美木多 幼稚園

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保護中: 第47回作品展

今日は3大行事のうちの1つ、「作品展」を行いました。 小さな芸術家たちの作品をご覧いただき、また制作コーナーではご家族一緒に楽しんでいただいたことだと思います。 また、食堂では美木多幼稚園自慢の肉うどんとカレーライスやフランクフルト、お茶会に舌鼓を打っていただいたことと思います。 たくさんの方にご来園いただき、本当にありがとうございました。 幼稚園は月曜日にお休みをいただき、火曜日から始まります。元気いっぱいの子ども達の登園をお待ちしています。    

31 10月 2024

Arrogance kills-11月のことば-

9月になったとはいえ、まだまだ30度を超えるような気温が続いた日本の秋、そんな中、時間を限定し、水分補給をこまめに行い、担任や体育指導の先生方が考え、構成した運動会の演目を汗を流しながらの必死の練習です。先生も負けじと一緒になって取り組みました。本番さながらの予行演習も行いました。懸命な努力、必死な姿の先生と子どもたち、努力は裏切ることはなかった。 運動会本番での子どもたちのやり切った顔、満足そうな姿、ひたむきに演じる子どもたち、私たち大人は何物にも代えがたい大きな喜びを感じ、成長した子どもたちの姿を再認識したのではないでしょうか。やらされたり、強制されたものでない、内からほとばしるような、満足そうな顔の表情や笑顔、誰もその感動を否定できません。作り物でない、内から出た演技、競技は本当の本物です。 保護者の皆さんの大きな声援に励まされて、子どもたちも大きな達成感を得たものと信じています。一つ一つの大きな山を乗り越えて、確実に大きく成長する軌道を進んでいます。成績だけの認知能力だけでなく、誠実に立派に楽しく人生の道を歩む一つの指標の非認知能力も確実に身につけてきました。幼稚園生活を立派に送ることはすなわち良い人生を得ることができる事にもつながっています。 これからが楽しみな子どもたち、同時に今後の日本を支える重要な構成員でもあります。 青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気に満ちて、日々新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものだ。又ある人は70歳であろうと16歳であろうと、驚異に惹かれる心、幼子のような未知への探求心や人生への興味の歓喜がある限りその人は青春だ。 We are only young once. 若い時は一度しかない。というようにyoung は一般的に若い人を指すことが多いのだが、先日89歳、85歳、84歳の人と一緒になった時、言語的にはold であり、elder であるのだが、私は youngest だと言われた。そんな使い方もあるのかと感心したのだが、人が集まると、昔は一番若かったのだが、だんだん真ん中になり、今ではほとんどの場合年長になっている。 高校の担任をしている時に、最初はほとんどの保護者が年配であったが、いつのまにか保護者と同じ年齢になり、そして保護者が後輩になっていった。その時はyoungestと言われたが、誰も年齢を感じさせない溌溂さにも驚かされた。人が意欲を持っている限り、希望を持っている限り、その人は青春だと思う。さて、私はめったに電車に乗らないし、道路を長く歩くことはない。しかしこの間やむなく歩道のない狭い市道を歩くことを余儀なくされた。いつもは何とも思わない道が歩行者の立場になると、歩くのが怖いくらい恐怖に感じた。車が凶器に思えた。歩くスピードと横を走る車の速さの違い、一瞬のハンドルさばきのミスが歩行者に打撃を与えてしまう。歩道のないことは勿論問題だが、時には逆の立場になってみるのも必要だと強く思った。丁度ハンディキャップを背負った人の苦しみを理解するために、装具を付けて行動するように。普段何気なく見ていることが、それが普通でなく、危険な状態であることを改めて思い知らされた。 さて、人には様々な人生訓があり、それは国や町やビジネス界の規範になっている。この間、日経新聞の「私の履歴書」で見かけた記事が気になった。それは洋の東西を問わず、成功する、あるいは成功した人の不可欠な処世訓だろう。アメリカの投資ファンドKKRの会長の座右の銘は「arrogance kills」であった。これは日本にある諺「実るほど頭が下がる稲穂かな」と全く同じ意味、すなわち傲慢になる事を戒めたものだった。ある人は幸せな人生を送るためにはどうすべきかと問われ、「正直に生きるという一点に尽きます。人をだましたり、うそをついたり、人生において、自分の利益しか考えられないような人は表情を見ればわかる。その人が歩いた生き方は顔に出るんです」と答えた。正直に生きる、それがお天道様に恥じない生き方なのです。そしていただいたご縁を大切に、誠心誠意尽くしていけば、信頼の輪は着実に広がっていく。又人の死はいつ訪れるかわからないので、だから今日一日でやり残したことがないよう日々悔いなく生きることの大切さを述べている。「実るほど頭が下がる稲穂かな」は学問でも、技能、財産、地位でも、持てば持つほど謙虚になる事だが、言うのはたやすいが、ある程度物を持ち、教育を受けた人が実行するのは少し厳しいかもしれない。しかしそれに向けて、一層謙虚に素直になり、感謝の気持ちを持つことが必要なのです。とその人は述べている。 出雲から神々が各地に帰ってきました。11月、霜月、文化かおる月、そして又働く人への感謝の月、今月も皆様方にとっては素晴らしい月になります様にご健康、ご多幸を祈念しています。秋の夜長のつれづれに少し長々と書いてしまいました。

22 10月 2024

ピザ作りとどんぐりを描きました(そら組)

秋になり、園庭や園の周りをお散歩するとどんぐりがたくさん落ちています。 そら組のみんなも大好きなどんぐりを描きました。みんな大きく立派などんぐりを描くことができましたよ。 みんなでピザも作りました!ソースをかけたりチーズもかけて、とてもおいしそうなピザができましたよ。

24 9月 2024

激動の20代―10月のことばー

もう戦前を超えたとか凌駕したという言葉を何回聞いただろうか。朝鮮戦争の特需でそれまで打ちひしがれていた日本の経済は飛躍的に発展への道を歩み始めた。 池田首相の「貧乏人は麦を食え」は当時としては当たり前のことを言っただけだが、白米にあこがれる消費者に忖度するマスコミが貧しい人々を侮蔑する言葉として取り上げた。実際、戦前まで、例えコメ作りの農家であっても、かなりの農家が米を食べていなかった。供出米として政府に差し出し、年貢米として地主に米を引き渡すことで、手元に残るコメは少なかった。 年に数回のお祭りや祝い事の時に白米を食べただけであった。麦ごはんが主流を占めた。私自身も農家の出であるが、祖父が麦を作り、それを米に入れて食べることがあった。池田首相は所得の高い人は米を、低い人は麦を食べると言う当たり前のことを言っただけであった。池田首相の所得倍増計画や日本人の勤勉さと相まって、国力が大幅に伸びた。輸出にもドライブがかかり、商社マンや会社員が世界狭しと日本製品を売りまわった。又戦前の「安かろう、悪かろう」の欧米人の日本商品に対するイメージを払拭するために、デミング賞等を筆頭に品質管理にも力を入れ、大きな成功をおさめ、世界中から求められるようになった。 それと軌を一にして、驕れる日本人が話題になったのもこの頃である。今はコンピューターからAIへの大きな科学の進歩が言われているが、私の20代も留まることのない大きな変化の波に翻弄された。1963年(19才)、初めての衛星放送がアメリカから中継された。 しかしそれがあまりにも悲劇的なケネディ大統領の暗殺のニュースであった。日本国民誰もが暗澹たる気持ちになった。同じ年、名神高速道路が尼崎―栗東間で一部開通した。ドライブした友人が「やはり外車が違うわ」と言った言葉が印象的であった。その時日本人で車を持つ人は本当に少なかった。豊中で乗って栗東で降り、琵琶湖大橋を渡って帰ってくるのがお決まりのデートコースになった。次の年になると、新幹線が開通した。 それまで東京までは8時間、それが3時間30分になった。誰も用事もないのに新幹線に乗りたがった。京都や名古屋までが定番になった。そしてこの年東京オリンピックが開催され、私と同じ年齢の広島の被ばく青年が最終ランナーとなって、長い階段を駆け上って聖火台に火をつけた。同じ頃、紆余曲折があった名阪国道も無料の一般国道25号として、時の河野一郎運輸大臣のもと、1000日道路として開通した。今や名古屋と大阪を結ぶ重要なインフラとしてその役割を果たしている。そして1969(25才)年アメリカNASAのアポロ11号で人類が初めて月に降り立った。これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な跳躍だ。That’s one small step for a man, one giant leap for mankind. 3人の宇宙飛行士が持ち帰った月の石は大阪万博に展示された。 この時私は日本にいなかった。日本から遠く離れた南米アルゼンチンのブエノスアイレスでスペイン語で書かれたこの言葉を新聞で読んでいた。同じ頃、空前のブームになったライアン・オニールとアン・マックグロー主演の映画「Love Story, ある愛の詩」とその主題歌に大きな感動と感銘を受けていた。愛とは決して後悔しないこと。Love…

