3月 2013

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01 3月 2013

巣立ち、育ちゆく人への贈る言葉
ー3月のことばー

  いつもの白い枝垂れ梅が満開となって私たちの目を楽しませ、潤いをもたらしている。卒園式までは順次咲き乱れることでしょう。人にも絶頂の時期が異なるように、梅にも一番華やかな時が微妙にずれている。桜は満開の期間の短さを儚さに例えられることが多いが、梅はそうではない。国花としての競争に負け、桜よりも低位に見られる梅は、ある意味不遇をかこっている。最もそんなことは人の勝手な思いで、梅にとっては迷惑千万、種の保存の為に一生懸命花を咲かせ、実をつける努力をしているのだから余計なお節介だろう。さて、そんな仄かな香りに包まれた梅の花咲く弥生、3月、その時が巡ってきました。卒園、進級です。私自身も教員として、園長として何回迎えたことでしょう。若い頃は当たり前だと思っていたことが、徐々に子どもの将来を憂え、世の中の現状を踏まえて、その行く末の幸せと健康を願う気持ちが強くなってきた。全ての人が同時に満足し、幸福になり、健康を謳歌する事は難しいかもしれない、しかしできるだけそれに近づけることは可能だろう。最も他力本願ではなくて、幸せと健康をつかみ取る努力も必要だし、満足を知る、分を知るということも大事だろう。そうでなければ、何時まで経っても自分が不幸であると思いがちになるから。人生は旅人だと誰かが言った。人生は航海に例えられるとも言った。人は重荷を背負って遠い道のりを行くようだと言う人もいた。人生50年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなりと、いにしえの言葉で語った人もいた。人は、人生は色々に比喩されるだろう。個人の一生をとっても、長いスパンで人間を観察しても、極端に言えば、繰り返しの連続にすぎない。この世に生を受け、這い、つたい、歩き、親からの愛を受け、知識を授かり、友を得る為に学校に行き、生活をし、生き甲斐を見つけ出す為に働き、伴侶と出会い、愛の絆を交わし、結婚し、子どもが生まれる。その子どもの成長を見守り、期待を抱き、齢を重ねていく。その道程では筆舌しがたい喜怒哀楽があり、子どもの生長と共に、自身も経験を積んで、大人としての風格を備えていく。やがて子どもたちが独立し、新しい領域、高齢者の仲間入りをしていく。遂には後に続く者へバトンを引き継いで、消え去っていく。日本だけ考えても非常に荒んだ不幸な時代も多々あったが、種の保存行為は営々と続けられた。本当に驚くべき繰り返しである。その繰り返しの中で君たちが生まれた。2年、3年、4年の幼児教育の過程を終えて今巣立ちの時を迎えた。本当に大きくなった。本当によく生長した。賢くなった。それなりの礼儀を身につけることができた。これから始まる人生の第一歩は無事完了したと思う。人生は陽炎のように儚いと言う人もいるが、考えによっては随分長い。活躍し、腕をふるうには充分だ。失敗してもやり直せるだけの時間もある。その為にこれからの学校生活では思いっきり勉強して知識を深め、友をたくさん作り、体力を強固なものにしよう。貪欲さも必要だが、謙虚ということも忘れないでほしい。自分一人でないということも憶えておきたい。人それぞれ生き方も千差万別だろう。しかし決して諦めたり、自暴自棄にならないでほしい。勇気を持って進んでいこう。希望は君たちの頭上にあるのだから。