナだからとか、すべてコロナが悪いから、その為だからと言ってそのせいにするつもりはありませんが、感染を避けると同時に、子どもたちの今しかない活動、行事を実現するためにも、注意深くコロナと付き合っていかねばと考えています。私たちはお父さん、お母さんの子供を思う気持ちを痛いほど感じています。バスの車掌さんからもそのことを聞きますし、保護者の皆さんの何気ない言葉やしぐさにも、子を思う母の気持ち、父の気持ちが十分伝わってきます。そんな熱い気持ちに支えられた私たちの幼稚園です。その気持ちに少しでも応えるべく、今年も精一杯努力してまいります。小学校では幼稚園で学んだ基礎、基本が大きな実を結ぶことを、そして年少、年中さんにはますます活発な幼稚園生活が送れますことを願ってやみません。今年も、今年こそは保護者のみなさま全てが、限りない幸せと健康な人生を送られますように心より願っています。厚かましいお願いですが、今年もご支援、お力添えいただきますようお願い申し上げます。Gentlemen, Start your Engines.

01 12月 2020

徒然草
ー12月のことばー

  徒然なるままに頭に浮かぶものを起承転結なしで筆をすべらせた。私たちはある意味、非現実的な世界、バーチャルな世界に住んでいると言っても過言ではない。そこでは何が正解で、何が間違いであるのか、本当のニュースであるのか、フェイク・ニュースであるのか、黒白をはっきりしなければいけないのか、ファジーのままではダメなのか?誰が善悪を見極めるのか?トランプ大統領は本当に負けたのか、それとも劇的な復活はあるのか?バイデン支持者にとっては議論の余地がないことだと言うし、トランプ派にとってはフロリダもテキサスも奪取したのに、負けたはずがないと今でも思っている。それにマスコミは何と罪深いのだろう。前回はトランプを好意的に捉え、今回はバイデンを好ましく報道している。巨大IT企業も両者平等に扱っているのではなく、一方に偏ったりしている。真の勝者は本当にアメリカ国民だろうか?それとも連日連夜、それが本当であれ、フェイクであれ、報道を流し続けたマスコミの勝利と言ってもいいのかも。反トランプのニューヨークタイムズ紙はそれを売りにして、反トランプ派の大きな購買力を得て、青息吐息であった部数が大幅に伸びたと言われている。真実を報道すると言われているマスコミもいわばビジネス、ビジネスも大事、どちらに立てばよりビジネスが成功するのかを見極めての行動、ビジネスは真実よりも大事なのか?それぞれの人がそれぞれの意見をもって行動している。すべて同じ意見というのはあり得ない話、ありえるとしたら、相手が様々な立場を考えて、意見を合わせているだけ、忖度の世界では普通のこと、生活の知恵として、日本人の中に存在し続けたが、それが白日の下にさらされ、非難の対象になってきた。一方、それに反すると、つまはじきにされ、変わったやつだとレッテルを貼られてしまう。忖度のない世界に生きる子どもたちにとって、目に見えたもの、耳で聞いたもの、鼻で嗅いだもの、口で味わったもの、皮膚で感じたもの、それらが全て忖度の必要もないし、そんな言葉や知恵もない。彼らは見えたままに、匂ったままに、感じたままに表現し、誰に遠慮することもない。正直そのもの、一点の曇りもない。しかし大人は他人からどう思われているのかは大変気になり、自分の意見が発言する人のそれと異なっていても、相手が強い立場の人だったら、黙り込み、意に反して同調の声を上げる。このことは日本人のある意味良き点でもあるが、太平洋戦争に突入していった悲劇の根源でもあった。逆に考えれば、そういう一致協力の関係を築きやすいが故に、団体として、大きな力、国力の発揚に寄与している。1970年、大阪万博が千里丘陵の竹藪を造成して華々しく開催された。25歳の時であった。三波春夫や佐良直美が得意気に万博の歌を披露していた。その当時私が勤務していた会社は今から言えば何でもないことだが、1インチのTVを開発して世間を驚かせた。50年後、100年後に掘り出すタイムカプセル、未来から過去を見直すこの言葉が流行った。今年はあの時から50年、今はタイムカプセルを開けるには早すぎる。あの時月から石を持ち帰ったのだから、技術的にはびっくりするほどの大きな進歩がないのかも。自分の生きているうちにその成果を見ようと考える人は多いが、自分の亡き後を考え、長期的な視野をもって都市計画を作ったり、公園や街路に小さな木を植樹して、次の世代に残したり(最も日本ではすぐに頭の先を切り落とされてしまうが)する人は少ない。昔、田舎の人は先祖から受け継いだ田畑をしっかりと次の世代に引き継ぎ、その世代はまた次の世代へ送っていく。少しでも財産を失うと、周りから白い目で見られ、批判され、その場所に住むことは居心地が悪くなる。個人のものであってもそうではない、いわば運命共同体のようなもの。神社仏閣に対する寄付も同じこと。 さて、11月の作品展のアンケートをすべて読ませていただきました。コロナ禍の中でも頑張って作品展を開催したこと、展示がよかったこと、絵画の説明を受けて納得したとか、9割以上の人が私たちにとって心地よい意見を書いていただきました。しかし記名式であったが故に、書きたいことも書けなかったという保護者さんがおられたかもわかりません。私たちは保護者の皆様すべての意見を、それが好意的であれ、私たちへの叱咤激励の言葉であれ、真摯に受け止め、次への大きな飛躍への通り道だと考え、より一層努力してまいります。今後とも大きな励ましをよろしくお願いします。 さて、今月はクリスマスの月、幼稚園もイルミネーションでいっぱいです。南半球の真夏のクリスマスも趣があってよい。しかし私たちには白銀とトナカイのイメージがいっぱいです。西洋の風習といえども、良いもの、ロマンあふれるものは、洋の東西を問わず、子どもたちの成長の過程には欠かせないもの。早くコロナが終息して、冬の野山を子どもたちと楽しみたい。2020年、いろいろありがとうございました。来る2021年も変わらぬご厚情とお力添えを賜りますようお願い申し上げます。

01 11月 2020

道徳と倫理
ー11月のことばー

  中には私たちを叱咤激励するお言葉もありましたが、圧倒的にお褒めの言葉を頂いた運動会、暑い中頑張った先生(それが仕事だと言われれば何の反論もありませんが)それにみなさまの大事な大事なお子さん、その努力が結実した瞬間だったと思います。何よりも子どもたちの表情が素晴らしい。生き生きして、得意気に演技に取り組んでいる姿は人に感動を与え、思わず目頭が熱くなるものです。新型コロナの影響で様々なご不便を保護者の皆さんに強いる結果となり、申し訳なく思っています。しかし皆様方のご協力とお力添えで無事運動会を終えることができ、本当に良かったと思っています。今年もあと半分、コロナの終息が予想できませんが、与えられた環境の中で、精一杯前向きに取り組んでまいります。私たちの役割は勿論保育・教育活動を通じて、子どもたちの成長、発達を促し、将来への持続可能な生活基盤を確立することにあります。しかしながらこの世に生を受けた限りは、大小関係なく、社会貢献をすること、他人の役に立つことをすることと教えられてきた、換言すれば、広義の意味で人に感動を与えることではないでしょうか。幼稚園活動を通じて、毎日毎日そしてその瞬間、瞬間に人に感動を与える、そしてその対象者によって感動を受ける、感動を与え、感銘を受けることによって世の中が緊張から和らぎ,鷹揚の世界に代わっていく。昔は今ほどストレスのかかる社会ではなかった。人が人を打ち負かし、非難し、自分の存在を誇示するような人は少数であった。確固たる自分の意見を持つ人も少なかった。その意味で50年前に初めて外国に駐在したときに、議論ばかりが沸騰して、まとまりがつかない場面を何度も経験した。多民族国家であるが故に、自分の存在を認めさすことが必要だったのだろう。それとも生存本能のなせる業だったのか。翻って今の日本を見てみると、50年前の外国の光景によく似た気がする。自分の権利を主張し、意見を言い、相手を打ち負かそうとする気風が顕著になってsilent majority でなんとなく決まっていた過程が、物言う少数派によって奪われかねない状態になってきた。50年前にアメリカの後を追ってそれを模倣してきた日本では識者が危惧したことが現実になってきた。弁護士の大量生産もその一環だろう。と同時に恥という言葉が死語になりつつある。黙っていても先輩から、世間から無言のうちに教えられてきた道徳や戒めが壊れつつある。私は幼稚園の子供たちが将来、豊かで、人間的・文化的な生活を享受することを心より望んでいるが、同時に他人に寄り添い、他人の幸せをも希求するような道徳心を持ち合わせてほしいと思う。道徳と聞けばアレルギー反応を起こす人もあるが、私も若い時にそんな感情にかられたこともあり、おざなりな道徳教育をホームルームで行ったこともある。しかし年齢を積み重ねるにつれて、日本人の本質は道徳や克己心に裏付けされた豊かな心の輝きではないだろうか?と思うようになった。人をだまし、裏切り、私腹を肥やす、それが能力のある、できる人の典型と言われれば、そんな人はこの世では表面的には褒められ、崇められても、きっちりした道徳心に裏打ちされた表現や思想の持ち主にかなうはずがない。この園たよりが配布される頃には大阪市の存続に決着がついている。私は泉北郡美木多村に生まれ、70数年間今は堺市となった地に住んでいる。大阪市には何回も行ったことがあるし、梅田にも何となくよく行った。ある時高校の中間試験が終わって、梅田の阪急百貨店でカメラかラジオの新製品を見ていた時に、警察官に呼び止められて、カバンに中を見せるように言われたことがあった。昼過ぎなので、何か不審者のように思われたのか。又市電が走っていた。天王寺から上本町8丁目の大阪外国語大学にはその市電に乗って通学した。授業が終わるとその市電に乗って淀屋橋経由で梅田に行ったこともよくあった。市電は足であった。それがなくなって久しい。そして今度は大阪市が無くなる?世の中の動きは私たちの思いを考慮せずに変化していく。変化についていけない人、変化を喜ぶ人、様々な意見の中で私たちは今存在し、命をつないでいる。それともう一つ、USAの大統領も決まっている。4年前には友達とどちらが勝つか、ヒラリーとトランプ、私は前者を言い、負けてしまった。今の時点では圧倒的にバイデンが強い。そして勝ち馬に乗ろうとトランプ減税で大儲けしたウォール街の投資家たちが莫大な金額を安全パイとして、バイデンに寄付している。3年前にアメリカに行ったとき、カリフォルニア州ではトランプの評判は惨憺たるものであった。私の旅でお世話になった人はほぼ民主党支持者で反トランプであった。そうでない岩盤支持者のトランプ応援団も数多く存在した。私はトランプ大統領の思想・信条はわからないが、その実行力は人一倍であり、アメリカを思う気持ち、昔の良きアメリカへのノスタルジアが目に見えて強い。Black Lives Matter 運動も理念としては何も非難されることはないが、それに付随する暴力行為が頻発すれば、それもアメリカなのだろうか。統制経済の大国、中国がヒタヒタと背後に迫る中、アメリカのとるべき道は何だろうか?アメリカの威信の低下、衰退もささやかれるけれども、アメリカは昔の輝きを取り戻し、American Dream の国になって欲しい。

01 10月 2020

死と生とラボアジェ
ー10月のことばー

  9月初めAさんが死んだ。享年93才、若い年ではなかったが、死んでいい年は存在しない。長年JAの組合長の運転手として、定年まで勤めあげた。いろいろ秘密なことも知っていたと思うが、そんな個人的なことは、だれもが知っている以上のことは決して口外しなかった。定年後も3年間、同じ職を務め、63才の時に縁あって美木多幼稚園のバスの運転手になった。Aさんは一番の年長者でなかったが、持ち前の性格の良さによるものか、すぐに運転手の取りまとめ役になると同時に、その損得のない気性からか、若い先生にも人気があり、何でも相談に乗っていた。又幼稚園の為に率先して先頭に立って活躍した。その後70才になり、東区南野田に特別養護老人ホームハーモニーを開設したために、そこの運転手になった。家に近いことも大きな理由であった。そこでも人に好かれる性格と男意気でどの職員からも慕われ、信頼され、自分の居場所を確保することができた。80歳くらいまでは近場の送迎などをしていたが、それ以降は施設内で軽トラックの運転があっても、送迎に出ることはなかった。90歳を目前にして、免許証の返納をし、息子さんに送ってもらってハーモニーに通勤した。ハーモニーに移ってしばらくして、Aさんに「一生ハーモニーで面倒見るから、途中でやめてもらうようなことはしないから、たのむで」と本気で言った。そのことがAさんには本当にうれしかったらしく「理事長がこんな事言うてんね」と知り合いなどによく言うことがあった。そのためでもないが、本当によく働いていただいた。送迎バスの運転手をやめた後、さまざまな樹木に囲まれた9000㎡のハーモニーと6000m²のハーモニー美木多グループホームの植木の剪定と草刈りを一年かけて毎年行ってくれた。そのお陰で、いつも花の絶えることのない老人施設を維持できた。そのAさんが今年になって弱弱しくなってきた。私も口には出さなかったが、心配していた。そしてある日、息子さんからトイレで倒れて、病院に入院したとの知らせを受けた。今の時期面会はできなかった。しばらくして療養型老人病院に転院した。この世で最後の場所であった。転院してからあまり日がたっていなかった。葬儀は家族で行い、だれも参列しなかった。施設と職員からのお悔やみを届けに行った。職員にはお墓の場所を知らせるように言われていた。死んでよかったとはだれも言えない。人に良い影響を残してこの世を去ったという事実は私にとっても一つの区切りであった。最近の敬老の日に因んで、100歳以上の人が5万人を超えたとか、毎年1万人の減少なのに、今年は5万人も新生児が減ったとかの報道がなされている。そんな中でも元気に私たちの仲間に加わる赤ちゃんの誕生がある。10年後、30年後、50年後、どのような運命が待っているのだろうか。個人の意思で解決できる問題もあれば、社会的状況に翻弄される問題もある。どんな場合でもお父さん、お母さんの愛情を受けて生まれ、育ったお子さんが天寿を全うしてほしい。それはご両親の願いだけでなく、この地球上に住むすべての人の願いでもあるのです。ラボァジェの質量不変の法則でないが、誰かが死ぬと、同じ質量の誰かが生まれる。日本では死ぬ人が圧倒的に多いが、その分アフリカなどで増えているのか、はたまた未知の惑星で増えているのだろうか?人は生物体である以上、死はだれにでもやってくる厳粛な事実、そして誰も気が付かないふりをしている事実、直視したくない事実。Aさんは優しさと無私の心で一隅を照らしてこの世に別れを告げた。 10月からは2020年度の後半部、運動会、作品展、発表会などの様々な行事が控えています。子どもたちは着実に肉体的、精神的に大きく育っています。保護者の皆さまのご協力、ご支援を得て、充実した後半になるよう教職員一同精いっぱい努力してまいります。