11 9月 2024

園庭開放のお知らせ

下記の日程において、午前10時30分~午前11時30分に未就園児を対象とした園庭開放を行います。 送迎バスもありますので、ぜひお越しください。 ・10月16日(水)・28日(月) ・11月 6日(水) ・12月11日(水) ・ 1月20日(月) ・ 2月19日(水) ・ 3月 3日(月) 送迎バスのご案内 午前 9時50分 はつが野6号公園前 午前 9時55分 はつが野4丁(メグリエシティ案内センター道路反対側) 午前10時10分 和泉中央公園芝生広場前 午前10時25分 泉北鴨谷台郵便局前(光明池センタービル前) 午前10時20分 美木多幼稚園専用駐車場(堺市南区美木多上147番地) ★園庭開放をご希望の場合は予約制となりますので、お気軽に園までご連絡ください。  (📞072-296-0011)

保護中: 避難訓練(地震)

今日は延期になっていた地震を想定した避難訓練を行いました。 地震により北園舎中学校側の壁が崩壊し、教員の怪我人が1人出た想定です。 子ども達は非常ベルを聞くと、ロッカーや机の下に逃げ込みました。そして担任の話を聞き、園庭に避難します。 避難までの所要時間は2分40秒でした。 みんな上手に避難することができました。    

26 8月 2024

水ゆたか、流れる大河、イムジン江(河)ー9月のことばー

久しぶりに幼稚園に帰ってきた子どもたちは、毎年そう思うのですが、一段と大きく成長している。しばらく見ていないための錯覚だろうか。いや、実際にこの夏休み中の成長の度合いは大きい。話の内容にも、その話し方にも、それなりの大きな発達を見ることができる。身長も伸び、体重も増えて、大げさに言えば、これからの人生の荒波に向かって進んでいくための基礎的な体力が徐々に形成されつつある。これから頼もしい人間に成長していく楽しみの過程と言っても過言ではない。そんな子供たちにとって、これから始まる二学期は幼稚園生活の充実、発展、完成への過渡期、登山で言えば、中腹から山頂を目指しての一番大事だが、ある意味、ゴールを目前にした頑張りどころです。この学期は運動会、作品展、目を外に向けると、様々な収穫体験や遠足や自然との触れ合い、よく言われる非認知能力の涵養、収得にも大きな成果が得られる活動がいっぱいの時です。今月はまだまだ残暑が厳しいですが、体調、健康に十分注意して、10月の運動会の練習に全力で取り組んでまいります。又中旬には子どもたちを誰よりも慈しみ、その成長を目を細めて見守ってくれているおじいさん、おばあさんの敬老の日参観があります。子どもたちを通して、50年ほど前の自分の姿を過ぎ去った子供時代を思い出しながら、嬉しい年月の経過を実感していただけるのではないかと密かに思っています。幼稚園は私たち先生、子どもたち、保護者の皆様そしてご家族の人々が一緒に集うファミリーです。人が生まれてきた以上は、何か社会的貢献、例えそれが路傍の草引きでも、ごみ集めでもいい、だとすれば、保護者の皆様を含めた私たちの活動は幼子たちの発達・成長の大きな手助けをしている、未来の有能な人材への社会的貢献をしていると言えるのでしょう。それが我が子だけでなく、他人の子どもであっても、手を差し伸べていくことに繋がっていく。 そういう意味ではアメリカは一代で築いた財産を大学などに大きな寄付をして、自分の名前を冠した建物を作るとか、あるいは純粋に大学に寄付したりする。アメリカの有名な大学はほぼ私学だが、その結果それらの大学は想像に絶するほど資金力があり、その運用については株式やその他の投資にまで影響があるそうだ。最近ではコロンビア大学やハーバード大学の学長が辞職を余儀なくされたのも、ユダヤ系の大口寄付者によるところも大きいと報道された。又それらの資金を活用して、世界中から若手研究者を集め、研究成果を競っている。それらの資金を頼って海外に招かれて研究している日本の研究者も多い。ある意味、寄付と税金は密接に関係していて、寄付すれば、税金の控除を受けられる場合が多い。日本でも最近の文科省はこの寄付制度の促進を促している。少子化によって、学校の運営が厳しくなった中で、この寄付金控除の拡大は大きな前進と言える。8月初め、韓国に行った。関空から1時間30分、韓国は身近な隣国だ。25歳の時に関釜フェリーで、下関から釜山に着き、その後400kmあまりドライブしてソウルに着いた。1971年であった。街はきれいでなかった。貧しかった。明洞通りもごみごみしていた。そして20年後再び韓国に行った。前よりは印象が良かったが、それでもあまり行きたいとは思わなかった。そして今年、ソウルは変わっていた。私の持っていた昔のソウルのイメージは全く払拭された。漢江の奇跡だとよく言われるが、都市は大阪と同じかそれ以上だと思った。通りはわずかなレクサスとドイツ車以外はほとんどヒュンダイかkiaの車であった。所得は日本と同じかそれ以上とのこと、ソウル大学に続くナンバー2の延世大学のキャンパスの広さに驚いた。1970年代は韓国の中高齢者はほとんど日本語が通じた。今のソウルの街でも韓国語がわからなくても、ある程度日本語は通用することが驚きであった。街は活気にあふれ、昔の不潔なイメージが全くなかった。私が見たのはソウルの光が当たる一部分だけなので、国全体のイメージではない。個人的にはキムチが好きだが、韓国で食べたキムチや冷麺、焼肉などは本当に魅力的であった。二日目、ガイドさんと一緒に5人で38度線に向かった。北朝鮮に続く道路は片道3車線以上の堂々とした高速道路であった。北朝鮮から流れてくるイムジン江(河)が豊富な水量を湛えながら韓国に向かって流れていた。私の世代ではザ・フォーク・クルセダーズのイムジン河が有名であった。しばらくするとゲートがあり、それ以上進めなかった。その時、戦車を積んだトラックが通り過ぎた。静かな場所だが、何か空気の張りつめた緊張感があった。その場所からイムジン河をロープウェーで超え、米軍が駐留していた場所まで行った。ロープウェーの出発地には大きな遊園地があり、誰でも来ることができた。南北融和を演出しているのだろうか。あわただしい二泊三日の韓国旅行であったが、韓国を身近に感じることができ、日本から韓流ブームで沢山の人が韓国に行く理由がわかるような気がした。この旅の大きな収穫であった。 9月1日より、願書配布になっています。ご近所、お知り合いで、入園対象のお子様がおられましたら、是非お勧めしていただきますよう宜しくお願い致します。 9月、長月、天高く馬肥える秋、今月も子どもたちと楽しく有意義に過ごしてまいります。  

13 8月 2024

2人で過ごすお弁当日初日

家庭保育協力日に多くの保護者の方がご理解をいただきました。ありがとうございます。 今日は2人のお友だちが登園してきました。年の差は少しありますが、先生たちとゆったり過ごしました。 お弁当日は15日までとなっています。引き続きご協力をお願いいたします。それぞれのお家での素敵な思い出をいっぱい作ってください。

