10年少し前だろうか、日系人の従妹の結婚式に招かれてサン・フランシスコに行った。彼女はハーバード大学出身の弁護士であったが、そのスピーチに誰もがほめたたえた。それはなぜか。論点、話題を整理し、参列している人に納得のいく、理解しやすい話し方を、冗長でなく、手短に論理的にしたからであった。彼女にとっては高校や大学を通じて、身に着いたアメリカ流の合理的・論理的な当たり前の話し方をしただけであったのだが、参列者はそうは思わなかった。翻って、私たち日本人は一般的に感覚的、情緒的な話し方をする。私も人の前で話す時ですら、次々に頭に浮かぶ言葉を順番に無作為に発言していく。決して論理的でなく起承転結もない。昔よく海外から帰ってきた人は合理的、自己中心的で、人のことをよく考えない発言をすると言って、少なからず不遇の状態に置かれた人もいた。海外で活躍し、おおいに会社に貢献したのに、日本に帰ったら報われない。その為に海外に駐在で赴任したがらない人も増えたこともあった。しかし今はグローバルの時代、こんなことは昔の事と言って、どこの会社も笑っているかもしれない。西欧流の合理的・論理的な方法が感覚的・情緒的な考え方よりも優れていると言っているのではない。海外では論理的・法律的に相手を徹底的に打ち負かさなければ、打ち負かされる世界なのだ。日本も専門職や海外営業マンを中心にそのような筋道の通った論理的な思考をする人も増えてきているとはいえ、まだまだ少数派だ。「相手を傷つけない」「和をもって貴し」「相手の逃げ道を作ってやる」「思いやる心」は私たち日本人が過去から受け継いできた美徳だ。それを逆手にとって、卑劣な犯罪をする者も増えたが、昔の家中心の村社会では考えられない事だ。最近私の青春時代の曲をたくさん聞く機会があった。昔はそんなものかと口ずさんでいたが、歌詞をよく見てみると、感覚に訴える情緒的な言葉が多い。例えば中森明菜のセカンドラブ「切なさがクロスするさようならに」「切なさのスピードが高まってとまどう」卒業写真の「人ごみに流されて変わってゆく私」木綿のハンカチーフ「ただ都会の絵の具に染まらないで帰って」秋桜「薄紅の秋桜が秋の日の何気ない陽溜りに揺れている」きみの朝「別れようとする魂と出会おうとする魂と」恋に落ちて「吐息を白いバラに変えて」いい日旅立ち「あー日本のどこかに私を待っている人がいる。いい日旅立ち、夕焼けを探しに」季節の中で「うつむきかけたあなたの前を静かに時は流れ」なごり雪「なごり雪も降る時を知り、ふざけすぎた季節のあとで」カモメはカモメ「この海を失くしてでもほしい愛はあるけれど かもめはかもめ ひとりで海をゆくのが お似合い」聖母たちのララバイ「この都会は戦場だから 男はみんな傷を負った戦士」昴「目を閉じて何も見えず 哀しくて目を開ければ」誰もいない海「わたしは忘れない 海に約束したから」精霊流し「せんこう花火が見えますか 空の上から」花嫁「花嫁衣裳はふるさとの丘に咲いた野菊の花束」安奈「安奈 おまえの愛の灯はまだ燃えているかい」ルビーの指環「くもり硝子の向こうは風の町、問わず語りの心が切ないね」シクラメンのかほり「季節が頬をそめて過ぎてゆきました」心もよう「黒いインキがきれいでしょう 青い便せんが悲しいでしょう」恋の予感「夜は気ままに あなたを踊らせるだけ ただかけぬけるだけ」夢の途中「さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束」贈る言葉「悲しみこらえて 微笑むよりも 涙かれるまで 泣く方がいい」長い夜「長い夜を飛び越えてみたい おまえだけにこの愛を誓う」太陽がくれた季節「君は何を今見つめているの 若い悲しみに濡れた眸で」 先日雨が激しく降る阪和自動車道下り線を比較的高速で走っていた。重心が低い四輪駆動の乗用車であった。右に料金所を見ながら左に少しカーブした所で、急に大きな横滑り、左の車線に急激に移動、ハンドルが咄嗟のことできかない。初めての経験で、一瞬何が起こったのかわからない。幸い横に車はいなかった。最悪、横のガードレールに接触を覚悟したが、ハンドルを真っ直ぐしっかり握っていたのが良かったのか、少しして体勢を立て直すことが出来た。何秒間の出来事が何時間も続いたように思えた。ハイドロプレーン、50年以上前に、名神高速道路の誕生と共に生まれたこの言葉をよく知っていたが、その時よりもはるかに進化した今では死語と考えていた。過信が招いた出来事であった。この現象を避けるために、タイヤ会社は水を逃げやすくする設計をしていた。しかし私の車がはいていたタイヤは晴れ用タイヤで溝が殆どなかった。考えればスリップは当たり前だった。雨の日の慎重運転を思い切り知らされた。ある意味高速道路では視野角度も狭くなるが、低速では左右を見る余裕も生まれる。今まで見えなかったものがどんどん目に飛び込んでくるのだから、他人の迷惑にならない限り、低速ドライブもたまには結構いいものだと思う。 師走、12月、2017年、平成29年もいよいよ終わりです。この1年間、時には暖かいお言葉、時には厳しい叱咤激励を頂きました。皆様方の励ましのお言葉をかみしめながら2018年、平成30年も子どもたちの生長を期待して活動をしてまいります。どうぞ今後ともご支援、お力添えよろしくお願い申し上げます。