01 9月 2020

9月を迎えて
ー9月のことばー

  爽涼の候、というにはもう少し待たねばならないようで、今年の残暑は非常に厳しいものがあります。初夏のころは比較的涼しかったせいか、その暑さが余計身に染みる感じがします。今年は普段の季節の変化に新型コロナ感染拡大を加味しなければならず、余計複雑な思いでいっぱいです。しかし時はその心配事や悩みの上を超越して過ぎてゆきます。野山に咲く花や樹木もその流れに沿って実をつけたり、花を咲かせたり、老葉を散らせたりして、目に見える形で季節の移り変わりを知らせてくれます。私たちにとって、とても大きな出来事であっても、自然界の支配者から見れば、何をちっぽけなことで悩んでいるのだ?という感覚になるのでしょう。換言すれば、コップの中の嵐、どんぐりの背比べ、五十歩百歩、中国風に言えば、蝸牛角上の争い、だろうか。しかし現実に戻ってみると、私たちにとってとても大きな問題、例えばコロナ一つにしても即座に解決できない。さて、パンデミックは忘れて、9月に浸ってみよう。9月は何と言っても食欲の秋、おいしい野菜や様々な果物が所狭しと八百屋の店先を占拠しています。昔は色や形、見た目そして下品な形であれば触覚で判断したのが、今や糖度計、それを信じると、思わぬ期待外れに終わってしまうことがある。それにスポーツの秋、2020 Olympic は延期されたものの、2021 Olympicは無観客の開催か中止になる可能性も。現実クラスターを心配する声もあるが、私たちのまわりにスポーツや運動をする人が目立ってきた。所詮人は動物、一か所に留まってじっとしているわけにはいかない。それに今月は敬老の日、踏みとどまって敬老の意味を考えたい。長幼の序という言葉を知っている人は少ない。年配者を敬うということなのだが、一般に老人の心は秋のように淋しい。だからたとえ一日であっても高齢者の心を慰める心遣いが必要だろう。若い時にあんなに速く走れたのに、あんなに高く飛べたのに、あんな動作も簡単にできたのに、取扱説明書なんか簡単に読んで、すぐに商品の使い方を習得できたのに、しかし今やスマホやパソコンの使い方も不得手、動作の緩慢さと繰り返される質問によって若い人にはのけ者にされ、邪魔者扱い。極端に言えば、不用品と不遜なことを言う輩もいる。成る程老人の中にはプライドが高く、声高に叫んでクレーマーになる人もいるが、今の日本はよいか悪いかは別にして、老人のおかげによるところも多い。もちろん若者と同じように同じように元気な高齢者はこの頃増えてきましたが、このことについて、よく考える日にしましょう。そして秋分の日、私たちは今あるのは祖先のおかげ、先祖に敬意を表し、亡くなった人たちをしのぶ大切な日、NHKのfamily history でないが、自分のルーツをたどり、祖先の活躍や生き様を知り、自身のこれからの指標作りの一助にしてもと思う。中には天災や戦争で短い生涯を閉じた人がその中にいるかもしれない。あるいは大きな武勲を挙げたり、大きな勢力を築いた人もいるかもしれない。アメリカのフォード自動車の創業者は昔の古代帝国の統治者の生まれかわりだと言った。そんなことはユートピアだとしても、過去を知ることは現代にも役立つ。私の父はあの土地もこの土地も戦前までは所有地であったとよく言っていた。しかし歴史は輪廻、今いくら栄華を極めていても、次の世代、又次の世代まで永遠に続くわけではない。過去を振り返ることは現在いることの感謝に繋がっている。今月で最後に気を付けなければいけないのは、昔よく言われた210日であり、220日。最近は異常気象で計算できない時に嵐や大雨がやってくる。防災教育の徹底を図っていくと同時に安全、安心の環境作りをしていきます。4月から始まった幼稚園も9月で半分、折り返し地点、いろいろな行事が詰まった後半を控えて、助走期間の最終段階をうまく乗り切って次につなげていきます。今月もご指導、お力添えをよろしくお願いします。また10月1日は園児募集の日になっています。どうぞ大きな力を私たちに与えていただきますようお願いいたします。決して期待を裏切ることのないように全身全霊頑張ってまいります。

01 8月 2020

艱難に感謝
ー8月のことばー

  8月、葉月、夏の盛り、いつもであれば夏休み、海に、山に、旅行に,帰省にと汗をかいている真っ最中、今年は収束しかけたコロナが息を吹き返し、大きな脅威となって私達に迫ってきた。人はインフルエンザのようなものだから過度に怖がることはないと言うが、最初の報道が事実を伝えたのか、誇張して伝えたのかは知らないが、死の恐怖が付きまとう新型コロナには例外なく誰もおびえている。正しくおびえ、正しく怖がることは絶対必要なことであり、その為には冷静で、沈着な行動様式が望まれる。若者は軽く済むからと言って、無謀な行動を繰り返すと、家族の高齢者に大きな負担をかける。みんな同じ地球の乗組員、助け合い、協力し合って安全航海をしなければいけない。しかしながらある意味、トリアージ(triage)とも言えるのでしょうか。そして皆様はどう思われますか。フランスやスペイン、イギリス等の欧州諸国は限りある医療資源を有効活用するために、トリアージ(治療の優先順位)によって分類している。例えば75歳以上の人には積極的な治療や有効な医療器具の使用を行わず、若い人の命を優先して助けていく。又、日本では80歳、90歳以上の高齢者にも保険医療から何千万円の医療費を使うこともある。そのほとんど99%を保険(税金)で負担する。治療してもあと何年生きながらえるのか。このことについて、疑問視している医師も沢山いるだろう。年齢に関係なく人の命は重い。最大限の敬意を払うべきだと考える人から見れば、それは理にかなった正当な治療行為だろう。しかし、限りある資金や資源を考えればと思う人もいるかもしれない。コロナによって人の命の重さが再認識され、これは私達の避けて通れない問題である。1%の大金持ちが20%の富を独占し、国民健康保険がないアメリカでは人の命は金次第、そしてファーベラ〈貧民街〉のあるブラジルでは貧困層の感染がすさまじい。そんな中で日本電産の社長がピンチはチャンスだといって、M&A(合併、買収)によって会社を次々と買収していった。そしてそのほとんどを3Q6Sの標語の下に結束し、大きな成果を上げた。3Qとはquality worker,良い社員、quality company,良い会社、quality product,良い製品であり、6Sとは整理(いつもきっちり片付けられた職場)整頓(いつも全てのものが使いやすい職場)清掃(いつも汚れのないすがすがしい職場)清潔(身だしなみのさっぱりした社員)作法(正しい行動ができる社員)躾(決められたとおり正しく実行できるよう習慣付けられる社員)。 コロナは邪魔で忌まわしい存在だが、考えによってはいいことがあるかもしれない。明治、大正、昭和を駆け抜けた有名なキリスト教者で評論家の内村鑑三は様々なたとえをあげて、「艱難に感謝する」と言った。苦労をし、挫折を経験してこそ、人は成長し、成功体験も大きなものになると述べている。成る程、コロナショックはリーマンショックを上回るものだろうし、私自身こんな一つの小さなウィルスが人類を恐怖に陥れ、世界経済を麻痺させ、軍事大国や経済大国の威信を低下させるとはまったくの驚きであった。何も武器やお金は要らない。小さなウィルスだけで世界を征服できると思うと空恐ろしい気持ちになる。よく世間では、この世で起きたことはどんなことでもこの世で解決できると人は言う。まさに私達の英知を結集すれば、このコロナ問題も過去の遺物として、解決されることになるだろう。それは今に始まったことでないが、近頃の若い者はと年配者はよく言う。特に60歳を過ぎると、又、スポーツ関係者において、特によくそんな言葉が発せられる。しかし、今の世界の困難、日本の苦境を切り開き、解決できるのはそんな若い世代の人々だ。10年後、20年後のリーダーとして、今の幼稚園児が活躍しているかもしれない。期待と夢を膨らませながら、真夏の8月を乗り切っていきましょう。 二学期には様々な大きな行事を予定し、今そのための準備や練習の最中ですが、コロナ感染の拡がりで非常に流動的です。その都度的確な情報をお伝えしてまいります。

01 7月 2020

諦観と希望
ー7月のことばー

  7月文月が始まりました。普通であれば、いよいよ2020 TOKYO Olympicのまさにその月ですが、その開催も来年に延期され、そして次の2024 Paris Olympicが決まっているために、2021 Olympicは正念場、肯定的に考える人もあれば、悲観的な人もいる。果たしてどうなることやら。20代、30代は感染しても死の恐怖はないと言われ、そのせいでないかもしれないが、若い人の感染者の報告が多い。ウイルスが勝つか、人の英知がそれを凌駕するか、今はせめぎあいが続いている。未来を担う小さな子供たちがそんな災禍に見舞われないためにも、より一層安心、安全と保育・教育活動の共存を目指して、保護者の皆様と協力し合って、様々な行事を進めてまいります。さて、私たちは生涯にいろいろな人に出会い、感動し、教えられ、心豊かになり、また反対に悲しい気持ちにさせられる事もあります。運命のいたずらと言うべきか、その出会いによって上昇のきっかけをつかみ、頂点にまで上り詰めた人もいれば、疫病神的な存在の人に出会い、感化され、悪の道に誘われ、身を亡ぼす人もいる。それが長く続く友情のきっかけになりえるし、反対に一期一会のように、生涯にただ一度まみえること、一生に一度限りである場合もある。それ故、一期一会を大切にと考えるのが本来の筋だが、概して旅の恥はかき捨て的な気持ちでやり過ごしている。その結果不本意な評価がどこからともなく聞こえ、戸惑い、不利益を被ることがある。最近マドンナ主演のエビータ「EVITA」のビデオを再び見る機会があった。第2次世界大戦中のアルゼンチンは何の影響も受けないどころか、反対に豊富な農産物を輸出して、莫大な富を蓄積した。その時に労働者階級の圧倒的な支援を受けて、大統領になったのがフアン・ペロンであった。一方エバ・ペロン(EVITA)はブエノスアイレスから遠く離れた田舎で私生児として育ち、15歳で野心と成功への夢を見ながら大都会へ無一文でやってきた。大きな声で言えないような様々な仕事や人間関係を通じて、次第に頭角を現し、ついにはペロン大統領と知り合い、結婚するようになった。詳細は映画の中で語られている。豊かな富を惜しげなく人々や戦争で疲弊した欧州や日本にまで差し出し、その人気は絶大であったが、若いころの無理がたたったのか、33歳で子宮がんでこの世を去った。彼女の葬儀には数十万人の市民が参列した。映画の中でも描かれているが、彼女のモットーは「負けを嫌って強いものになびく」又「鋼鉄のような強い意志を持っていても、それを包む肉体が朽ちていく」とも言った。当然と言えば当然、非情といえば非情であった。しかしどんなに栄華を極めようとも、どんなに人から好かれようともいつか人は朽ちていく。その諦観の中で古代ローマ皇帝のマルクス・アウレリウスは次のように書いている。絶えず思うがいい、どれほど多くの医者たちが、病人の為にしばしば眉をひそめながらやがて自分も死んでいったか、どれほど多くの占い師が他人の死を何か大ごとのように予言しながら、死んでいったか、またどれほど多くの哲学者が死や不死について幾多議論を繰り広げながら自分たちも死んでいったか、またいかに多くの英雄が、多くの人を殺しながら死んでいき、どれほど多くの暴君があたかも自分は不死身であるかのように、恐ろしい傲慢さで他人の生命を左右しながら、自分も死んでいったか。またおよそ君の知っていた者を一人一人数えてみるがいい。一人が他の人を世話して、それから自分が参ってしまい、その人を第三の人が世話をする、これらすべてはちょっとの間のことだ。一言でいえば、人間的なことはいかにはかなく、つまらなく、そして昨日の小滴は今日はミイラか灰であることをいつも思え。かくてこの短い時間を自然に従って通り過ぎ、ちょうどイチジクが熟すると、産んでくれたものをほめ、養ってくれた木を感謝して落ちるように、おちついて旅路を終わるがいい。 一学期は8月7日まで、元気いっぱい夏を乗り切っていきましょう。