01 7月 2024

和を以て貴しとなす
ー7月のことばー

夏に至る夏至を過ぎ、私たちは真夏の7月を迎えました。 4,5,6月のこの三か月間、保護者の皆様にとっても、子どもたちとの関わりで、さまざまな悩みや憂い、反対に喜びや感謝があったと思います。 子どもたちにとっても大きな状況の変化の中で、大人以上に緊張を強いられてきた事も多々あったと思います。しかしそんな厳しい環境の変化にもまれ、苦しみながらも子どもたちは大人が考える以上に大きな成長を遂げ、様々な行事を経験して、成長・発達の道を踏み外すことなく、7月の季節を迎えることができました。ご家庭でも子どもたちの変化や成長を実感されることもあると思います。 様々な収穫体験では自然との触れ合いを通じて、自然界の食物を身近に感じたことと思います。 又クラス活動を通じて友達との関りを身近なものと考え、時にはトラブルを起こすことがあっても、子どもなりに解決していく、あるいは先生のアドバイスの下で仲良くなっていく、そんな微笑ましい光景も至る所で見られるようになりました。 反面、自我が芽生え、自己主張を強める子どもたちも出てきました。いろんな子どもがいてもいい、先生も大きな優しい心でいつも見守っています。 体操の先生の指導の下、リンゴ、年少さんは体を動かしたり、運動器具を使ったり、ルールを知ったりして、興味が一層ついた感じです。 年中、年長さんは今までの活動内容を踏まえて、より難易度の高い領域を目指しています。10月の運動会では大きな花を咲かせることになるでしょう。 英語そのものを勉強するのではなくて、世の中には人種、言語の異なる様々な人々がいることを知ってもらおうと始めた外人講師による英語、子どもたちは先生を恐れることなく、親しみをもって言葉に取組んでいます。 発音に関しては大人よりも上手いのかも?絵画の先生は、その世界では実力のある先生です。 3歳児では同じ色(単色)を好んで使ったりして絵に対して興味を示し、今までの単色の表現から様々な色を使うことに成長し始めます。子供の成長と同じように絵画にも成長の段階があることを踏まえての指導です。 音楽は徹底的な歌唱の指導を行い、次に合奏ではいろいろな楽器に慣れ親しんで器楽合奏の向上を目指しています。 その為に、小学校以上とは言いませんが、幼稚園には必要以上の十分な楽器が備わっています。異なった講師の指導を仰ぎながら、幼稚園の先生もこの三か月間フル活動をしてきました。 子どもたちの大きな成長要素を形作ったのではと自負しています。その辺のことを7月の個人懇談会で話し合っていただければと思います。 長い夏休み前には夏祭り、お泊り保育があります。夕方のひと時をお子様とご一緒にお楽しみください。 ところで純情で無垢な気持ちの子どもたちもびっくりするような発言や方便が政治の世界でまかり通っている。 当人たちはうまく相手をやり込めたとかうまく切り抜けたとか、騙された方が悪いと思っているかもしれないが、日本は聖徳太子の時から性善説が信じられ、「和を以て貴しとなす」の世界、詭弁を駆使して、相手を打ち負かすよりも誠実に、純粋に生きていく方が人間として優れている。 私たちはいま人間として「真に守るべき価値とは何か」ということを思慮し、戦争や自然災害の世を生きなければならないという時を迎えているように思う。 又礼節とは人間相互だけのものではなく、私共の生きる地球や自然に対しても持つべきものである。当たり前のことが私たちの胸に響くのはどうしてだろうか? 7月、文月、夏休み、海や山の季節、病気になったり、怪我をしたりしないで、元気いっぱい過ごしましょう。…

01 6月 2024

銀も金も玉も何せむに
ー6月のことばー

  「銀も金も玉も何せむに勝れる宝子に及かめやも」(銀も金も宝石も何の役に立とう。すぐれた宝も子に及ぶことなどあろうか)「瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆいづくより来たりしものそ眼交にもとなかかりて安眠しなさぬ」(瓜を食べれば(残してきた)子どものことが自然に思われる。栗を食べれば一層しのばれる。 いったい子どもたちはどこから来たものだろうか。(どのような縁で私の子どもとしてやってきたのだろうか)目の前にやたらと(子どもたちの姿が)ちらついて、安眠させてくれないことよ)子どもを思う親の気持ちを痛いほど強烈に和歌で表現した山上憶良。1300年たった今でも力強く人々の心に響き渡っている。 子を思う親の気持ちはいくら月日が経とうとも枯れるものではない。困窮して日々の生活に追われていないから、そんな気持ちになるのだと言う人もいるが、実際時たまおこる悲惨な事件や子どもの人格を無視したようなケースもあるが、子どもの大事さ、子どもを持つ幸せ、育てる喜びを誰も否定することはできない。 そのような観点から日本一の幼児教育を目指す、子どもが中心、子どもの成長、発展、発育に全力を尽くす事が幼児教育施設の幼稚園に与えられた高い目標であると同時に努力義務となっている。 もし山上憶良が現在の日本に蘇ったなら、彼は何に一番驚くだろうか。 その一つがインバウンドという訪日外国人の多さではないだろうか。以前はただ日本に行って何かしら日本の品質管理の優れた商品あるいは信頼できる輸入商品を買うことが目的であった。 しかし今や訪日客の多さに驚かされる。大都市だけでなくて、こんな田舎に、こんな古びた観光地と思えるような所にも日本人よりも数多くの彼らがいる。 私の若い頃には企業の招待で細々とした訪日観光客であったのが、今ではオーバーツーリズムと言っても過言ではない。大都市は無論のこと、北海道や富士山、高野山の奥まで、日本人以上に日本の各地を巡っている。 長年日本に住んでいる日本人よりも彼らに聞いた方が日本のことを良く知っているかもしれない。そんな彼らが国に帰った時に、日本は良かった、行く価値があった。と言ってもらえれば良いが、人だらけで、行く価値がなかった、疲れただけであったという印象を与えたのであれば、いわゆる本末転倒と言っても過言ではない。 しかしよくよく考えてみると、私たち日本人が奈良平安の昔から営々と築き上げてきた伝統、日本人の奥ゆかしさ、自然を愛でる日本人の心情のやさしさと英知、そしてそれらが具現化された建築物や生活用品、装飾物、それに生活様式や考え方、規範、それらから導きされたどことなく親しみのこもった風景、そんなものが長い間外の影響を遮断された島国日本の他国にはないユニークさを生み出している。 明治時代以降徐々に海外に発信されてきたが、最近では様々なツールを通じて狭くなった外国に浸透し、円安と重なって一種のブームを生み出している。 しかしこれらのものは私たちが過去から受け継いだものであり、過去の人たちに大いに感謝と尊敬の念を持たねばならない。と同時に立派に未来に引き継ぐことも私たちの重要な責務である。 日本人の中には過度の自己主張も含め、西欧かぶれしすぎて、今までの日本人の美意識、生活様式、考え方までも否定的に捉える人が多くなったのはある意味残念と言わざるを得ない。 私もよく「今の時代はそうなっているのだから仕方がない」とか「今は昔の日本ではない」と言われることがあるが、果たして全ての日本人がそう思っているのだろうか。本性を隠して、あるいは表現せずに、月日を過ごしているだけでないのだろうか。強く自己主張する人、自分の価値観だけを正当化する人、そんな人ばかりであればサイレントマジョリティーも黙っていない。 日本は日本人だけのものではない。しかし日本に住もうとする人は外国の規範ではなくて、日本の基準も尊重してもらいた。英語でよく習った「Do in Rome as the…

01 5月 2024

一雨ごとに成長し、緑濃くなる
ー5月のことばー

  自然界の動植物はなぜあのように素晴らしい色彩や形をしているのだろうか。 私たちは例え、薬品や絵画材料を使っても決して同じように表現できないし、形に至っては私たちの想像を超えるものも存在している。しかし私たちの感覚や知識からすれば、あり得ない色の組み合わせであっても自然界のものはそれなりにうまく収まっている。 決して奇異な感じがしたり、他のものから浮いたりしていない。色彩に関しても、ダーウィン流の進化があるのだろうか。兎に角4月から5月にかけての芽吹きから始まって花をつけ、新緑に輝く過程はその美しさをいくら強調してもしすぎることはない。 そんな4月の初めの朝4時30分、辺りはまだ暗い。そんな中、一路富山県黒部市を目指した。大学を卒業して、50数年、学年40人のうち、8人の同窓生が宇奈月温泉に集まるという。 運転手は80歳間近の私一人、距離は片道430km、雨模様、車のタイヤはスポーツ仕様で、横向きに少し溝があるだけのランフラットタイヤ、何年か前に雨の高速道路でスリップした経験のある同じタイプのものだった。 別の車でと忠告も受けたが、慎重運転を心がけるということで、暗闇で小雨の降る中、一路越中富山を目指した。室内には流れる音楽がなかった。 ただ力強く鼓動するターボエンジンが私の心を揺さぶり、期待に忠実に反応した。日ごろ混んでいる阪和自動車道や近畿自動車道も、さすがこの時間、ブレーキの世話になる事もなく、一気に通過し、門真で第2京阪に舵をきった。 ここはいつもパトカーが目を光らせている高速道路、朝もやの中、安全運転で通り過ぎた。 久御山ICを右折し、京滋バイパスに入った。雨は降り続いていた。長いトンネルを過ぎ、一回転して、名神高速道路に合流した。前方に近江富士のシルエットが迫ってきた。 アウトレットで来たことがあった竜王を通り過ぎ、車は琵琶湖右岸を順調に期待に応えて進んでいった。 しかし少し疲れたこともあって、多賀SAで簡単な食事と身支度を整えて、再び名神高速道路に車を進めた。トラックの通行は激しい。新聞で騒がれている物流問題はどうなるのだろうか。 米原で北陸道に入ると、さすが交通量は少ない。飛ばしてはいけないと思いながら、ついアクセルを強く踏んでしまうことがある。 賤ヶ岳古戦場の木之本ICを過ぎると、福井県は目の前に迫ってきた。敦賀に到着。街からだいぶ離れている。ここを過ぎると、上り線と下り線が逆になって別れてしまう。 その理由がわからない。越前、鯖江を過ぎるともう福井市。永平寺、勝山、大野方面行の中部縦貫自動車道の入り口が見えてきた。子供の夢を乗せた恐竜博物館ももうすぐだ。 56年前を思い出した。当時アルゼンチンに駐在していた。日本から来た会社の人にはブエノスアイレスの名所を案内したが少し日程に余裕がある人には60kmほど離れたラ・プラタ市を案内した。 そこには博物館(Museo de La Plata)があった。私は全然興味がなかったが、南米で発掘された恐竜が所狭しと展示されていた。いつでも入場できた。…