01 6月 2020

力を合わせて困難を克服しよう
ー6月のことばー

  2020年、6月、水無月、オリンピックイヤー。 青葉の季節となりました。目の覚めるような木々の緑です。そしてそろそろ海、山の恋しい頃になりました。本来ならば高らかにこの6月を称賛するこのような言葉が、何かむなしく、場違いな感を与えている。しかし考えによっては、この年は学校・園の臨時休園もあり、人々は自粛、自粛の掛け声で巣ごもり状態になり、オリンピックも延期された、私たちの短い一生の中での忘れがたい年にもなりそうです。新型コロナウイルス、novel coronavirus , covid19, トランプ流に言えば、武漢ウイルス、なんと多くの人に死の恐怖心を植え付け、又実際に私たちから数えきれないくらいの尊い命を奪った憎い見えない敵、こんなに科学が進んでいるのに、解決策が見いだせないばかりか、第2、第3の波状攻撃を恐れている。消毒をし、マスクを身に着け、密を避ける努力をしても、一瞬のスキをついて私たちに忍び寄ってくる。今月になって、というより、暑くなって、インフルエンザと同じく終息の兆しが見えたとはいえ、まだまだ心の奥底から喜ぶ気にはなれない。ましてや生まれてまだわずかな期間しか私たちの仲間になっていない、十分にものを言ったり、考えたりすることができない幼子たちのストレスはいかほどだろうか。将来の成長の妨げにならないか、私たちは十分な注意と配慮をもって、教育、保育活動に当たらねばならない。その意味で、幼稚園、こども園の存在意義をいくら強調しても、しすぎることはないと考えます。子どもたちがそれぞれの年齢の通過点を今までと同じ成長を見られるように、教職員一同寸暇を惜しまずに支えていきます。そしてそれが保護者の皆様の不安や心配の種を取り除くことができれば、本当にうれしい限りです。私たちはスタートアップの助走期間をかなりの日数過ごしてまいりました。お子様も幼稚園、こども園に慣れていただいたと思います。いよいよ従来の通常保育・教育活動が始まりますが、一学期に計画していた行事や参観などのすべてが実現できるわけでもありません。コロナのせいでと言われないように、充実した代替プログラムを組んでいきます。保護者の皆様の熱い思いとご支援、お力添えを受けて、力強く進んでまいります。皆様の期待に十分こたえることができると思っています。私たちの幼稚園の強みは何といっても先生であり、職員であり、運転手や車掌さん、そのほかの縁の下の力持ちの職員の皆さんです。力を合わせれば解決できないことはないと確信しています。どうぞ皆様方と力を一つにして、今の困難な状態からV字回復を果たしていきましょう。もちろん幼稚園だけでなく、皆様のご家庭も、会社も、お店も限りなく明るい未来に向かって一歩を進めましょう。6月は紫陽花の月でもあります。子どもたちには紫陽花の花の種類や色の変化を知ってもらったらと思います。しかし何といっても6月は梅雨の季節、しとしとと降る長雨、バケツをひっくり返したような大雨、小雨や小ぬか雨、霧雨の少しロマンの匂いがする雨、そして私たちに迫りくる洪水、災害、その危険性についても子供たちに知ってもらうことが必要ですが、水は私たちの体の70%を占める重要な物質であり、今月に始まる田植えには欠かすことができないものです。しかし水の事故は致命的になることが多い。そんな水のいいところ、怖いところを十分にこの6月の中で知識を共有していきたい。リンゴやイチゴから始まった果物も今はビワを超えて、サクランボの時、美しい花を咲かせるソメイヨシノの桜と違う別の種類の桜の木から生まれることも教えてあげたい。お百姓さんが一生懸命作った畑では5月に新玉ねぎを収穫しました。今月はジャガイモ(私の小さい頃は二度取れるから、ニドイモと呼んでいた)の収穫、さつまいもとジャガイモの違いも教えてあげたい。先生は意欲満々、知識旺盛です。さあ、明るい笑顔を絶やさないで、旅立ちの始まりです。保護者の皆様には、いろいろ至らない点があったこと、又ご不便やご心配をおかけしたこと、心よりお詫び申し上げます。これからも子どもたちの成長・発達を楽しみに進んでまいります。今後ともご支援、お力添え賜りますようお願いいたします。

01 5月 2020

歴史に学ぶ
ー5月のことばー

  100年に一度、天は私達に試練を与えるのだろうか。1929年の大恐慌の前、第一次世界大戦の時のアメリカの町の壁には、スペインかぜ・インフルエンザの注意すべき要点のポスターが貼られていた。今の新型コロナ・ウィルスと同じ警戒の内容です。いくら科学技術が進歩し、月に行く、遠い天体の小惑星から砂を取ってくることができたとしても、目に見える敵を倒す武器はいろいろ開発され、実用化されているものの、新しい目に見えない敵にはほとんど無力で、対抗策がなく、事前にそのための準備ができない。本当に私達は21世紀の科学の時代に住んでいるのだろうか。それをあまねく享受しているのだろうか。100年前のスペイン風邪は何もスペインで発生したものではない。このスペイン風邪・インフルエンザで世界中では4000万から5000万人が死んだと言われ、日本でも40万人前後の人が命を落とした。その特徴は99%の死亡は65歳以下で、特に15~35歳の健康な若年層に発生した。今と同じように、有効なワクチンがなく、人と人との距離を保ち、マスクを着ける。そして感染者は自分で広げないように、最大限の注意を払うことであり、その基本となるのは呼吸器衛生と咳エチケット(cough etiquette)であった。実際当時咳き込んだだけで、罰金等もあった。この文章は国立感染研究所のものから引用しているのですが、研究所によれば,スペイン風邪などを世界的に研究し、会議を行い、その結果「人の世界において流行する新型インフルエンザ・ウィルスが早ければ数年のうちに出現する」と警告がなされ、専門家の間では、「いつ来るかわからないが、いつかは必ず来る」が定説になって「もし来た場合には、大きな被害が予言されるにもかかわらず、準備が無ければ、社会が混乱するのみ」と結論付けていました。ヒトからヒトに容易に感染する新型インフルエンザが出現し、ひとたびそれが一定以上の人口の間で拡大を始めると、パンデミックを防ぐ確実な方法は現時点では知られておらず、ただ世界及び各地域で、国で、広がることを遅らせるという対策(国際間の移動制限、患者の早期発見と隔離、集会の延期等)をとるしかありません。新型インフルエンザの出現と流行は確実に抑えることのできない自然現象の一つとして捉えるべきでしょう。しかしながらヒトからヒトに容易に感染する新型インフルエンザが出現した場合でも、発生した地域を特定し、住民の移動制限とその地域内で抗ウィルス薬の一斉投与を早期に行うことで、パンデミックを止めるか或いはその拡大を遅らせることができる可能性があると2005年の研究報告は結んでいる。過去に事例があり、研究者が貴重な提言を多数しているにもかかわらず、どうしてこんなに拡大をし、大きな社会的困難を引き起こすようになったのか。医師,看護師、特に感染症の病院で日々獅子奮迅の活躍をしている医療従事者は自分が感染する危険と恐怖と戦いながら、患者のため、社会のために働いている。そしてそれに関連する様々な職種の人たちへの感謝はいくらあっても足りることはない。よく行く町の中華やさんの主人から携帯に電話があって、何事かと思って聞いてみると、「先生の息子さんは今ニューヨークですか」との質問。前に息子の1人は呼吸器外科の医者と言ったこととテレビでニューヨークの病院で新型コロナの治療に当たっている先生の名前が偶然宮下医師ということで連想したのだそうだ。それ程全ての人の中に新型コロナが大きな場所を占めている。今回大阪府や堺市の要請により、臨時休園中ですが、一年の一番いい今の季節、子ども達に味わって欲しいとの思いがいっぱいです。このコロナはすぐに完全には終息しないでしょう。しかし行政や感染症の専門家が大丈夫と言った暁には、今までの分を取り返すくらいの気構えで、子ども達と接し、保育環境作りに励みたい。先生方も休むことにはうんざりし、早く、早く子どもの顔を見たい、クラスを運営していきたいとの意欲にあふれています。どうかコロナ・ウィルスにお引取りを願って、寂しい園庭や保育室に明るい笑顔やワイワイガヤガヤの賑やかな声が戻ってくるのを切に願っています。この臨時休園中には、保護者の皆様から何かとご支援、お力添えを賜り、本当にありがとうございます。尽きせぬ感謝の思いでいっぱいです。

01 4月 2020

令和2年、2020年、4月、新しい始まりを迎えて
ー4月のことばー

  淡い色の桜のつぼみが陽気と共に一気に膨らみ、開花する。一年で一番艶やかなこの季節、草花も、我も我もと競い合うかのように色々な色や形で私達を桃源郷の世界に誘惑する。今まで死んだふりをしていた大小さまざまな落葉樹も、これ見よがしに、化粧直しをし、着飾り、この一年の成長を約束し始める。地上で生活している人も、鳥と同じ高さで日々暮らしている人も、無意識のうちに、その小鳥達の鳴き声が何かしら「春が来た」と歓迎しているかのように声の質も艶っぽくなってきたことを感じている。池では水底から這い上がってきた魚達が喜びで飛び上がって、水面に波紋を広げている。スプリング、プランタン、プリマベラ、春がいつのまにか野を越え、山を横切って、私達の下にやってきた。生きとし生きるもの全てが生気にみなぎり、躍動感があふれています。こんな4月は入園、進級のうれしいときです。入園された皆様、ご入園おめでとうございます。これからは今までと違った仲間との世界、仲良く遊び、学び、楽しく過ごしましょう。進級された皆様、幼稚園では一つ上のお兄ちゃん、お姉ちゃんになりました。下のお友達には親切に、優しくお願いします。今まで以上に様々なことを経験し、知識を身につけて、大きく成長していきましょう。先生はそんな皆さんをじっと見守っています。なんでも疑問に感じたら、すぐに先生に打ち明けてください。きっと素晴らしい答えが見つかると思います。保護者の皆様、私達幼稚園と縁を繋いでいただき、本当にありがとうございます。皆様との固い絆を頼りに、皆様の信頼や今までの実績を裏切らないように、そして又皆さんの期待に充分応えることができますように、教職員一同身を引き締めて、幼児教育に邁進してまいります。3月の卒園式や修了式には保護者の皆さんに「よくやっていただいた」とお褒めの言葉をいただけるよう、私達に与えられた責務を果たしてまいります。どうぞご期待ください。 尚、今年は今までにないコロナウィルスによるパンデミック(世界的流行)に遭遇しています。いつか終息するであろうという楽観的な気持ちが先の見通せない不透明感をもって私達に降りかかってまいりました。そのために、3月の卒園式や修了式を行ったものの、長期間に渡って臨時休園や自主規制をせざるを得なくなりました。この文章を書いている3月末には4月の入園式を行うことを決めていますが、いつ新しい状況になるかもわかりません。世の中が混沌とした状態です。いつ如何なるときでも、危機意識を持ち、幼児の安全、安心を中心にして物事を進めてまいります。かけがえのない命、保護者の愛情を一身に受けて、慈しみ育てられた子ども達、なんとしても立派に成長して欲しい、その思いは私達に共通する願いです。令和2年、2020年、オリンピックは延期されたものの、この年が私たちや保護者の皆様にとって、素晴らしい、忘れがたい年になりますよう、一緒に力を合わせて行きましょう。よろしくお願いします。 最近読んだ至言 3月19日付けの日経新聞に掲載された花王の澤田社長の言葉。メリーズ躍進の貢献者 部下に接するとき「マイナスの部分は一切見ません。見てもどうしようもないからです。人の資産を最大化するにはプラスを伸ばすべきだと思っています。プラスを伸ばしてマイナスをなくせばいいと言われますが、両方できるはずがありません。マイナスを指摘するのは一番やってはいけないことです。人間誰しも得意、不得意があります。できるだけマイナスを言わずプラスのことを言い、プラスが伸びれば、マイナスはいつの間にかマイナスでなくなっていきます」又「いつも明るく頑張っていると言われることが多いですが、ストレスをためないのは切り替えがうまくできているからだと思います。寝る前に一日を振り返り、反省することもありますが、それはそれでいいかという考え方です」 参考にさせていただきたいと思います。