01 4月 2024

ご入園、ご進級 おめでとうございます
ー4月のことばー

  カタクリの花が咲き、遣唐使が中国からもたらした梅が土筆や蕨を従えてそれに続き、コブシ、椿にその場所を譲っている。様々な色の椿がある中で、清楚で村里でひっそりと咲く、その存在感を誇示していないヤブ椿が一番好きだ。 「巨勢山のつらつら椿つらつらに見つつ偲はな巨勢の春野を」椿は日本原産で、椿という字は日本でできた文字とか。 そんな椿の終わり頃、待ちに待った桜満開の季節の到来です。まさに春爛漫、土の中で惰眠を貪っていた小動物も生命を吹き返し、命の鼓動が聞こえるようになった。街に、野山に、至る所にも芽吹きも見られるようになり、私たちも厚着から解放され、より軽快に、より自由に動き回る季節が到来しました。 ご入園、ご進級誠におめでとうございます。 皆さんがやってくるのを今か今かと首を長くして待っていました。皆さんは今日から私たちの仲間です。何でもわからない事があれば、聞いてくださいね。いろいろなことを経験し、体験し、突然のことに遭遇しても、皆さんには優しい先生、強い先生、明るい先生や何でもよく気が付く先生が周りにいっぱいいます。何の心配もいりません。いろいろなことをしましょう。沢山遊びましょう。 様々な場所にも出かけましょう。そしておいしい給食をたくさん食べましょう。元気になる秘訣です。先生はいつも皆さんの味方です。じっといつも皆さんのことを見守っています。怖がったり、泣いたりすることは何もありません。 これから生きていく上での大きな成長、発達へとつなげていきましょう。 「三つ子の魂百まで」、古今場所を問わずの原理原則です。今をしっかり生き続け、将来の土台作りをしましょう。困ったことや悲しいことがあったら、なんでも先生に話をしてください。 きっと楽しい、素晴らしい解決方法がそこにあります。進級児の皆さん、楽しい、新しい学年が始まりました。今までの幼稚園生活で経験したこと、体験したこと、教わったことを土台にして、この一年、大きな飛躍の年になるように努力していきましょう。 それと同時に新入園児の皆さんに優しく何でも教えてあげましょう。 人生は教え、教えられての繰り返しなのです。仲間たちと楽しく過ごし、今しかできないことをしっかりやっていきましょう。幼稚園で過ごした貴重な幼児期が皆さんにとって大きな役割を果たす時が必ずあります。最後に気になった言葉を引用させていただきます。 忘れてならぬものは恩義、捨ててならぬものは義理、人に与えるものは人情、繰り返してならぬものは過失、通してならぬものは我意、笑ってならぬものは人の失敗、聞いてはならぬものは秘密、金で買えぬものは信用。 近藤勇の言葉より 2024年4月、卯月、新しい年度の始まりです。始めよければ、終わりよし。(A good beginning makes a good ending).手をたずさえて頑張りぬきましょう。 今年一年間、ご支援、お力添えをいただきますよう、お願い申し上げます。

01 3月 2024

巣立っていく皆さんへ 本流を堂々と
ー3月のことばー

  昔高校の教員をしていた頃、英語の教科書選定にあたり、教科書会社から提案され、この学校にはこの教科書は易し過ぎるとか、あるいは難しすぎるとか、喧々諤々の議論の末にリーダーの教科書に「MAIN STREAM」を選んだことがあった。 30年以上の前の話だから今そのシリーズがあるかどうかわからない。その中でイギリス、テムズ川の源流の話があった。トネリコの樹木が自生する、観光名所のコッツウォルズ近くの丘から湧き出た水が途中ロンドン盆地に流れ込み、グレーターロンドンを貫通して、340kmの旅を終え、北海に注いでいる。今卒園や進級を控えた幼稚園児もこの川のように例えてもいいのではと思う。 岩からしみ出るわずかな水が集まって少しずつ大きな流れとなって本流に変貌していく。リンゴ、年少、年中さんはまだまだ湧き出た水が支流となって下っていく。卒園児の皆さんは支流が他の支流と合体して、少し大きな支流になっていく。 これから小学校、中学校、高等学校、大学と進学するにつれて、未知の人との交わりが増える、言ってみれば、様々な支流と合流して、大きな一本の川となる。働き盛りの30代、40台、50代ではロンドンを流れるテムズ川のように、人々の生活の営みにかけがえのない役割を果たし、静かに北海に消えていく。卒園児の皆さんは幼稚園で様々なことを学び、経験し、体験し、友達と交わり、肉体の面でも、知性の面でも、もう誰にも負けることのない位、立派に成長しました。 認知能力、非認知能力も含め、幼児教育の全ては幼稚園で習得し、完結しました。「三つ子の魂百まで」の諺通り、これからの基礎基盤となる基本的な要素は全て子どもたちの中に貴重な宝物として残っています。 これからはその宝物の土台の上に様々な経験や知識を積み重ねて自分にできる範囲の社会的貢献をし、生まれてきた証、存在した意義を示して欲しいと思います。そして紛争のない、人間らしい生活を享受できる世界になるように役立ってほしいと思います。 英知を授かった皆さんならきっとできると思います。それにもまして、これからの長い年月にわたって、健康を害することのないよう十分気を付けてほしい。時には幼稚園を思い浮かべてください。時には卒園アルバムをそっと覗いてください。 新たなエネルギーが体内に湧き上がってくることでしょう。最後に皆さんに私がいつも言っている二つの諺を贈ります。一つは「人事を尽くして天命を待つ」それと「実るほど頭の垂れる稲穂かな」です。 卒園児の皆さん、いよいよお別れです。リンゴ、年少,年中組のみなさん、皆さんはこの一年で大きく成長しました。発表会を見てそのことを実感しました。 皆さんはこれからお兄ちゃん、お姉ちゃんです。新しく幼稚園に入園した皆さんにもいろいろ教えてあげましょう。 そして今までと同じように幼稚園で先生と一緒に楽しく過ごしましょう。最近読んだ本の中から。 「美しい心でいたいならば、常に美しいものに触れなさい。自然であれ、何であれ、美しいものに触れて感動すれば、それが自分の勇気と生きる力になる」 菊池寛が興した「文芸春秋」、最近あまりにも低俗な雑誌に変貌したと思うのは私だけだろうか。泉下の菊池はどう思っているのだろうか。 「お皿は必ず裏から洗うのですよ。表の汚れをそのままにする人はいませんから。見えない裏を美しくすれば、自然に全体が奇麗になる」 ある人は母から「うそをついたらダメ、ずるをしたらダメ、楽な道と苦しい道があったら、苦しい道を歩め。」「働かせてもらえるだけで有難いから、給料の額に文句を言っちゃいけないよ」と厳しく言われた。 「努力は決して裏切らない。必ず報われる」「人間の能力に大差はない。あるとすれば努力と根性の差である」「夢をもて、夢は叶う」弥生三月歓喜の時、あらゆる生命体が目覚め始めました。 私たちも負けないように足並みをそろえて頑張っていきます。 2023年度、この一年、ありがとうございました。

01 2月 2024

和顔愛語
ー2月のことばー

  山茶花の赤や白の花が咲き乱れ、道に面した梅の花にも季節を告げるように白い花がほころび始めました。その名が示すように椿も負けじと蕾を膨らせています。それぞれ冬の厳しい寒さを乗り越えた喜びの瞬間なのでしょう。もうすぐ小動物たちも深い眠りから目を覚ますことでしょう。光り輝く太陽も私たちに少し近づき、昼の長さも目に見えて長くなったような気がします。2月4日の立春ももうすぐ、とはいえ、受験生には厳しい試練が続くときであると同時に、自分の実力が試される時、一瞬たりとも気が抜けない日々が続いていることでしょう。反面私たちの時とは違って、指定校や推薦入試ですでに決まっていたり又全入時代に突入して、心に少し余裕がある人も存在するでしょう。この時期に経験した勉強や困難を乗り越える力は将来にわたって人生の大きな助けになります。努力は決して人を裏切ることはないし、無駄な努力は何もないと思う。努力を続けることによって、いつかそれに光が当たり、報われることも十分考えられる。個人のことですが、高校時代は図書部に入り、ありとあらゆるジャンルの本をむさぼるように読んだ。直接的に大いに役立ったことは思い当たらないが、外国人を含めて様々な人たちとの話にも躊躇なく仲間入りすることができたのも一つのメリットかもしれないし、何か漠然とした自信がついたのかもしれない。「冬来たりなば春遠からじ」春を待ちわびる人の心境だろう。さて、「情けは人の為ならず」はどういう意味ですか?と高校教員をしていた時、あるいは幼稚園の採用試験で設問したことがあった。ほとんどの人が「人に情けをかけて助けることになると、結局その人の為にはならない。」という回答が多かった。本当は「情けや親切を人にすると、いつかそれは自分に戻ってくる」という意味ですが、後々のことを考え、損得を考えて、こんな言葉を言っているのでしょうか。ある人は今年の目標に、謙虚、素直、感謝 の三つに「利他の心」を付け加えました。「自分のことよりも他人の幸福を願うこと、自分を犠牲にして、他人のために尽くすこと」すぐに全てを実行できなくとも、その心持は大事なことです。美木多幼稚園初代園長の宮下紀久子は習字が得意で、よく展覧会にも出品していました。その中で圧倒的に多かった作品は「和顔愛語」でした。幼稚園や老人施設にも掛けています。読み方はワゲンアイゴ、仏教用語で「穏やかな顔と思いやりのある話し方で人に接する」ことです。非常に尊い言葉ですが、私たち凡夫においては、これを完全に実行することは不可能ではと思ったりします。実際機嫌が悪い時や落ち込んでいる時は無愛想にもなりますし、人を傷つけたりする言葉を発することもあります。しかし現実には「穏やかな顔や優しい言葉」が必要なことは言うまでもありませんし、もっと進んで「相手の気持ちを先に察し、その望みを受け取り、満たしてあげる」のが理想的であるのでしょう。亡くなって25年経っていますから、その真意はわかりませんが、その思いは「和顔愛語」通りだったのでしょう。先日は能登半島地震へのご支援ありがとうございました。日本赤十字社を通じて石川県に届けさせていただきました。お年玉から寄付されていたお子さまも沢山おられました。同じ小さな子どもたちが被災にあわれたと思うと、本当に心が痛みます。一刻も早い復興、そして能登半島が再びよみがえることを願ってやみません。さて、今遊戯室やホールでは音楽・生活発表会に向けての追い込みに大わらわです。子どもたちも頑張っています。それ以上に先生たちの頑張りは気迫に満ちたものがあります。是非、発表会当日は子どもたちの迫力に満ちた歌や合奏、迫真の演技に惜しみない、暖かい応援をお願いします。いよいよあと二か月で卒園、進級です。子どもたちは大きな成長、発達を遂げてきました。将来の日本を支える大切な、大切な人たちです。健康で心豊かな人になる事を願ってやみません。 2月、如月、建国の月、いつものことながら、ご支援、お力添え、よろしくお願いします。

01 1月 2024

2024年、平和で安心な世界が訪れますように
ー1月のことばー

  あけましておめでとうございます。 2024年1月、新しい年が始まりました。 新しい年と言ってもただ単に年号が変わるだけで、何の変化もないと醒めた目でシニカルに言う人もいるでしょう。しかし新しい年はやはり何かしらドキドキ、ワクワク、ある期待感を私たちにもたらしてくれるのも事実、悠久の歴史の中で人類は何回新しい年や四季の移り変わりを身をもって体験したことでしょう。 そして今年こそは、今年こそはと思いを新たに挑戦してきたか、あるいは挑戦しようとしたことでしょう。一年の計は元旦にあり、とは名言とはいえ、どれ程の人がそれを自分のことと捉え、実行してきたのでしょう。それがいいか悪いかは別として、明治以前は20年たっても、30年たっても、例え50年たっても世の中の変化はなかった。大きなほぼ決まった枠組みの中で、人は生まれ、成長し、結婚し、出産し、老いて死んでいった。自分の意志で大きな変化にチャレンジすることはほぼなかった。 しかし21世紀の今、人間の能力や才能には昔とそれほど相違はないが、時代やその背景は大きく異なり、人との交わりも希薄化されてきた。それと同時に島国日本も容赦なく世界の荒波に翻弄され、日本だけが他国と別でいることができなくなった。否応なくグローバリゼーションの世界に飲み込まれるようになった。 それは体制や人種の問題にとどまらず、私たちの心の中にまで変革を迫られるようになった。古くから維持してきた道徳や公共心、考え方、習慣などが諸外国からの激しいパッシングにさらされるようにもなった。又今まではあり得なかった考えや思想もそれが正しいものと認識され、受け入れることを余儀なくされるようになった。 私たちは昔の人なら、こう考える、このように物事を進めていく、あるいはそれは独りよがりの思いで、そんなことは考えられないといったことが諸外国とのフィルターに掛けられ、それは当然とか、当然のこととして処理されるようになった。 21世紀に入り世界は混とんとした状態になり、対決や力の世紀になってきた。いたる所で民族、宗教、領土などの問題で、人が人を平気で殺し、傷つけることが日常茶飯事、まさに狂気の時代に私たちは翻弄されていると言っても過言ではない。又誰が悪いと声高に叫ぶことも躊躇され、口をつぐむ傾向もある。 1980年、ニューヨークのダコタハウスで不本意に生涯を閉じたJohn LennonとYokoの「imagine」はベトナム戦争の最中、一部共産主義、左翼思想と揶揄されることもあったが、その内容には共鳴することが多い。 「想像してみて、天国などないと。その気になればかんたんさ、大地の下に地獄など無く、頭の上にあるのは空だけ。想像してごらんよ、みんなが今日を生きている。想像してみて、国など無いと、難しい事じゃないさ、殺したり、殺されたりすることもなく、宗教も無い。想像してごらんよ、みんなが平和に暮らしている。君は僕を夢想家だと言うかも、でも僕だけじゃない。 いつか君が仲間になってくれたら、世界は一つになるんだよ。想像してみて、独り占めも無いと、君にできるかな。欲張る必要も、飢える必要もなくなって、人類は兄弟だ。想像してごらんよ、人々が世界を分かち合う」戦争で犠牲になるのはいつも若者や名もない市井の一般市民、平和に心安らかに暮らせる日がいつ来るのだろうか。幼稚園の3学期は音楽・生活発表会と卒園進級です。 作品展が終わり、すぐに発表会に向けて取り組み始めました。 過去から引き継いだ豊富な衣装、保護者の皆様に作っていただいた新しい衣装、それらを身に着けると別人のように子どもたちは光り輝いて見えます。合唱や合奏、音楽も大きな進化を目指して練習にまい進です。 そして幼児教育の最後の大きなイベント、卒園式です。大きな成長を遂げたことを本当に誇らしげに語ってほしいと思います。 この子たちが理不尽な環境に巻き込まれることなく、まさに堂々と道の真ん中を進まれることを心より期待しています。 この2024年がお子さまにとっても、ご家族の皆様にとっても、幸多く、健康で心豊かな年でありますように心よりご祈念申し上げます。