01 3月 2020

弥生3月、卒園と彼岸の季節
ー3月のことばー

  心地よい香りに誘われて、鶯が飛来し、清涼な声で空気を震わせている。地上を見れば、寒暖に関係なく、季節を待ちわびたように、様々な草花が目覚め、今までの眠っていた遅れを取り戻すかのように、エネルギーを一気に放出して、精いっぱいの艶やかな姿に変身している。その姿、その色合いを見て、デザイナーはそれを模倣し、自然界から貴重な知識を吸収して、それに自分の才能を加味して、人間の世界に新たな興奮をもたらし、名声を勝ち得ていく。人は自然界とは決して離れることができない。というよりは自然界の大きな優しさに包まれ、その庇護のもとに生命体を維持している。人がこの世界の主役だと、おごり高ぶった考えはこの謙虚な世界ではありえない。薬品にしても自然界から習得したものが多いし、ある時に欧米の大きな薬品会社が、多民族と接触していない、未開発地域の部族から、そこに暮らす人々から採血して、研究に使ったと聞いたこともあった。自然は征服するもの、人間の自由にできるものという考えの持ち主には強力な鉄槌が下される。花を愛で、自然を愛し、自然の懐に抱かれ、自然に帰ってきてもいいよという呼びかけで自然に戻っていく。医学の進歩で多少の誤差があっても、自然界ではその輪廻が変わることはない。生き物すべての原理原則となっている。もう少しミクロの目で眺めてみると、いよいよ3月、日本独自の年度末、一年の終わり、そして彼岸の月。彼岸はよく此岸(現生)と対比して述べられている。人は此岸に今住んでいる。喜怒哀楽を感じ、生老病死の世界にどっぷりつかっている。恋をし、人を敬い、呪い、嫉妬し、栄華を極め、没落し、理不尽に憤り、人の親切に涙する。地位や名声や富に憧れる人もいれば、そんなものは一時的で、はかないものだと蔑視する人もいる。陽炎の世界を望む者もおれば、鶴・亀の世界、不老長寿に真剣に取り組む人もいる。あきらめの早い人もおれば、粘り強く生き抜く人もいる。そんな此岸に対して、彼岸は一種の観念の世界、別次元の世界、換言すれば、空想の翼に乗って自分の思い通りの世界を徘徊できる季節。現生の束縛を離れて、自由に羽ばたくことができる空想や理想の世界、そんな現実逃避の世界に遊ぶことができるのもこの彼岸の季節3月、理想郷の月。なぜ一年の終わりにしたかはわからないが、学業をする者にとっては社会に巣立つ季節、そして何事においても社会に変革をもたらすのは若者の力、今の屈曲した、汚濁と不信と不自由に満ちた此岸をその力で大きく改革しようとする強い意志と決意をもって人生を進んで欲しい。幼稚園から始まる長い長い学業の世界を終えて、今飛び立とうとする若者にとってはこの3月は夢と希望に満ち溢れた月、いつになってもこの日を忘れないでほしい。卒園する皆さん、卒園おめでとうございます。6年、日数にすると2000日弱、皆さんは体は小さくとも立派な人です。まだまだ大人の助けが必要です。しかし自分で見、自分で考え、自分で行動できる賢い人です。皆さんには素晴らしい未来があります。頑張ればそれが実現できる社会に住んでいます。「努力は決して人を裏切ることはない」私はこの言葉大好きです。今報われなくともいつかその成果が血となり、肉となって私たちにかえってきます。しかし同時に優しさも、人を許す寛大な気持ちも持ってください。今から大きな海原に飛び出します。健康に気を付けて、日本人であることの誇りをもって、自分の道をまい進しましょう。年少、年中組の皆さんは来年も幼稚園で楽しく素敵な時間を持ちましょう。その年齢でしかできないこともたくさん経験しましょう。先生はいつも皆さんの側にいて、皆さんを見守っています。さようなら皆さん、こんにちは皆さん、幼稚園で過ごしたこと、これから過ごすこと、誇りに思ってください。

01 2月 2020

苦しい中にも希望の光
ー2月のことばー

  1月,往く、2月逃げる、3月去る、3学期は光のように過ぎ去ってしまう。この間元旦を迎えたばかりだというのに、もう2月。今は受験制度の多角化で、この時期それ程悲壮感を持った受験生が多くない。しかしそれでも、「冬来たりなば、春遠からじ」の言葉を胸に秘めて、必勝を期す受験生がまだまだ多い。人は絶望的な状態、耐え難い環境、精神が苛まされる事象、人間関係が微妙な現実、そんな状態や関係、環境がいついつまでも継続し、先が見えない、希望がない状態になると、意欲やモチベーションが低下し、絶望的な気持ちになる。その意味で、辛いことの後には良い事が待っているというこの激励の文は今の受験生にはぴったりの言葉だろう。しかし少子化の為か、大学全入を迎えた今、受験勉強なんか誰の事?と考える受験生もいる。人は苦しいときには何か明るいことを、例えその可能性がわずかであっても、求め、予知し、生き続ける糧にし、苦しさから開放されようとする。今の季節にもこのようなことがあてはまる。寒い、寒い冬の真最中に「立春」という言葉が存在する。少なくとも暦の上では春が来たと思い、心の中に何かしら「温もり」が来ることを連想する。その後に余寒とか春寒とかいう言葉も存在するが、本格的に春に移行する前の季節の逆戻りとして、なんら春が来ることをさえぎるものでない。又春浅し、春めくという言葉を使い、春のうきうき感を演出しようとする日本人古来の叡智がもたらした心の暖かさであろうか。クロッカス、水仙、椿も私達に春の近づきを教えてくれる。白や黄色のクロッカスを見るたびに、過ぎ去りし1年の速さを悟り、水仙の花を見れば、恵まれない環境の中でも、白い清楚な装いで、私達を和ましてくれる。私は椿が好きだ。さざんかとよく間違えられる椿、武士の時代には落首と重なって忌み嫌われた椿、しかし日本古来の花、椿、五弁の椿や侘助の質素な椿、日本の椿は決して華麗で、華やかでないが、私達に訴え、ワビ、サビの世界に私達を誘い、一隅を照らして私達にほっとする雰囲気を醸し出す。茶道になくてはならない椿、西欧椿、所謂カメリアは品種も豊富で1000種類以上あるとか。又椿をめぐる争いが起こったり、超高値で取引されたり、今の錦鯉のように、品種改良をされ続けられた椿、一昔前までは黄色の椿を見つけた人には賞金を出すといわれた椿、幸運にもベトナムと中国雲南省の境で幻の黄色の椿が見つかったというニュース、そしてその葉を1枚日本に持ち帰って、日本にも黄色の椿が広まったという事実、椿のことを言われると、断片的な知識ながら、俄然筆が進んでしまう。1年に10cm位しか延びない椿、大きな椿の木を見ると思わず長年生き続けたことに畏敬の念を抱いてしまう。そして2月11日は建国記念日、戦前は紀元節、戦後はさまざまな議論を呼んでの建国の日、はなはだ個人的なことですが、私の母親は初代美木多幼稚園の園長で、父親と共に美木多幼稚園の礎を築いた。母は大正10年(1921年)2月11日生まれ、堺市立小学校の教員として勤務し、昭和53年に幼稚園を父と共に設立した。因みに私が33歳のとき。その母の名前が紀久子、紀元節から1字頂いたと千種小学校(鳳小学校)で勤務したこともある小学校教員の祖父(紀久子の親)から聞いたことがあった。今月は幼稚園にとって一番大きな行事、音楽・生活発表会の月、色々紆余曲折して今のような形の音楽・生活発表会が生まれた。音楽の指導、劇の指導で、担任も腕の見せ所、毎日毎日ハードな勤務が続きますが、子ども達の喜ぶ姿を見たい、その後ろにいる保護者の皆様の期待に少しでも近づけようと一生懸命です。又それを盛り上げていく裏方も担任以上に頑張っています。どうぞ当日は暖かい気持ちで見守っていただきますようお願い致します。御来園を心よりお待ち申し上げます。

01 1月 2020

令和2年 明けましておめでとうございます
ー1月のことばー

  時代は平成から令和に変わりました。これを考え出した中西先生の著作を読むにつれ、その教養の深さに驚きの連続です。政治的には安倍首相が明治維新以降一番の長期政権になったとか。一年ごとに首相が変わっていた時とは隔世の感があります。経済的には1ドル110円前後の円安が続き、各国との一人当たりの所得が離されるばかりです。かっての世界第2位の実力はどこへ行ったのでしょうか。預金金利が低くなったせいで高齢者がお金を使わなくなったのがインフレ2%を達成できない大きな要因の一つだとか。又海外に出て行くことも少なく、内向きになった日本人からは今後もノーベル賞級の人がたくさん輩出されるのか?日本人の矜持が試されています。教育の世界では、いろいろ言いたい理由もありますが、読解力の成績が最底辺に沈んだとか。アルバイトに明け暮れて、勉強しなくなった学生、それとは反対に、いける大学よりも行きたい大学を目指して、一心不乱に、寝食を忘れて勉学にいそしむ一部高校生、教育の世界でもますます二極化が顕著になってきた。恵まれた家庭環境に生まれてきたからと言ってそれがいつまで続くか分からない。不透明で、混沌とした時代、一人ひとりの確固たる自覚が必要です。もっと大きなマクロ的に考えるとどうだろう。昔の新聞はアジアのニュースはほとんど話題にならなかった。しかし世界ナンバー2の中国をはじめ、アジアには経済的繁栄を謳歌する国々が現れ、新聞に占める比率も変わってきた。何と言っても好き嫌いは別として、中国は無視するには大きすぎるGNP No.2の国にのし上がった。識者によれば、USAを抜くことも遠い将来でないそうだ。面白くないアメリカはなんやかんやと難癖をつけて中国を貶めようとしているが上手くいかない。そのアメリカのトランプ大統領も一年も持たないかのように言われていたが、もう3年、共和党支持をしっかり取り付けて、今や二期目を目指しているがその可能性は誠に大きい。アメリカに対抗する勢力として、EECもイギリスの脱退によってその真価が問われている。しかしそんな心配は杞憂に終わる可能性が高い。丁度トランプ政権がそうであったように。昨年韓国人旅行者の激減があったが、全体として、未曾有の数の外国人が日本に押し寄せた。外国人が乗っていない電車、歩いていない都会に遭遇するのが難しい。一方で大きな観光公害を引き起こしている。誰が観光客から恩恵を受け、誰がそうではないか。どちらにしても私達の祖先がまだまだ美しい日本を残し、維持し、そしてその温和な日本人気質を受け継いできたことに大きな感謝です。戦争で歴史的遺物を完膚なきまで破壊してしまう人々、例えそれが自分たちの主義主張にあわないとしても、先人達への大きな冒涜となっている。いつの日か、その風景は日常の光景として、私達はなれてしまうのだろうか。先人達の残したものを子孫に今以上の形で伝えていくことも私達の責務であり、必然であろう。スポーツの世界では若い人がその若さを遺憾なく発揮した。初出場、初優勝、全英女子オープンゴルフの大きなタイトル、価値観で計れない大きな手、見えざる力、そしてそれを逃がさずに、がっちり自分の元に引き寄せる力、実力、渋野選手の優勝はラグビーワールドカップの大健闘同様に日本人に感動をもたらした。今年完成した国立競技場が2020年の東京オリンピックでその大任を果たす。思えば1964年10月10日、東京オリンピック、青空の下、私とほぼ同じ年齢の広島生まれの青年が聖火台に立ち、高々とたいまつを上げた。感動の渦であった。前年にケネディー大統領が凶弾に倒れ、世の中が少し沈んでいた。今回はオリンピック終了後は経済の悪化が予想され、少子化対策がますます喫緊の課題となってくる。 前と後ろに子どもを乗せて幼稚園まで毎日送り届けてくれるお母さん、バスの到着を今か今かと待ちわびているお母さんやお父さん、そして毎日、子どもと一緒に雨の日も、風の日も通園してくれるお母さん、子どもを思う気持ち、将来健やかに、幸せに過ごして欲しいと願う親心、数ある幼稚園の中で私達の幼稚園を選んでいただいた感謝の気持ち、今年も今まで以上に子どもに向き合い、子どもを理解し、お母さん、お父さんが安心して私達に任せていただけるよう誠心誠意頑張ってまいります。いろいろご心配、ご迷惑をおかけし、又ご期待に応じることができなかったことがあったかも分かりませんが、本当に昨年一年間ありがとうございました。今年も宜しくご指導、お力添えお願い申し上げます。最後になりますが、今年一年が皆様方にとって、最良の年になりますよう、心より願ってやみません。

01 12月 2019

Jorge Mario Bergoglio
ー12月のことばー

  懐かしい聞き覚えのあるイタリア語が混じったようなポルテーニョ訛りのスペイン語が耳に入ってきた。ローマ教皇フランシスコが長崎で信者や集まった人に語り掛けていた。その声は優しく慈愛に満ちた、それでいて何物にも屈しないという威厳に満ちた語りであった。世界平和を訴え、核兵器自体を持つことを戒めていた。英語、伊語をはじめ、さまざまな言語に精通しているとはいえ、自分の心からの叫びを表現するのには生まれ育った母国語で話すのが良いと思ったのだろうか。本名Jorge Mario Bergoglio (ホルヘ マリオ ベルゴリオ)、1936年12月17日、南米 アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで生を受けた。嘘か本当か、若い時に好きな女の子にラブレターを書いて、それを受け入れてくれなかったら、聖職の道へ進もうと考えていた。その手紙は彼女の父親に握りつぶされ、彼女には届かなかった。そんな逸話が残っている。1969年から1971年まで私もブエノスアイレス駐在していたが、当時は今でもそうだと思うが、カトリックの国で、離婚や中絶は認められていなかった。それでdivorciado(離婚者)ではなくseparado(別居中)と呼ばれていた。実際この言葉は何回も会話に現れた。私はJunin 923番地に住んでいたが、その前がブエノスアイレス大学の医学部、歯学部、経済学部、教皇もこの大学を卒業した。その後、厳粛なカトリックの道を進むのだが、私も何回か友達の結婚式やミサに行ったことがあるので、ひょっとしたら出会っていたかもしれない、というより同じ町の同じ空気を吸っていたのだろうか?教皇になってからフランシスコと名前が変わったが非常に質素で、何事にも贅を嫌い、名誉や地位に対する欲もないと言われ、前教皇の選出の時には自分を選ばないようにほかの司教にお願いをしたほどであった。教皇は終世であるが、前教皇と同様に途中で退位するともいわれている。カトリック系の高校や大学は日本にも数多く存在するが、その総本山的存在の上智大学で離日にあたって教育の重要性を説き、すべての人に教育を受ける権利を主張した。アメリカはカトリック教徒が少ないが、ニクソンと争ったケネディは「宗教よりも国益を優先する」と言って、大統領になった。体に鞭を打って性的欲望を鎮めようとする厳しい修練、その裏でひそかに進む少年虐待の忌まわしい現実、欧州以外から初めて選ばれた教皇には様々な問題や慣習が待ち受けているが、どんな問題にも持ち前の英知とユーモアで乗り切っていく。キリスト教、イスラム教、仏教をはじめ、世界には数えきれないほどの宗教がある。しかしそれらは人類の歴史に比べれば浅い。これからは宗教の人へのかかわりがどうなっていくのだろうか。人は寂しい時、気弱になったときに何かに頼ったり、すがったりする。多くの宗教は生まれてもう何世紀もたっている。厳しい弾圧も経験した。しかし炎は消えなかった。むしろ燃え盛るようになった。順風満帆な時ばかりとは限らないが確かに生き延びていくだろう。私の周りには若い世代がほとんどいない。現実65歳以上の高齢者は3500万人、逆に昨年生まれた人は90万人を切った。昨年亡くなった人は130万人あまり、毎年40万人以上の人口減で、日本政府は移民で労働力を確保しようとしている。反対する経済学者は移民が入ってくると労働賃金が上昇しないし、企業も生産効率を上げる動きも鈍くなると主張する。要約すれば、移民政策をやめて、働いている人の賃金の上昇を図るべきだと考えている。 今子供たちは作品展も終わり、比較的ゆったりした保育環境の中で、元気いっぱい走り回って、楽しんでいる。また2月の音楽・生活発表会に向けて、徐々に取り組み始めている。きっと保護者の皆様の期待を裏切ることがない活躍を見せることでしょう。幼稚園で過ごし、経験し、体験したことが血となり肉となって、子どもたちの今後の大きな活躍の源となっていくことでしょう。 令和元年12月、この1年間、保護者の皆様ありがとうございました。