01 12月 2023

一年間ありがとうございました
ー12月のことばー

  散り際の美しさを誇示しながら、園庭の樹木も今はすっかり衣装を取り去り、本来の形だけの姿に変身です。これから始まる厳しい環境に耐える為に研ぎ澄まされた裸の形です。虫たちやそれを生存条件としている動物たちも長い睡眠に入りました。 それぞれが生きるために、子孫を残すために昔から延々と続いてきた営みです。今は薄れたとはいえ、スペインで続いてきたシエスタ(昼寝)もそうなんでしょうか。 そんな中で私たち人類は理不尽な戦いをする反面、他の生物と異なって、知力と忍耐力を使ってより快適な生活を追い求めてきました。残念ながら人間だけが全ての支配者であるという驕り高ぶった気持ちも芽生え、他の動植物との共生という概念が少し希薄になってきたのではと思ったりします。 ある有名な学者は「私たちは歴史上最も健康で、最も裕福で、最も長生な人間である。そして私たちはますます怖がるようになりつつある。これは現代の大きなパラドックスの一つである」と言いました。 現実には目前のリスクを恐れすぎるほど恐れるくせに、遠い未来のリスクとなると、どんな大きなリスクでも一向に恐れない人間があまりにも多い。又ある人は「大きい不快、破滅をもたらすことのできるもの、それも遠くではなく目前に迫られるほど近くに現れるものだけを恐れる」「ひどく遠くにあるものを人々は恐れない」例えば誰でも人は死ぬということを知っている。 しかしそれは近くにないから少しも気にすることはない。目前のリスクに比べて遠くのそれは実寸よりも小さく見えるために、私たちはつい前者を恐れすぎ、後者を恐れな過ぎてしまう。しかしあまりにも遠い未来までも考えると私たちは生きることが辛くなるかもしれない。 二学期の大きな行事、運動会と作品展が皆様方に支えられて無事終えることが出来ました。ご感想はいかがでしたか。運動会では肉体的な大きな成長を見られたかと思います。 一歩一歩成人になる為の大きな生長だと思います。作品展では精神的、頭脳的な飛躍、自戒の芽生え、物の捉え方、見方等においても、順調なそれでいて確実な伸展を垣間見られたかと思います。幼稚園で経験したこと、学んだこと、人と交わったこと、たまには喧嘩をしたこと、さまざまな経験や体験がこれからの子供たちの成長に大きな起爆剤となって役立っていきます。ただアクセスだけで幼稚園や保育所選んでいると言われる傾向が強い中で、私たちは愚直に保護者の皆様と連絡を取り合って、子どもが真ん中、子供中心の保育を目指して、認知能力は勿論のこと、非認知能力の向上も目指して保育・教育活動を進め、いい形で小学校教育につなげていきます。 そして将来何十年か先にあの時この幼稚園に通園して良かった、両親の幼稚園選びの選択は間違いでなかった、正しい選択であったと言ってもらえるよう、教職員一同日々研鑽に取り組むと同時に子ども一人一人との接触をより一層深めてまいります。 あと一か月で2024年、年長さんは憧れの小学校です。年長さんを見ているとワクワク感がいっぱいです。今まで幼稚園で経験し、体験し、学んできたことが大きな財産となって小学校に行っても光り輝いたものになるでしょう。時あたかも文科省が小学校へ繋ぐ教育、幼少連携の重要性を今まで以上に発信するようになりました。 これから何十年もかけて子どもたちの追跡調査をする体制も整い始めました。私たちの幼稚園で学んだ子どもたちが将来にわたってきっと立派な人生を送られることを私たちは希望し、期待し、実際そうなるものだと自信を持っています。 新しい2024年、保護者の皆さんが幸多く、ご健勝でありますよう心より願いつつ、2023年の園便り終わりとします。 いろいろ行き届かない点、ご不満に思われている事も多々あった事と存じますが、この一年間本当にありがとうございました。心よりお礼申し上げます。

01 11月 2023

明日に向けて
ー11月のことばー

   10月22日夜7時15分、ANAのボーイング737が爆音を後に残して伊丹空港を離陸した。1時間後の8時20分、何事が起ったかびっくりするほどの大きな音と衝撃を伴って、兎に角福島空港に着陸した。昼は大阪と同じくらいの気温でも、夜になるとさすがに寒い。福島交通のバスで約40分、郡山に到着、歩いてダイワロイネットホテルに歩いて移動、駅前の便利なビジネスホテルだ。第38回全日本私立幼稚園研修大会が10月23と24日、山形市のホテルメトロポリタン山形で行われる。それに先立って上杉鷹山の米沢市を、そして上杉神社をどうしても見ておきたかった。    翌朝8時30分、レンタカーを借りて、一人で東北自動車道を北進し、福島市で東北中央自動車道に進んだ。こんな峻険な山々が連なる場所によく高速道路を建設したと思うくらいトンネルが続き、そのトンネルを数多くの橋でつないでいた。高速道路があるのは当たり前だろうか?土地の地権者との交渉、買収、設計、土木、建設、付帯工事、その他、どのくらい多くの人々がこの道路を作るのに、携わったのだろうか。    どのくらい努力し、どのくらい頭を絞って設計したのだろうか?日本には数多くの高速道路があるが、ここも難工事の一つだったのではと思うと同時に、日本の土木工事の技術力の高さを見せつけられた思いだ。戦前、戦後を通じて蓄積された技術、人数が多かった団塊の世代の頑張り、そしてその後を受け継いでいる現役世代、GNPが世界4位になったとはいえ、日本にはまだまだ世界に誇るものがある。  「為せば成る、なさねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」上杉神社にはこれをしたためた掲示板があった。「どんなことでもやろうと努力すれば、必ず実現できる。逆に無理だと思ってあきらめ、努力をしなければ、絶対に実現できない。」上杉鷹山は莫大な借金を抱え、民衆が苦しんでいた藩を自分から模範を示して節約に努め、新たに産業を起こし、学問所も作り、財政の立て直しに全力で取り組んだ。又子どもや老人を大切にする政治も行った。今でも通用する次の4か条を唱えた。 1.民の父母の心構えを第一とすること。 2.学問・武術を怠らないこと。 3.質素・倹約を忘れぬこと。 4.賞罰は正しく行うこと。  それにしても隣の会津若松と言い、この米沢藩と言い、質実剛健、幕府に対する毅然とした態度、藩主を支える人々の心意気、山間に囲まれた厳しい環境のなせる業かもしれない。山形空港は「おいしい山形空港」と呼ばれる程、果物をはじめ、米、肉、なんでも美味しいと副知事や市長の言葉、そのおいしさの代表として、初めに「出羽桜」酒造の仲野益美社長の記念講演があった。 その中で心に残った一つが、山形の作り酒造は10社あって、皆、仲が良い事、「他の酒の犠牲の上に立った酒でないこと」すなわち自分だけ、自分の会社だけ良いというのではない。    またチャレンジ精神をうたい、「チャレンジすれば苦労を伴うが、未来が開拓できる」と説く。又輸出にも力を入れ、5年度は475億円であった。次に文科省の幼児教育課長の藤岡謙一さんが幼児教育の現状と将来について講演した。 教育は幼児教育から小、中、高校教育までの積み重ねであり、基礎、スタートが大事である。幼児教育では総合的に育む次の3つの資質能力をバランスよく習得する必要がある。 すなわち、知識・技能の基礎、思考力、判断力、表現力などの基礎、学びに向かう力、人間性などであり、幼稚園などでの普段の活動、遊びなどが小学校での本質的理解、正確な知識、技能の習得、思考力・判断力・表現力の育成に繋がっていく。    幼児教育の良し悪しの状況によっては今後の人生を左右するものであり、幼児教育にお金を使うことは将来への大きな投資である。日本でもその子どもたちはどのように成長し、どのような人となっていったのか、大規模な追跡調査を始めるそうだ。 この講演の中で私の興味を引いたのは幼稚園・保育所を選ぶ場合、保護者は何を基準としているかであった。…

01 10月 2023

10月、神無月、神の月
ー10月のことばー

  八百万(やおよろず)の神々が何を相談するのか、この月に出雲大社に集まり、他の国にいないことなのか、はたまた神の月の意味なのか。兎に角10月、今年度も半分が過ぎ去りました。この月の始まりは法の日、「人の支配から法の支配へ」と言われるが、独裁制や君主制の場合は優れた名君や政治家が出現すれば、国は長足の進歩を遂げる。個人的には戦後大きな成長発達を遂げたシンガポールがその例だと思う。 反対に暴君や冷血な独裁者が現れると、市民は大きな苦しみを背負わされる。法の支配は大きな飛躍がない代わりに、急激な社会の変動による不安がない。そのうえ、「法による支配」は法律を制定した支配者自身もその法律によって束縛されてしまう。 その意味、時には忸怩たる思いに駆られることもあるが、ある意味市民にとって安全である。法は社会秩序のための規範であり、一般的に国家権力による強制を伴うものであるが、それを忌み嫌う若者たちによる反乱も数多くみられることも又事実であり、そのことが法律の改正につながることもあった。しかし私たちは法治国家の一員としてそれを自覚し、法律の許される範囲で大きな活動をすべきだと思う。 四季がある豊かで美しい自然、昔からの言語、礼儀正しさと聡明で清らかな美しい心、それを支える恥の文化と武士道精神や思いやり、他人に対する尊敬、信頼、慈しみ、次の世代にもぜひ受け継いで残していきたい。 人が見ていないところでも天に恥じないように素直に正直に生きていく。 「四時の序、功を成す者は去る」すなわち春は春の役割を精一杯果たし、夏にその立場を譲っていく。夏は夏の立場を精一杯果たして秋に譲っていく。秋は秋の、冬は冬の役割を精一杯果たして次の季節に譲っていく。四季が巡るように、人もまたそれぞれの役割を果たして次の人にその立場を引き継いでいかねばならない。 今の日本は国民の自助努力の精神が求められているが、世の中の風潮は政府や自治体に依存するばかりで、自分でやればできる事すら積極的にやろうとしない。 税金を払っているのだからそうするのが当たり前、権利を主張しているだけだという。そうであれば本当に義務をはたしているのだろうか。国や自治体の費用がかさむばかりで、いずれ国家が倒れてしまうかもしれない。国家、自治体も無尽蔵にお金を持っているわけでない。自分の財布と考えたらそう安易に支出するだろうか。 文科省役人による幼児教育の現状についての研修があった。家庭の就労状況の変化(女性や共働き家庭の増加)によって少子化のスピードが加速化し、それにつれて待機児童が急激に減少し、幼稚園・保育所の大幅な定員割れがみられるようになった。逆に考えれば経営を続けていくうえで大きな困難が予想されるようになった。そんな中で、より一層質の高い幼児教育が求められるようになった。 1.教育の連続性・一貫性の確保 5歳児から小学校1年生の2年間を「架け橋期」として、この間の教育の充実を図り、生涯にわたる学びや生活の基盤を作る。 2.質の高い人材の確保・定着・資質能力の向上を図っていく。 その為に職員の処遇改善や専門リーダーや若手リーダーの研修を充実させる。 3.安定的な経営の支援を行っていく。その為に一般補助や特別支援教育への支援を行う。 4.幼児教育の重要性の理解・促進を図っていく。幼児教育において、子どもの将来への影響に関する大規模で長期的な調査を実施する。 5.地域における「面」での幼児教育の質的向上を図っていく。幼児教育体制を活用した地域の幼児教育の質向上の強化、 域内全体への波及を図っていく。 「子育て支援は幼稚園にとっても重要な役割」であることを鑑みて、幼稚園の運営に当たっては子育て支援のために保護者や地域の人々に機能や施設を開放して、地域における幼児教育センターとしての役割を果たすように努める。 今年度も半分が過ぎ10月からは後半、前期は慣らし期間、そして後期は発展・向上・充実の大事な期間、運動会、発表会など等の様々な行事を通じて子供たちを肉体的・精神的に大きな成長軌道に引き上げ、幼稚園教育の真骨頂を発揮していきます。小学校の先取り教育は本意ではありませんが、他の子どもたちと同等かそれ以上の能力を発揮できる下地を作ってまいります。…

01 9月 2023

西室院から園児募集まで
ー9月のことばー

  8月26日、高野山西室院、うす暗い本堂、静かな張り詰めた空気の中で、ご住職の凛とした読経の声が静寂の中で響き渡っている。今日は美木多幼稚園初代園長が鬼籍に入った日、そして25年が過ぎ去った。久しぶりの高野山、何年かぶりの西室院、来てよかった。率直な感想。 母親が園長であった時、美木多幼稚園はマンモス幼稚園と言われていた。今は中堅規模以下になったが、関係する皆さんが力を合わせ、努力して幼児教育に必死に取り組んでいることを報告し、全てのことは「園児の幸せのために」の理念を受け継いでいることを伝えた。西室院は奥の院の少し手前にある高野山別格本山であり、この日は京都洛南高校の生徒たちが夏季の林間学習をこの寺で行っていた。 なぜかこの日(土)は交通量が少なく、参拝客も思ったほど多くなかった。1000m級の山々に囲まれたこの盆地は大阪と比較すると気温が明らかに低く過ごしやすさを感じた。冬と夏とではどちらがいい?何回ともなく問いかけ、問いかけられた陳腐な質問。今年であれば躊躇なく冬と答えるであろう。 それほど今年の夏は異常に暑い。明らかに昔と異なっている。私は今も同じ場所に住んでいる。少年時代は団扇で涼をとり、流れゆく風を感じればそれで充分涼しかった。藁ぶきの家であったがそのままうたた寝してしまうと寝冷えをする位にまで気温が下がった。 夜も扉を閉ざすことはなかった。人が人を信頼していた。ただ蚊や虫を避けるために蚊帳を吊った時は暑くて寝苦しかった思い出がある。ある時ネズミが蚊帳の中に入ってきて、出口がなく、蚊帳の中を走り回っていたのが今ではおかしい思い出になっている。 そんな時に病気になれば、木製の冷蔵庫に氷があればそれで冷やすか、冷たい井戸水を絞って額にのせるだけだった。そんな時よりももっと前、精神的、肉体的に病んで、生きることに絶望し、死に場所を探しに旅に出た学生がいた。ある時遍路と薬売りと偶然同じ部屋宿に泊まった。何日か逗留している間に、病にかかり、薬売りに薬をいただくが遍路に薬代もないことを伝えた。 その時遍路が「おぬしは飲めばよい」「おぬし、金などどうでもなることじゃ。おぬしに金のないことぐらい、わしらにはようわかっておることじゃ。わしらの眼は節穴じゃないものな」「のうおぬし、いきることは辛いものじゃが、いきておる方がなんぼよいことか」とぽつんと言った。この言葉は遍路の人生哲学だったのでしょう。一方薬売りは別れ際に「学生さんよ、治ってよかったのう。生命は粗末にせられんぜよ」また続けて「薬の金がいるもんか、おぬしはそれを心配して薬をのもうとせなんだつうが、そんな気兼ねをするで死にとうならあね」この二人の言葉は人生のあらゆる辛酸をなめつくした壮絶な体験からうまれたのでしょう。 その場限りの都会の経営者の姿、上辺だけの乾いた人間関係と安宿で感じた素朴で温かい人間関係が見事に対象となっているのでしょう。一万人も志願者が押し寄せるという埼玉栄東高校の校長先生の話。 1. 守りに入ってしまえば前に進めないし、発展もない。たとえ間違っているとしても、とにかく前に進んでいく。 2.課題を解決するためには「何」が必要なのかをまず設定し、スピード感をもって解決へと突き進む。 3.さまざまな人たちと出逢い助けられてきた。また様々な環境に身を置くことで、自分自身の考え方や生き方が変化してきた。 4.自分なりの「居甲斐」を見つけ、多様な価値観を認め合える出逢いと学びの場をこれからも提供していく。 5.今は何が起こるかわからない不透明な時代、知識や学歴以上に、立ち上がって次に進める人間、学んだことを知恵に変え、自分の信じる道を極められる人間になる。 6.世の中には本当に無駄なことは一つもありません。一見無駄だと思われること、つまらない事にこそ可能性を感じ、目標に向かって日々倦むことなく愚直に努力と挑戦をかさねていくことから、生きる力、他人を思いやる心、ひいては総合的な人間力が養われていく。 少子化の影響ばかりではないですが、幼稚園を取り巻く環境は過去50年間のうちで危機的状態になってきました。中でも株式会社の経営する園では廃園、他企業・法人への譲渡が行われ、法人間の統合も出てきました。しかし私たちはどんなに苦しくても地域に子供たちがいる限り、生き残り、地域から必要とされる幼児教育センター、幼稚園を目指していきます。 9月1日から募集要項配布、10月1日から願書受付です。私たちは保護者の皆様に寄り添い、期待に応える幼稚園、子どもたちの認知能力でも非認知能力でも、その能力が大きく伸びる幼稚園を目指して教職員一同力を合わせて取り組んでまいります。誠に恐縮ですが、ご近所、お知り合いの方にもお勧めしていただきますようお願いいたします。 いよいよ二学期、楽しい行事が目白押しです。子供たちの頑張る姿、それを支える先生方の必死の姿、どうぞご期待ください。