01 11月 2019

感動を与える、感動を受ける
ー11月のことばー

  テントの後ろから聞こえてくるひそひそ声、「ほんまにいいものを見せてもらった」「そうやそうや」異口同音に同じようなことを話し合っている。渋野日向子が全英オープンで優勝し、ラグビーは全勝で8強に進んだ。日本中が感動の渦にのまれ、にわかファンが巷にあふれている。運動会では子供たちのひたむきな演技、競技、組体が大きな感動を呼び起こした。子どもたちがひたすら一生懸命すればするほど、それを見守る大人にも感動の嵐が押し寄せ、目頭が熱くなり、涙となって、頬から流れ落ちている。利害関係で動いているわけではない。ただ先生にこうしようと教えられた事を一途に頑張っている。中には運動が苦手な子もいるし、この瞬間を考えれば、能力的な差がある子どももいるだろう。しかしそんな差を感じさせない位、みんな同じ動きで、みんな笑顔で、仲間と一心同体になっている。子どもたちにひたむきさが見えれば見えるほど、大人たちには何とも言えないような大きな感動が押し寄せる。そんな年長さんの大きな活躍が小学校1年生になっても消えてしまわないように幼小の連携の大切さが最近声高に叫ばれている。21世紀の未来の若者、日本人であることを誇りに持って、世界の誰からも好かれる素晴らしい日本国を作ってほしい。しかし今の日本はどのような状態に置かれているのだろうか。昔の私には理解を超えたものがたくさん存在する。しかしそれを強調したところで、それは昔の話、今は違うと一蹴されてしまう。若いころは韓国、台湾へ行くというと、遊びに行くのか?と疑いの目を向けられた。しかし今や若者の韓国、台湾びいきが止まらず、マスメディアの世界でも、その存在を無視できない。長らく日本がアジアで所得が一番高いと惰眠している間に、韓国やシンガポールの所得が高くなっている。大学のレベルでも、東大や京大などの旧帝大が上位に顔を出すだけで、それらの大学も、世界のランキング、いやアジアのランキングからも低位置に甘んじている。アメリカの大学で学ぶアジア人でも、日本人は中国人、韓国人に大きく水をあけられている。今年も日本人がノーベル賞に選ばれ、アジアの中では受賞者の数が卓越しているが、その傾向はこれからも続くのだろうか。ある知識人は昔の大学には無駄とおもえるような研究にも取り組む余裕があったが、今の大学は早急な成果が求められ、寛容さや余裕がなくなっていると主張する。ある人は日本の国力の低下を嘆いている。実際、長らくアメリカに次いで、世界2位の地位を占めていた日本は、中国にその地位を明け渡すと、その格差が拡がる一方だ。2011年、世界のGDPで日本が6,7%を占めていたが、OECDの予想で、2030年には4,2%に低下している。因みにアメリカも22,7%から17,8%に下がっているが、中国は17%から27,9%に上昇している。成る程人口減による影響は大きいが、日本よりはるかに人口の少ない国、換言すれば国内消費の少ない国でも、国民の所得の高い国がたくさん存在する。「マネーは国のメンツなどを気にしない。成長をやめた国を去り、成長する国に向かう」こんなことを言われないためにも、日本が世界中から羨ましがられる、環境に配慮した豊かな国作りを目指していきたい。 先日全日本幼稚園園長、設置者研修大会で、何回もチームを甲子園で優勝に導いた智辯和歌山高校の高嶋仁監督の話を聞いた。人は感動を受けて変わる。監督は今まで2回大きな感動を受けた。1回は高校生の時の監督に、あと1回は代表になって甲子園のグランドを歩いているときに感動し、指導者になることを決意し、日体大に進み、卒業して、智辯の監督になった。智辯和歌山は1,2位を争う進学校、当然野球部は野球の特待生ばかりと思っていたが、一般入試の生徒、それも学年10人しか野球部に入れない。少人数の弱小チームがどうして何回も勝利をつかむチームに変貌していったのか、今でいえば、パワハラと紙一重のような厳しい指導、他チームの倍の練習をし、やる気、意欲、悔しさを教え、意識改革を実行し、技術力、精神力、体力を身につけさせた。「努力は決して人を裏切ることはない」を実践した。指導者として、①くやしさを教える②信頼関係を築き、辛抱強く、決して裏切らない③自信を持たせる④人を動かす武器(言葉)を磨く⑤指導者自身勉強する、学ぶ。学ぶことをやめたら教えることをやめる。生徒には①志を持て②知識を磨く③力を養う④行動する事を教え、その条件として、①反省する心②柔軟な思想③視野を広げる④忍耐、辛抱が大切であることを知らしめる。人にはいくら成功者だからと言って、100人中100人すべてが肯定するとは限らないが、指導者として大きな実績を上げたことをだれも否定する者はいないだろう。今年もあと2か月、やり残したことがないかどうか過去を顧みて、未来に備えましょう。今月もご支援、お力添えよろしくお願い致します。

01 10月 2019

私の履歴書
ー10月のことばー

  その人は数ヶ月前より、いつもよく来ていたゴルフの競技に来なくなった。80歳を超えていた。分け隔てのない人で、気さくで、気取らず、誰にも好かれていた。会社が大きくなったのは義理の息子のおかげやと、いつも感謝し、決して自慢をしなかった。その人が亡くなったと最近聞いた。その人はある大きなクリーニング会社の会長で、満州出身であった。日本が戦争に敗れ、満州から引き揚げてきたが、先に子どもだけが帰ってきた。残された母親はロシア軍が攻めてくることを恐れ、現地で自決した。父親は日本に帰ったが、若くして亡くなった。天涯孤独になったその人は親戚に預けられ、小さい時に、クリーニング店に奉公に出された。どれほど厳しい環境の下で働いたのか分からないが、21歳の昭和30年(1955年)頃、独立した。それからの話は分からない。そんなに早く亡くなるのであれば、もっと聞いておきたかった。しかしそれ以降も劣悪な環境の中でがむしゃらに働いたに違いない。今は立派で、地位も名誉もある立場だったが、私はその先輩に失礼ながら、若い時は本当にご苦労されたのですねと何回か言ったことがある。実際には私が想像する以上に辛酸を嘗め尽くした生活を送ったかもしれない。おしんのヤオハンや赤福の女将の物語はテレビで報道され、ドラマ化されて、世界中で感動を呼び起こしている。運命のいたずらの人もいるかもしれないが、大多数の人は努力と勤勉と忍耐と人に言えないような苦労で勝ち抜いてきた。勿論それだけの覚悟で努力してきても、成功の女神に見放された人もいる。いや、そのほうが多いだろう。成功し、立派になり、生存中は確かに注目を集めたとしても、やがて時代の流れと共に、過去になり、忘れ去られて行く。二代記憶に残ったとして、三代目は過去の栄光は消えているのが普通、というか、そんなに長い期間思い出が残っていると新しい出来事が入る余地がなくなってくる。昔はその家の悪い出来事は三代続くといわれたが、今や直ぐに人々の記憶の外に追いやられる。日経新聞やこんな出来事に触発されたわけでないが、そして又私には何の特筆すべきことがらもなく、まして褒章を受けたわけでもないが、この地の、そして何らかの参考になればと思い、何回かにわたって私の履歴書を書いてみたい。 1944年11月3日、太平洋戦争終戦の1年前の昭和19年、泉北郡美木多村大字上148番地で産婆さんに取り上げられた。私の家の上の147番地(美木多幼稚園の専用駐車場)には、防空壕(今は擁壁で無くなっている)があり、こんな田舎にも米軍のグラマン戦闘機が来たので、何回かそこに逃れたそうだ。父正計(初代理事長)は美木多村役場勤務で、その父正治は終戦前の官選の美木多村の村長であった。しかし戦後は公職を退き、一農民として、田畑を耕作し、ため池を守り、山林の保全に努めた。よく一緒に山に言って、適当な大きさの木を切り、家に持ち帰って、薪にした。ガスも水道もない時代であり、ご飯を炊くにも風呂を沸かすにも、全て薪であった。木を切っているおじいさんに、なぜ切り株に傷をつけるか聞いたことがあった。こうすれば、新しい芽が出て、又大きな木になると言った。その山は今庭代台になっている。この時代の交際範囲は狭かった。祖父と祖母は同じ美木多村の親族同士であった。祖父は村のため、祖母は祖父のために一生懸命であった。昔からだんじりがあった。美多彌神社の境内は今よりもっと下にあった。そして下から上がってきた道は神社で行き止まりであった。だんじりは7台あった。それが美多彌神社に登る道に並んだ。人は老若男女を問わず、私の家だけでなく、近所の家に集まって、食事を楽しみ、秋祭りを祝った。みんな一心同体であった。だんじりが止まった道は祖母にとってはモミを乾燥する最適の場所であった。朝からむしろを何枚も何枚も敷き、その上でモミを乾かした。1日に何回も籾を混ぜ、方向を変えた。夕方には籾を持ち帰った。ちょっとやそっとのモミの量ではなかった。4km以上はなれた別所等の遠い所の小学生は自転車通学をした。そのために家の門は自転車置き場になった。それが当たり前で、何の文句も意見もない鷹揚な時代であった。 いよいよ10月から幼児教育無償化が始まります。いろいろな意見がありますが前向きに取り組んでいきます。消費税も10%になりますが高額耐久商品は別として、大きな混乱は無いといわれています。そして10月1日は私達にとってとても大事な園児募集の日です。私達の今までの努力や成果が試されるときです。少子化と受け皿が多くなってきたことで、ますます保護者の厳しい評価を受けそうですが、どうか私達を信頼していただき、皆さんの温かいご支援、お力添え賜りますよう宜しくお願い致します。 神様全て出雲に行ってしまう神無月、今月も力を合わせて出発です。 尚、運動会にはご家族おそろいでお越しください。お待ちしています。

01 9月 2019

知る喜び、知らない喜び、知らないでいる喜びと不幸
ー9月のことばー

  私たちは膨大な情報の中で生きている。昔の人に比べるとその情報量は半端でない。 過去を知り、現在を生き、未来を思う私たち、そして所狭しと世界の端まで飛び交う数え切れないほどの航空機、宇宙から私たちを見つめ、監視している人工衛星群、そこからもたらされる信じられないくらいの情報、アフリカの片隅、南米アマゾン、果ては北極熊の生態まで、国内では昔は無視されていたような、そして知りたくもないような些末なニュースも大きく広がりを見せ、SNSを通じてさらに拡散し、NET難民の餌食にされ、攻撃の対象になってしまう。個人が裸にされ、個人情報保護法は意味を失いつつある。一人一人は善良な一市民であっても、素性が隠されると、牙をむくオオカミになるが、何かの拍子に実態が明かされると、小心者に還っていく。情報過多のこんな社会は果たして幸せだろうか。誰と誰が結婚しようが、離婚しようが、知らない遠い地域で強い風で倒れて軽い傷を負ったとかは私たちの日常生活に関係ないし、出歯亀趣味が私たちに幸福をもたらしてくれない。国内外で日本人が活躍したニュース等はリアルタイムに私たちに届いている。それは現在に住んでいる特典だと思うが、知りたくないニュースをさも仰々しく聞かされると、遠くても10km位のコミュニティーで生活していた昔の人がhappyだと思う。さて、私も70代真ん中、いつもこれが最後の旅と思いながら、航空券とホテルだけを予約して、今年も夏休みを利用して海外に出た。今まで行ったことのない都市が目的地。西ベルリンは東ドイツに高さ3mくらいの強固な壁で取り囲まれていた。その壁の象徴的なブランデンブルグ門は1989年12月の東独政府の崩壊とともに開かれた。しかし未だ西独と東独市民の間には意識の差があると報じられている。ソ連とアメリカの捕虜交換場所になったクロスポイント・チャーリーを見たかった。しかし今は観光地の一部に過ぎず、普通の街並みであり、映画で見たような感動はなかった。一番感動したのは世界最古のベルリンの動物園、広い敷地、よく整備された樹木の中にあるこの動物園はパンダを始め、様々な動物が住んでいて、ケージの中ではなく、あるがままの自然の中で生活していた。毎日が飛行機の駆け足旅行、エアポートからホテルまでの移動はタクシーに頼ったが、ストックホルムではタクシー乗り場に着くと、タクシードライバー達が手をあげた。どれも正規のタクシーだが、料金が違った。ガイドブックを見て、黄色のタクシーに乗った。降車の時に現金を渡したが釣りがないと言う。これも作戦だろうか。日本を出るとき、成田で5万円をユーロに替えた。しかし使ったのはドイツだけ。スエーデンに行くときに2万円をクローネに替えたが、無意味だった。デンマーク、ノルウエーも含めて、電車の切符、タクシー、レストランやデパートの支払い等は全てカードでOK、それぞれの通貨に替える必要は毛頭なかった。ストックホルムは顕著であったが、公共のトイレ(例えば飛行場)には男性が立って用を足す便器がない。場所によっては男女同じで、女性が出てきた後に男性が入っていった。飛行機で慣れているとは言え、男女平等のトイレは日本で普及するのだろうか。飛行機も男女別々のトイレを考えているのに。コペンハーゲンの人魚の像は予想外に小さかった。陸地近くの岩の上でこちらを向いた像は大方の期待を裏切るものかもしれないが、そこに来たという証になる。実業家が寄贈したこの像はあまり観光資源のないこの町にとっては、名前で有名なチボリ公園と同じくらい貴重な存在なのだろう。食器などが好きな人にとってはロイヤルコペンハーゲンの本拠地、工場や事務棟は高い煙突のある大きな建物であるが、今はほとんど人気がない。端の方でOUTLETの食器などを売っているだけ。実際はほとんど東南アジアで作られている。この北欧三カ国でオスロは一番印象に残った。この町は飛行場から約50km、タクシー代が高かったのでびっくりした。しかしここは静かな落ち着いた王国であり、少し前に銃撃事件があったとは信じられない。女性はほとんどブロンドかプラチナブロンドで、黒髪の人はほとんどいないし貴重な存在。思い出に、縦横無尽に走る地下鉄に乗って、ムンク美術館に行った。朝早いせいかあまり混んでいなかった。よく目にする「叫び」と「マドンナ」を間近で見ることが出来た。やはり良いものは良い。実感であった。昼は港まで歩いて、少しリッチそうなレストランに入った。新鮮な魚介類やロブスターが豊富だった。来るときのタクシー代に懲りて、帰りは列車で飛行場に向かった。地下の駅から乗って空港へ、乗り心地の良い高速列車で20分たらずで到着した。費用もタクシーの六分の一位であった。この三カ国はそれぞれ飛行機で1時間くらい、通貨はそれぞれ異なるが、全てクローネであった。そして気温もよく似ていて、日本が35℃を越えているときに、20℃余りであった。いつまでも好奇心と知識欲をを持ち続けたいと思う。 園児募集のお願い 来年度の園児募集は9月1日より願書配布、10月1日より受付となっています。「三つ子の魂百まで」のまさに正鵠を得たことわざのように、3歳児からの保育の重要性を十分認識し、真摯に幼児教育に取り組んで参ります。そして幼稚園に通園させてよかったと笑顔で言ってもらえるように教職員一同力を合わせて頑張ります。どうぞご近所、お知り合いの方にもお勧めいただきますようお願いいたします。9月、長月、食欲とスポーツの秋、明るい未来を目指して、今月も出発です。

01 8月 2019

子どもを持つ喜び、子どもを育てる楽しみ
ー8月のことばー

  先日大阪で就活フェアーがあった。私達を含めて、40法人あまりが参加し、集まった学生は120人くらいであった。因みに私たちの鴨谷学園や諏訪森学園は園長先生や卒業生が直接沢山の保育者養成校を訪問し、又求人票も日本のほとんどの大学に送付し、求人活動もしているのですが、目の前にあるのは卒業予定者一人につき、求人が四人から五人という大きな壁、これを乗り越えていくための一つの手段としての就活フェアーへの参加、そこでは参加者の代表者が一分間スピーチで自園をアピール。最近株式会社の保育業界への参入が激しく、大きな会社では100園以上を運営している。主に運動場もない、遊ぶ場所もない、お部屋での保育活動。一番目にたったのが多数の保育所を日本全国に展開している株式会社の代表者二人。開口一番私達の保育所では東京の初任給が26万円、千葉は27万円、そして大阪はーーーと言葉を濁した。たぶん他の参加者からの批判を意識したのだろう。次に言ったのが有給100%取得、残業0の言葉、単純な疑問に思ったのが、部屋借りであれば設備投資はほとんど0ではないか。初任給は高いが、ボーナスはどうなのか。2~3年でやめることを想定しての給料か、果たして昇給は順調にあるのか。大都会での社会保障や労働環境、高い下宿代、生活費はどうなっているのか。この初任給作戦で地方の養成校の卒業生は押しなべて大都会を目指し、地方では深刻な保育士不足に陥っている。それ以外でも大阪市は家賃100%補助、子どもがいれば、優先的に保育所で預かってもらえる。堺市でも新人の保育士さんに20万円のボーナス。神戸ではその上に USJのパスポート無料配布とか。一番目の人に続き、残り39園の人も一分間スピーチを行いましたが、どの園もさすが初任給を訴える園がなかったのですが、残業がない、連続した休暇や有給休暇の取得、そして人間関係の良さをアピール。養成校に行って、担当者から言われた内容とほぼ同じ。私達の幼稚園は子ども第一です。子ども大好きな先生の集まりです。子どもと共に先生自身も成長していくのが楽しみです。子供の保育、教育活動に従事する幸せ等を訴える園は見事に一園もなし、これでは参加した学生もどの園を選ぶか迷ってしまう。結局は初任給の高さにつられていくのか。昔のことは言うまい。猛烈社員のことは封印したい。しかし資源のない国、日本は生き残るために棄民政策として、戦前は移民を奨励した。日本よりは少しマシだろうと人減らし政策で海外、主に中南米に送られた。劣悪な環境の下で歯を食いしばり、子どもたちに教育をつけ、偏見や差別の強い国で徐々にその地位を高めていった。資源のない日本の資源は優秀な「人」、そんな人が国のため、自分のため、家族の為に一生懸命働き、努力して世界の中の日本を築き上げてきた。なるほど、人は奴隷でないし、自主独立した個体であり、存在する十分な権利を有することは自明のこと、しかし権利ばかりを主張して、義務を怠ると日本の将来はどうなるのだろう。50年位前にアメリカの訴訟社会を見て、日本ではありえないと笑って話し合ったことが今の日本にも着実に押し寄せている。 さて、来年4月からは鳳幼稚園に隣接して、小規模保育園「オオトリ メノール」の開設、19人を預かって、お母さんの働きやすい環境に努めていきます。ご期待ください。 いよいよ夏休み、子どもが家にいることを鬱陶しいと感じている人がいるかもしれませんが、この機会にしかできない経験や体験はどうでしょうか。きっと子供を持つ喜び、幸せを再認識するかもわかりません。この頃、こどもへの虐待が大きな社会問題になっています。今まで秘密のうちに葬られていたことが白日の下にさらけだされ、大きなペナルティーが課されています。子どもの前での夫婦喧嘩さえも虐待だと認識されます。子どもは独立した人格の持ち主であることを再認識されて、子どもと一緒に楽しく過ごす機会になればと思います。そして8月26日の二学期始業式には今以上に元気な姿で子どもたちは幼稚園に帰ってくることを待ち望んでいます。今年の夏休みは、消費税10%を控えて、節約志向で過ごすことを一つの目標に掲げたらどうでしょうか。例えば、旅に出たとしても、節約交通機関、節約ルート、節約宿泊、等々、その代わり体を余計に動かして、汗をたくさんかくかもわかりませんがそれも節約、節約の汗、「もったいない」を復活させても悪くないのではと信じています。

01 7月 2019

幼児教育の無償化について
ー7月のことばー

  6月18日午前7時過ぎ、生まれ育った南区の自宅を出発、泉北高速鉄道「光明池」に向かった。40年から50年にかけて、泉北ニュータウンの発展と共にこの鉄道は整備されてきたが、それまでは最寄りの駅は国鉄阪和線の鳳駅(家から約7㎞)だった。高校も大学もこの駅にお世話になった。しかし、車の発達と共にほとんど電車に乗らなくなった。何年、天王寺に行ってないのであろう。何年、泉北高速鉄道に乗っていないのだろう。鉄道利用はこの程度だった。せっかくの便利な交通機関を上手く利用していない。新大阪駅までは中百舌鳥で乗り換えて行く予定であったが、それよりも絶対この方法の方がいいと教えられたのが、新今宮8時22分発乗り換えで、大阪駅8時40分着。ここで乗り換えて1駅、新大阪駅8時51分着であった。しかし、実際乗ってみると、果たしてこの方法がいいのか、ある意味、納得できなかった。新幹線の切符を買って、乗り込んだ東京行きのぞみ118号9時20分発、横に誰もいないので、ゆっくりしようと思っていたのに、名古屋から老夫婦が隣の席、それにしても久しぶりの新幹線は速い。昭和38年(1963年)に東京の大学を受験したときに「早い、早い」と言って乗った特急が6時間余り、私たちの知らないところで、名もない多数の技術者たちが切磋琢磨して安全安心の技術を磨いてきたのであろう。無事、東京駅に11時23分に到着した。そこから、電車を乗り換えて市ヶ谷に12時27分に着いた。市ヶ谷と言えば、防衛省のあるところ、ここにTKP市ヶ谷カンファレンスセンターという貸し会議室があり、今日の舞台だ。大阪に比べて東京はやはり人が多い。人口増になっているのが東京だけ、日本の若者をどんどん吸い上げていく魔の都市と言っても不思議ではない。この会場には、日本全国から600名以上が詰めかけていた。希望者だけだが、大阪から何人参加したのかわからない。希望者が多かったので、東京の人は別日に回ってもらったそうだ。13時から17時まで途中15分の休憩を挟んでみっちりの4時間であった。無償化の道筋を作った文科省の役人に説明を聞きたかった。まず始めに私も何回も園便りで書いたアメリカのヘックマン博士の幼児教育に投資するのがどれほど効果的であるかの具体例があった。そしてまた、日本が生き残るための理想の子どもの数は2.32人だが、実際に生まれたこども数は1.94人であり、これは子育てや教育にお金がかかりすぎる56.3%、高年齢で産むのは嫌だ39.8%、欲しいけれどもできない23.5%であった。昨年6月に経済財政運営の基本方針が示され、高齢化対策よりも幼児教育に軸足が移された。「人づくり革命」では第一に幼児教育無償化を一気に加速する、すなわち3歳から5歳までのすべての子ども達の幼稚園、保育所、認定こども園の費用の無償化が謳われた。0から2歳児については、住民税非課税所帯を対象として無償化がすすめられることになった。《対象者、対象範囲等》①3~5歳・・・幼稚園、保育所、認定こども園などの保育料無償化。新制度の対象とならない幼稚園(美木多・鳳幼稚園)については、月額上限2.57万円まで無償化。②開始年齢・・・小学校就学前の3年間を無償化。③・・・保護者から実費で徴収している費用(通園バス・給食費・行事費等)は無償化の対象外。給食費については保護者が負担する考え方を維持し、幼稚園による実費徴収を基本とする。 幼稚園の預り保育・保育の必要性の認定。新2号認定(例えば両親が働いている場合) まとめ(幼稚園・認定こども園関係) ①満3歳児(認定こども園2号は3歳児~)は卒園までは保育料無償化。美木多幼稚園、鳳幼稚園は2.57万円/月まで。食材料費・通園送迎費・上乗せ徴収などは保護者負担。 ②保育の必要性のある子どもについて預かり保育の無償化。(利用日数に応じて1,13万円/月まで) ③諏訪森幼稚園の保育料は利用者負担分に相当する施設型給付の増額+不徴収により対応。美木多幼稚園・鳳幼稚園の保育料・預かり保育の無償化については子ども子育て支援制度に無償化のための新たな給付を創設。 ④新たな給付は 1、対象施設は対象施設の確認を受けた施設 2、支給認定を受けた子どもが利用した場合 3、保護者の申請を受けて市町村が給付する (追記)預かり保育は1日450円支給。そのために50円/日の負担となる。 幼稚園の事務量が大きなものになり、まだまだ紆余曲折があると思います。市町村の対応などが未知なところもあるので、詳しい保育料なども含めて、決まり次第、説明会を開きたいと思います。

01 6月 2019

私達に残せるもの
ー6月のことばー

  一人の年老いた職人が握っている小さな堺の寿司屋さん、そんなに商売が繁盛しているわけでないが、それなりに精一杯ネタを揃えて意地を見せている。齢70歳あまり、山口県出身のすし屋のオヤジだ。私がアナゴの握りを注文したときにそのオヤジが言った言葉、「アナゴは触った瞬間、いいアナゴかどうか分かる。アナゴは大阪湾や堺沖でたくさん獲れるのに、いいアナゴは京都や大阪の高級料亭に直ぐに高値で出荷されて、わしらのところには地元なのにいいアナゴはまわってこない。たまにいいアナゴがあったりすると、何か儲けた気がする。」と。京料理は美味しいとか、大阪の高級料亭はミシュランの星に輝いて、素晴らしいとか言われているが、料理は所詮食材が80%以上(私の独断)、腕前に頼る部分はわずか10%あまり、日本航空の機内食で仰々しく有名シェフの作った料理が出てくるが、宣伝ほど、美味しくはない。反対に安い店でも食材が立派であれば、美味しい一流の料理が作れないわけがない。今は前ほど頻繁に行かないが、河内長野の蕎麦屋さんとは40年以上前からの知り合い。店はそんなにきれいでないし、実際見た目を重視する今頃の若い人には敬遠されそうな雰囲気、しかし私はここの蕎麦が好きだ。ぞんざいな作り方のように見えるが、出汁もそばも美味しい。なにがそうさせるのか?それは甲府を出て、東京経由で河内長野にたどり着き、蕎麦一筋に半世紀、実直に努力してきたせいかもしれない。「屏風と食べ物屋は拡げたら倒れる」という言い伝えを守っているかどうか知らないが、店の風格、たたずまいは昔と変わらない。同じように河内長野の小さな中華料理店も半世紀前から知っている。ここはご夫婦で切り盛りしているそれこそパパ・ママ料理店、しかしラーメン、焼き飯、餃子など等、味は昔のままだ。昭和、平成、令和 の時代を超えて生き永らえたのは地域の人やファンの人もあるが、料理する人の生真面目さ、実直さ、そして美味しいものを作って人に喜んでもらいたいというサービス精神、上から目線でないが、そんなものがあると思う。つい最近読んだ記事の中に、俳優の世界にもこんなことがあるのかと思った。里見浩太朗さんは舞台で元気に立ち回りをしている83歳と思えない元気さだ。リーガルハイや警視総監では渋い演技を披露している。しかし他の有名役者のようにバックや支持者があったわけでない。又主役を張ったりしていないし、脇役に徹していた。過去に何かとハプニングあったにせよ、長く真面目に役者の仕事に取り組んできた。そのせいばかりとは言えないが、浮き沈みの多いこの世界で有頂天にならずに生き延び、今も活躍している。彼の最近言ったチクリの言葉「ゴルフよりも舞台のほうが面白い」。最近、スタートアップ企業が何かと話題になっている。群れを嫌って企業から、仲間から離れて、あるいは助けられて、会社を創設する。国も、社会も、そして大企業までもがそれを後押ししている。一度失敗しても、再挑戦の機会を与えている。そんな人を意欲的と考えるか、野心的、好奇心に富んだ人と考えるか、あるいはリッチを夢見て挑戦する人と考えるか?群れの中にいる人よりも優れていると思わないし、どちらも同じように功罪があるかもしれない。しかし10%にも満たないスタートアップの企業の成功者になって大金持ちになったらどうだろうか?最近どの分野でも、少し上手くいけば、その企業を売り飛ばしてお金を稼ぐ人がいるが、そんな人の会社に対する、働く仲間に対する、愛情とはどのようなものだろうか。若くして成功し、資産を形成し、その先何十年、どういう暮らしをするのだろうか。上手くいくのだろうか。何もその年代にふさわしい成功者としての生き方を賞賛しているわけでないが、本当に成功者として称えられることを望むのであれば、この世に生きた痕跡を残したらと思う。人はいつか死ぬ。免れることはできない。何を残せるだろうか。名前を残したい人は学校に寄付をして、何とか記念館を建てることも、名前を残したくない人は無名で多額の寄付をする。財団を作って後進を育てる人もいるし、芸術家は、例えば江戸時代の伊藤若冲のように、その芸術作品をこの世に残せるし、思想や経済理論を残せる人もいるだろう。私達大多数はそれでは何を残せばいいのだろうか。只一つ言える事は私達が受け継いだ美しいこの日本、この地球をこれ以上穢れることのないようにして、次世代へ引き継いでいくことだろう。いくら金持ちが立派な建築物を寄付したからと言っても、せいぜい100年、仁徳天皇陵や履中天皇陵の前方後円墳の歴史に及ばないし、それも、これからの何千年、何万年の歴史の中ではいつまで存続するか分からない。今を一生懸命生きる次世代のエース、子ども達に、マクロ、ミクロ、両方の面でも大きな期待をしたい。

01 5月 2019

ケイオス・混沌とした世界
ー5月のことばー

  動体視力がついていけないほど、周りの景色が瞬間に変わっていく。340kmまで刻まれたスピードメーターにはまだ十分な余裕があり、タコメーターにいたっては3000回転を過ぎたばかり、IHI製のツインターボから加給された燃料はV6,3800cc、最高出力570HPのエンジンに吸い込まれ、身震いするような心地よいエグゾーストサウンドを響かせながら吼え続けている。拙いながら、ハードボイルド流の表現を借りれば、このようになるのだろうか。今は亡き大藪晴彦はその著の中で「羊の皮を被った狼」と表現した。小さくて弱いが、一度アクセルを踏むと、表情は一変、羊が狼に変わる性能を発揮する。見かけは何の変哲も無い普通の車なのに、足回りを強化し、エンジンを高性能に変えて、いざというときに、その能力を引き出すことを喜びとしていた。一種の「能ある鷹は爪を隠す」だろうか。今は外国の車も含めて、高性能であるというエンブレムをつけて、自分の主張を押し出している。どちらがいいのだろうか。それにしても、環境の問題が影響しているのだろうか。燃費の問題だろうか。他に安価な手段がたくさんあるせいなのか。若者の車離れ、特にスポーツタイプの車への関心が薄れている。カーレースを見る人はそれなりに多いのだが。電気工事の人に家の近くの山中でダイハツのミゼットを運転させてもらったのが最初だった。その後高校1年生の昭和35年(1960年)、なぜかこの辺りは高石警察の管轄だった、その警察に行って、原付免許をもらった。私の運転免許の原点だ。三国丘高校には最初の半年間、自転車とバイクで通学したが、それ以降は原付バイクで行った。大学生の頃、優美な日野のコンテッサーの後にブルーバードSSSが家にやってきた。この頃、スピードに憧れ、鈴鹿サーキットに行ったこともあった。係員に気をつけてくださいよと言われ、サーキットに入り、高速でバンクを走りぬけた。しかし今の基準からすれば、100km/hを少し上回ったくらいであった。その当時レースで常勝のプリンス・スカイラインGT-Bに本当に乗りたかった。しかしとても学生の私には手を出せるものではなかった。会社に入っておとなしいカローラに乗って門真まで通勤した。何の不満も無かったが、日産のフェアレディにあこがれた。しかし日産はこのモデルだけは現金販売を押し通した。初任給3万円の私には100万円の車はまさしく高嶺の花であった。今の売れ筋はSUVかONE BOX、セダンやスポーツタイプの車は憧れても実需が無い。メーカーも開発意欲を削がれているようだ。環境問題、燃費の問題、女性に一段と優しくなった男性の問題、家族構成や家庭円満の問題、大きな1-boxにひとりで運転している姿を見ると、そしてほとんどの場合はそうなのだが、効率がよさそうに見えないのだが。 大学生の頃、北海道旅行で知り合った友を訪ねて、友人と二人で福井に行った。高速道路の無い時代、大阪から福井までの国道8号線は車は少なかったが、道もまだまだ悪かった。今のようにナビも無い時代、住所が分かるがそれがどこにあるか分からない。近くで小学生に道を聞いた。日本語が分からない。方言そのままであった。まだまだマスメディアが発達していないこの時代、それが当たり前であり、日本のよきイメージもそのまま残っていた。異質のものがいっぱい残っていた。困っていたら誰かが助けてくれたし、田植えや稲刈りは近所、隣組の人が総出で助け合って農作業をした。それが当たり前であり、損得の問題ではなかった。そんな善意の人たちの行為を逆手にとって、金儲けをしたり、事業で成功した人もいるが、そんなことには全然与しない、立派どころか卑怯のそしりを免れない。欧米ではどうだろうか。支配者を殺害し、残忍で、厳しい方法でインカ帝国を支配していったスペインやポルトガル人は極端だとしても、自分を主張し、自分の意見や考え方を述べ、自分の立場を守り続けねばならなかった。その為に人と争うことは正当化された。明治の開化とともに、欧米の思想は尊重されたが、教養ある一部の人の間だけでの流布であった。それが最近、目を通して、耳を通してのマスメディアの攻撃により、いつのまにか欧米流にされていった。私は何も西洋の思想やシステムを否定するものでないが、日本固有のものも大事に慈しみたいと思う。そういう意味で、万葉集からいただいた「令和」はある意味日本人の魂を揺さぶるものになった。退職後、万葉集の英訳を趣味として活動している昔の同僚はこの令和の由来は当然知っていて、なぜか興奮していたのは印象的であった。彼は何も国粋主義者でもない。ただライフワークとしていたものが世間の脚光を浴び、嬉しさに堪えきれなくなった。同じようなことが国についても言えるかもしれない。国は国民が羅針盤を操作するのだが、現実には、国民の負託を受けた代理者がさまざまな決定をし、国の運命を決めている。明治維新、日露戦争、太平洋戦争、大きな節目には必ずそこに大きな影響を与えた人がいた。平和を愛する日本人と好戦的な日本人、私達の中には、相矛盾する二つの血が混じりあって流れているのだろうか。旧石器時代から今までの歴史の中で、迷い、戸惑い、間違いを犯したことがあったとしても、概ね私達の先祖は持ち前の英知で次の世代に受け継いできた。受け継がれたバトンはより洗練され、私達の願いをたくさん込めたバトンとして、次の世代に繋いでいかねばならない。幸い今の世界は1国での反乱は不可能だし、好き放題に言っていても、それが大きなエネルギーに変わることはない。私達の今の幸せは過去の人の努力の賜物であることを心に銘じたい。私が大学生の頃は大学紛争の真っ只中であった。しかし今になっても過去を引きずっている活動家はほとんどいない。ほろ苦い思い出になっているのだろう。時代が変わり、思想、信条が変化していく。100年の幼稚園の世界も今、大きな渦に飲み込まれようとしている。

01 4月 2019

仲良く交流する夢の世界
ー4月のことばー

  41年間歌い継がれてきた私達の幼稚園のオリジナルの「お別れの歌」、あの若かりし頃に子どもを思い、保護者の気持ちに寄り添い、子どもの活動や成長を願って、思いを込めて作った「お別れの歌」、同じ内容で、同じリズムで41年間、歌い継がれてきたことを考えると、思わず目に涙が浮かび、卒園式では無様な姿を見せてしまいました。しかし何かしら感動できることを持てて、幸せであると思う。保護者の皆様も人生で感動する思い出、場面、情景、達成感、喜び等、たくさんお持ちだと思います。例えばお子様の誕生、学校生活の始まりの入園式も感動の一シーンではないでしょうか。感動は何も大きなことばかりとは限りません。ほんの小さな些細なことであっても、そして他人がそれをほんの出来事と片付けることになっても、その人にとっては記憶に残る感動になることもあるでしょう。感動には基準が無く、大小もありません。私達は喜びの中から感動が生まれ、心が震え、生きている実感が伝わってきます。 新入園児の皆さん、ご入園おめでとうございます。心よりお喜び申し上げます・。幼稚園では皆さんが来られることを今か今かとお待ちしていました。「ようこそ私達の仲間へ」の思いが募ります。今まで過ごしてきた環境とは異なる環境が始まります。保育の世界から教育の世界へ。そして人の根幹を形作る幼児教育の世界へ。未知の世界から可視化の世界へ。不安な世界から安全・安心の世界へ。あなただけではありません、誰もみんな心配で、不安なのです。しかし不安な人が集まって、友達になり、強力な人間関係が形成され、自信あふれる活動が生まれます。幼稚園が素敵な出会いの場所になり、幼稚園に行くことが当たり前のことになり、楽しくなっていきます。それは人によって早い、遅いの差があるものの、ほぼ同じような形となって収束していきます。その中で独自の個性が生まれ、ユニークな存在として活動することもありますが、優しさが生まれ、みんな友達の世界になっていきます。幼稚園では何も心配は要りません。冒険心富んだ遊具、優しい先生、花や緑の環境、さあ楽しい園生活の始まりです。 りんご、年少、年中組であった皆さん、ご進級本当におめでとうございます。入園以来過ごしてきた幼稚園で、皆さんは心身ともに大きな成長を遂げました。見違えるほど立派になりました。今まで大好きなお友達と大好きな遊びやさまざまな活動をしてきました。りんご、年少組であった皆さんは今年は大きくなっての活動です。まだまだ知らない魅力が幼稚園にいっぱいあります。保育室に、園庭に、まだまだ見つけていない宝物もたくさんあると思います。多くの知らない優しいたくさんの先生に会えるかもしれません。又新しく幼稚園に入園してきたお友達に、幼稚園のことをいっぱい教えてあげてください。頼りがいのあるおにいちゃん、お姉ちゃんに、皆さんならきっとなれます。そして年中組から年長組に進級した皆さん、いよいよ幼稚園で一番上の学年になりました。本当に年少、年中組さんから慕われ、敬われ、頼られる存在になりました。後輩をよろしくお願いします。皆さんは幼稚園のことをほぼ全て理解していると思います。又友達もたくさん作ったことでしょう。先生方は皆さんに年長としての大きな活動を期待しています。運動会での組立やリレー、リズム運動、作品展での個性的な作品つくり、そして一人セリフや合奏やきれいなハーモニーを奏でる合唱、は言うまでも無く、活動の一つ一つが注目の的です。先生方も大きな期待を寄せています。その上、小学校につなぐ教育活動もあります。文字の練習から始まって数の学習まで、小学校の先取り教育はしませんが、小学校に行っても誰にも負けない、誰とでも上手くやっていく知識も身につけなければなりません。充実した楽しい最後の幼稚園生活を味わっていただきたいと思います。今から20年後、皆さんは青年であり、若者です。世界のファッションリーダーであり、技術革新の担い手です。30年後、40年後はますます進む少子化の中、日本を支える頼もしい存在になっていることでしょう。日本の矜持を守りながら、世界の人々と仲良く交流する夢の世界、私が皆さんに託する大きなお願いです。

01 3月 2019

思いと贈る言葉
ー3月のことばー

  卒園・進級おめでとうございます。自分の意思とは関係ないとはいえ、この世に生を受け、健康に、順調に成長を遂げてきた皆さん、人生の長いスパンで考えると、まだまだ「ひよこ」の時代、しかしこのひよこの時代こそ、これからの長い人生の基礎・基本が形成される大切な時、その不可逆的でお金ではけっして買えない貴重な時をこの幼稚園で過ごした皆さんには、他の誰にも負けない人間としての生きる力、生き抜く力が備わっています。これからの21世紀の日本を支える皆さんの活躍は、取りも直さず、日本の輝きにも通じるものがあります。今まで培ってきた基礎の上に、人生の中でのさまざまな事象を経験して、応用力をつけ、心豊かな立派な人に育って欲しいと思います。ここでいう立派な人というのは、世間から脚光を浴び、有名になり、お金持ちになることを意味しているのではありません。それらのことは偶然この世で通じたとしても、別の世界ではなんらの価値を持たないかもしれません。例え金銭的にそれ程恵まれなくとも、社会の片隅で光り輝いている人がいます。その人が居れば輪が和み、協力しようとする機運が生まれる、安心感があり、生きる勇気が湧いてくる、ひたむきに一生懸命生きている、そんな素晴らしい人たちです。私の若い頃は、末は博士か大臣かという、はやり言葉がありました。蛍雪の功を成し遂げた人、私財を投げ打って人のために大きな働きをした人もたくさんおられますが、それ以上に名も無く、貧しく、しかし幸福に後悔しない人生を歩んだ人がいます。 1.個人情報の保持 前はそんなことは言わなかった。おおらかであった。みんなが隣人であり、お互い助け合った。冠婚葬祭全てにわたった。しかし、いつのまにか隣人のぬくもりが消え、知らない他人が増えていった。何事にも助け合い、悲しみ、喜び合ったことが億劫になった。一つには機器の発達・普及と共に助け合うことの必要性がなくなったこと、もう一つにはストレス社会の拡大が進み、他人を思いやる余裕やゆとりがなくなった。それと共に個人情報の秘匿が言われ、ますます息苦しさを覚える人も増加した。反面、ネット社会ではそんな秘密性を、匿名を利用して、次から次へと容赦なく、暴いていく。人が人を信用しなくなった社会、会話や話し合いの全てが音声と映像で記録される社会、何でも言える社会はどこへいったのだろうか?過去にスイングしているのだろうか? 2.個性尊重の社会 過去の有名な人の中には変人扱いされ、評価されなかった人も多い。しかし今から考えると、果たしてそんなに個性が強く、変わり者だったのか。今の社会は個性の尊重が強調され、少々のことには目をつぶって見逃されていく。個性尊重も必要だが、所詮人間は人間の中でしか生きていくことができない、換言すれば、何らかの形で他人との関わり無しでは生活できないのも事実になっている。個性尊重、弱者保護も優先事項だが、今までの慣例や習慣、考え方が全て否定され、変えられるのにも違和感を覚える人も多い。先日テレビのドラマでの中で、弱者に焦点を当てることはどんな立派な正義よりも効果があると言っていたが、まさに正鵠を得ているのかもしれない。 3.真面目・正直・素直 一番評価されるべき人はこのような素質を備えている人であろう。しかしそれを逆手にとって、自分の利益を図り、立場を守ろうとする人が多い。特に人の善意や無知に付け込んで、人をだます悪人が増えたのは嘆かわしい。それがセールスの極意であるというならば、セールスや話術の曲解であろう。日本人が古来から守り続けた真面目・正直・素直な気持ちは一時にそれを悪用する卑怯者が増えたとしても、究極的には人の信頼を勝ち取り、生きることを後悔せず、喜びに変わっていくものだろう。と同時に自分のためでなく、人のために何ができるかという利他の気持ちを持つことは結局自分の反映につながっていく。最後になりましたが、皆さんの前には前途洋洋たる海原、未来が広がっています。それを無事航海していくのか、途中で沈没してしまうのかは、全てこれからの皆さんの努力や強い意志、頑張りにかかっています。人を信じ、自分を信じて荒波を乗り切っていきましょう。皆さんならきっとできます。未来が皆さんを待っています。

01 2月 2019

el Camino de Santiago (サンチアゴへの道)
ー2月のことばー

el Camino de Santiago (サンチアゴへの道)   時刻は夜の11時過ぎ、イベリア航空3894便は着陸装置を出して、高度を下げているにもかかわらず、窓から見える景色は霧一色で何も見えない。突然の音で着陸を知り、機は濃い霧の中を滑走してターミナルに向かった。バルセロナ午後7時30分の出発だったが、途中マドリッドに寄航した為に倍以上の時間がかかった。50年以上前に大学でスペイン語を勉強して、この名前を何回も聞いていた。しかし私にとっては初めての地であった。サンチアゴ デ コンポステラ(Santiago de Compostela)、その地の名前であった。スペイン北西部、ポルトガルに接したガリシア地方の一都市に過ぎないが、9世紀に12使徒(ペテロ、マタイ、ヨハネ、ヤコブ、ユダ等が良く知られる)の一人聖ヤコブの遺骸が発見され、カトリック教徒にとっては三大聖地(エルサレム、ローマ、サンチアゴ)の一つになった。それ以降、スペインのイスラムに対する国土回復運動等で、この地が喧伝され、カトリック教徒が巡礼する都市になり、特にフランスからピレネー山脈を越え、スペイン北部を通ってサンチアゴに至る道は el Camino de Santiago と言われ、巡礼の道として良く知られ、現在は世界文化遺産として登録されている。フランスからピレネー山脈を越えて、貝殻のついた杖を持って1000km以上の道程を巡礼する人は何を求めて苦難の道を進んでいったのか?人の弱さを知る反面、神の強さを意識させるのだろうか?Santiago という名前は世界中で見受けられる。Santiago de Chile (チリ)、de Cuba(キューバ)、del Estero (アルゼンチン)、de los…

01 1月 2019

2019年、平成31年、あけましておめでとうございます
ー1月のことばー

    2019年、平成31年が始まりました。平成がどんな年号に変わるのか、未知なものを待ち受けるのもどきどき・わくわく感があります。過去の事例に倣って、英知を集めて新しい時代にふさわしい元号が発表されることでしょう。ちょうど平成がそうであったように。 「Time Flies.」「光陰矢のごとし」の諺通り、一日がゆっくり流れ、一年たっても10年たっても、50年たっても、同じ環境、同じ風景の時代から何もかもすぐに変わり行く時代への変遷、過去、現在、未来が走馬灯のようにめまぐるしく変わっていく。過去は瞬く間に遠いかなたへ飛び去り、現在は一瞬のうちに過去になり、未来は限りない速さで現在になっていく。高齢者の意見は一括りで同一視され、それは昔のこと、今は時代が違うと揶揄される。こんな激動の、めまぐるしい時代に精神的、肉体的に対応できない人も増加の一途をたどっている。個人情報とかハラスメントという妖怪が徘徊し、言葉以上に重く私たちの上にのしかかってくる。何事も適切な対応と常識的な包容力が必要とされるのかも知れない。最近同窓会に招かれることがあった。と言っても私が教員時代の教え子のそれである。彼ら、彼女らは50代前半、とかくこの年齢はそれなりの立場の者と、そうでない者との差があって後者の出席者が少ないのだが、今回は立場に関係なく集まった。そこでは昔の呼び方で接し、40年前の同じ仲良しであった。和泉高校の担任団の同窓会もあった。学年主任の先生が亡くなられ、彼女を偲んでの集まりも兼ねていた。私自身は1年生、2年生と担任したが、次の年に鳳高校に転勤したために3年生は担任していなかった。30年経過して校長で残っている者、講師として勤めている者、又私学の校長として働いている者等、さまざまであったが、リタイアしている人も多かった。30年は人をこのように変えるのだろうか。しかし話の内容は当時のことが中心で、生徒のこと、行事のこと、活躍した事等、昔話に花を咲かせた。4月には学年全体の同窓会があり、それにも招かれるそうだ。過去を思い出したりする事はあまりないが、これらの同窓会を通じて、そんなこともあった、そんな経験もしたと懐かしく又感傷的になった。クラスの合唱コンクールを見守ったあの時、教壇にたって英語の構文を教えていたあのとき、クラス全員と観光バスに乗って十津川へ行ったあの時も私であり、何十年かたった今も、過去とは違った形の私がいる。思い出が、過去の経験や体験が私を形作り、私の心の中に宿っている。過去は戻ってこないが私の片隅で小さい炎を燃やし続けている。瞬間、その儚さを悔恨と甘いメロディーで思い出すが、すぐに遠くに飛び去ってしまう。過去があって、現在がある。その思いがいっそう具現化していく。今の幼稚園児はある意味幸せであろう。映像と記録で生まれたそのときから確かな過去といつも向き合うことができる。そして一瞬のうちに過去の自分に浸ることができる。良いように考えれば、自分史を作るのも簡単なことだ。 さて、今年は十二支の亥(い)の年、中国流の獣に当てはめれば猪、うりぼう(瓜坊)は可愛いが成長すると人に害を与え、時には死に至らしめることもある動物。20年少し前、河内長野の小さな鮨屋さんで「和泉市から河内長野の山にいるすべての猪を狩猟した」と豪語している人がいたが、何と可哀想な事をしたのかと強い憤りを覚えた。猪も生きる権利がある。今金剛山系に猪がいると聞いて少し安心した。人とうまく共存して欲しいとの思いが強い。しかし何と言っても猪の特徴は猪突猛進、私たち人間にもそんなバイタリティーに富んだ人も見受けられるが、少し立ち止まってみることをすれば、もっと素晴らしい人になることも多い。幼稚園児たちも今年は猪のようにしっかり前を向いて、元気に突き進んで欲しい。しかしそれが間違った道であれば、お父さんやお母さん、友や先生や君たちを支えてくれる多くの人の意見を聞いて元の正道に戻って頑張っていこう。いつまでも元気で、前を向いて、しっかり行動することを今年の目標にしよう。

01 12月 2018

師走を迎えて
ー12月のことばー

    2018年もあと一ヶ月を残すだけになりました。師走、12月、昔は一年の決算の時期として支払いに追われ、「越すに越されぬ歳の暮」などと言われたが、今では支払いが月ぎめになり、必ずしも歳末は総決算の時点でなくなり、むしろ三月末が総決算の時期になった。しかし、それでも一年の終末ともなれば、過去一年を振り返り、悔恨や反省を思うようになる。翻って考えれば、この12月は「来年こそは」と思う時期ではないだろうか。日本では年と年度の違いがあり、何かと煩雑なことも多いが、カレンダーの区切りで考えると、この一年は皆様にとってどんな一年だったでしょうか。全てが良かったと言える人も中にはおられるかもしれませんが、総じて2割や3割の満足があれば、幸せな年を送れたと考えてもいいのではと思ったりします。しかし、それはあくまで主観的な満足、他人から見て、そうでないように見えても、当事者がそれで満足と考えているのであれば、それも十分ありかなと思う。限りがない欲を持った人も多いが、「足るを知る」を自覚している人も多い。他人の満足、不満足の判断を第三者が声高に言うのも奇異な感じがする。皆さんのご家庭ではどうでしょうか。小さな幸せ、人に言えないような満足、お子さんの成長、働く楽しさ、友人、知人との邂逅、家の内外でうれしかったこと、又反対にどうしようもない悲しみやつらさ、不幸に襲われたこともあったのかも知れません。しかし逆に考えれば、そんな悲しいことがいっぱいあったのだから、そしてそれを耐え抜いてきたのだから、今度は楽しみと幸せの連続であるかも分かりません。人の喜びと悲しみの総量は誰にとっても同じようなものです。一代目で非常に差が出たとしても、二代目、三代目となると、平準化されていくのです。喜びや楽しみは心を広くし、悲しみやつらさは心を強くします。今月は22日頃に冬至があります。幼稚園でも伝えますが、昼が短く、夜が一番長いことを教えてあげましょう。23日は天皇誕生日です。今の天皇陛下が即位されてから30年の歳月がたちました。そしてこの天皇誕生日も今年平成30年で終わりです。来年はどんな年号になるか。もう決まっているという人もいますが、いろんな観点から考えて決められるのでしょう。平成30年、31年は一つの大きな区切りになりました。そういう意味で来年のラグビーワールドカップや2020年の東京オリンピック、さらに進んで2025年の大阪万博(私には50年前の青春時代の思い出ですが)も、子ども達にとっては、私のように、後に思い出す大きなイベントになるでしょう。25日はクリスマス、西欧の大きな行事とはいえ、何事も宗教に関係なく祝う日本人にとっては、老若男女を問わず、心躍るロマンの香りがするイベントです。そして31日の大晦日、普段の月では味わうことのない12月、子ども達ともども幸せを感じる瞬間であって欲しいと思います。今年の冬休みは12月22日から1月6日までの17日間、例年に比べて長くなっています。この間に先ほどのクリスマスやお正月があります。正月も昔ほどでないといっても、特別な感情や雰囲気があります。