01 8月 2023

暑さを超えて
ー8月のことばー

   猛暑、猛暑と言っても涼しくなるわけではない。それでも暑いと言いたくなる。 日本独特の蒸し暑さが続いています。  たとえ40度を超えたとしても、日陰に入ると涼しく感じる国々と違って、海に囲まれた湿度の多いせいだろうか。  しかし乾燥した国と湿気の多い国ではそれぞれのいい所とそうでないところ所もあるので、一概にどちらがいいとも言えないのが悩ましい。  毎日決まった時間に大雨が降るブラジルやいつも傘やパーカー用意しなければいけないイギリス、どの国にも天候にまつわる悩みや憂いがある。  梅雨のひと時、こんなことを考えていると「コロナ禍で5歳児に4か月の発達の遅れ、施設閉鎖やマスク着用が影響か」のニュースが飛び込んできた。  幼稚園ではなくて東京都の認可保育所の話。京大や筑波大の研究チームによると「三つ子の魂百まで」のこの社会性を身に着ける時期、保護者以外の大人や子供と交流する機会が減ったことが要因と考えられる一方、1から3歳児でコロナ禍を経験した3歳児にはそうした傾向はみられなかった。  運動や言語理解など9つの領域を130項目以上で評価し、その分析結果によると、5歳児ではコロナ禍経験群は未経験群と比較して、4.39か月の遅れがあった。  特に大人に対する社会性やしつけの分野で遅れが目立った。一方3歳児では発達の遅れは明確に見られず、逆にコロナ禍を経験した群のほうが大人に対する社会性や概念の理解について発達が進んでいる傾向があった。  これは一対一の交流が重要な1~3歳の時期にコロナ禍で保護者と過ごす時間が増えたことが発達によい影響を与えた可能性がある。  5歳児の発達の遅れについては今後の十分な支援で挽回は可能だとの見方を示す一方、影響が長期的に及ぶかどうかはさらに追跡調査をしていく必要があると報告した。  この傾向は特に5歳児に限ったことではなく、小学校教育に携わっている教員からも小学生の学力が着実に低下しているとの指摘があった。  このことがよく言われている学力などの認知能力だけでなく、意欲、協調、仲間意識、やり遂げようとする力などの非認知能力にも影響があるのかどうか、私たちも大きな関心をもって見ていきたい。  私たちは幼小の連携を視野に学力の向上を目指し、自信をもって子どもたちを小学校に送り届けたい。私たちが幼稚園で行ってきた保育・教育活動は決して保護者の皆様の期待を裏切らないものだったと思っています。  さて、この文章を書いているのは7月14日です。  この日は私たちが学校で学び、歴史の試験にも何回も出題された1789年のフランス、バスチーユ監獄襲撃の日、というかフランス革命勃発の日、現代でもラテン系のフランスの熱しやすい言動はしばしばニュースとなって新聞紙上の大きな見出しになっている。  フランスではこの日はお祭り騒ぎ、次の日から大方の人はバカンスに行ってしまう。パリに残る人はほとんど外国人だとか。幼稚園でも夏休みが目前です。今年はコロナの影響も少なくなり、ご家庭でもいろいろ計画されているかと思います。  小さい時の経験は具体的に子どもたちの発達・成長にどのような影響を及ぼすかは別として、子どもたちの頭の片隅に又心のどこかに忘れない思い出として残っていくことでしょう。 二学期が始まるときには元気いっぱい、日焼けした姿で戻ってきて欲しい。切なるお願いです。…

01 7月 2023

存在の規範
ー7月のことばー

     「光陰矢の如し」「歳月人を待たず」「月日は百代の過客にして、行きかふ年もまた旅人なり」「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず」「未来はためらいつつ近づき、現在は矢のように早く飛び去り、過去は永久に静かにたっている」「彼氏や彼女と別れを決めた瞬間、楽しかった思い出が走馬灯のように過ぎていく」「百代過客で時間は待ってくれない。やらないで後悔するより、失敗してでも後悔しない人生を選びたい」時は過ぎ去る。一瞬たりとも待ってくれない。今がハイスピードで過去になっていく。  幼年期、少年期、青年期、壮年期、老年期、時の移ろいの速さに対する感覚は異なっている。私たちに平等に与えられた命、いつかは必ず朽ちるという諸行無常、時の流れの速さに驚くばかり。最近45年近く前に高校3年生の担任をしたときの卒業生に出会った。彼女はすでに還暦を超えていた。  お子さんの一人の彼氏はイギリス人で、もう一人は結婚してお孫さんもいると話された。瞬間びっくりした。18歳の高校生がもう60歳を超えていたのかという驚きであった。なるほど計算上は確かにそうだが、あまりにも時の流れの速さに身震いを感じてしまった。  人は他人の成長の速さに驚くこともあるが、自分も同じように齢を重ねている事に気が付かない。あるいは意識的にそうあることに目をつぶっている。長野高校,和泉高校、鳳高校と続いた25年間の高校教員時代に、偶然教え子と教師という関係になったが、今や40代から60代、人生の壮年期、家庭的にも仕事上でもいろいろ解決すべき問題を抱え、ストレスのある人生を送っている。楽しいことも多いだろう。それに匹敵するくらい苦しくて、悲しいこともあるだろう。    限りある時間、どうぞ幸せで健康な毎日を過ごしてほしい。ある人たちが共通して思い、実施に励んでいる言葉。 1.笑顔で話す 2.顔を見て話す 3.第一印象を良くする 4.できると思えばできる 5.目的を忘れない 6.小さな改善努力が後の大きな成功進歩 7.思いは言葉にして初めて伝わる 8.その動作・考えに無駄はないか。  私たちは概して全てのことに自分なりの規範、枠を設定して行動している。それがある意味、秩序だった社会の規範であり、安心して生活していく守護神となっている。例えば、私たちは警察を怖い、先生は子供を守る、弁護士は人を助け、検事は人を訴追する、  自衛隊は国土を守り、医者は患者に安心感を与え、公務員は過去の先例にならって行政を進める。犬や猫は人に飼いならされ、ロボットは人に背くことはない。ゴキブリは夜に活動し、ムカデはひっそりと陰で機会をうかがっている。大概の外国人は自分の意見を持ち、強く主張する。    私たちは彼らがそのような行動をするものとして、自分たちの行動・規範を守っている。もし自衛隊が国を守らない、警察は秩序が乱れ、人を守ってくれない、犬・猫が人に向かってくるような想定外のことが起こると世の中は混とんの世界に陥ってしまう。私たちは小さな小さな歯車に過ぎない。しかし小さな歯車に何か齟齬があると大きな歯車も動くことができない。個人個人の社会での活躍によって、歯車がいい方向に向かい、大きな社会を動かす歯車につながっていく。…

01 6月 2023

山滴る季節
ー6月のことばー

     山が萌え、山が色づき、山が笑っている、そんな表情豊かな山の樹木の間を吹き抜け、味付けされた風は薫風となって、私たちに心地よい最上の自然の営みをもたらしてくれる。そんなそよ風、木漏れ日の5月が過ぎ、山滴る季節、早くも水無月(水の月)を迎えました。10代に長く感じた時の流れも、年齢を重ねるにつれ、その動きが加速度的になってきた。今となっては1年前の出来事がほんの昨日の出来事のように感じてしまう。もう何回6月を経験しただろうか?との感慨にふけ、又いやがうえにもそのスピード感に恐れおののいてしまう。    梅雨のない北海道は別として、日本全国6月は雨の多いレイニーシーズン(rainy season)、それを鬱陶しいと捉えるのか貴重な水の季節と考えるのか。淡水魚のアユが躍動するときであり、野山では普段草木に覆われて隠れていた清楚な山ユリが一斉にその姿を白日の下にさらけだしている時でもある。    上を見上げると時鳥(ホトトギス)が忙しそうに思い思いに鳴いている。田舎では夜になると、蛍が夏の風物詩となって私たちに幻想的な情景を醸し出し、サクランボや青梅が店頭に並び、7変化のアジサイが私たちに迫ってくる。水の大切さを園児にも話をしている。人の体の70%は水でできているとか、水がなければコメなどの食べ物もできない、水は本当に大切なものだよと。すぐに理解できなくとも、頭の片隅のどこかに、そんな知識が蓄えてあれば、素晴らしいことだと思う。     6月はゼウスの妻、ユノ(Juno)の月、ユノは結婚の守護神、6月の花嫁はまさに祝福されたJune bride。日本では水の月であっても例えばイギリスでは最も快適な月、賑わいを見せる月、私たちはそんなバラと夏至の月を心行くまで楽しみたい。そんなことを考えていると、私たちは本当に自然に生かされている、自然と共生し、自然のやさしさに、慈愛に満ちた心に包まれて感謝していかされている。    そんな大事な自然を支配下に置こうと考えると、大きな天罰の災害となって私たちに襲い掛かってくる。私たちは豊かな自然の恵みを享受し、生活の質を広げていきたい。こんなことを考えている一方、世界ではいまだ原始的な人が人を殺しあう戦争が繰り広げられている。大義名分はいろいろあるだろう。  しかしせっかく貰った命、生かされた命を齢20歳の若者が失っていいのだろうか。生気を失い、言葉を発しない、もはや一つの物体に変わり果てた君たち、何のために生まれてきたのか、何のために両親に慈しみ育てられてきたのか、人生の楽しみを享受したのか。国のため、祖国のため、愛する人のために死ぬこともあり得ると言う人もいるが、本当に死ぬことの大義名分があるのだろうか。    価値観の違いとはいえ、私にはそうは思えない。最も中世の騎士道精神を受け継ぐノブレス オブリージュ(貴族や上流階級の財産、権力、地位を持つものはそれ相応の社会的責任や義務を負うこと)を尊ぶ人にはそうでないかもしれないが。近頃かまびすしいCSR(corporate social responsibility 企業の社会的責任)にも通じることがあるのかも。それはさておき、欧州でもアフリカでもその他の地域でも、戦いを終えて平和な世の中が一刻も早く訪れてほしい。    人が武器の実験のターゲットであってほしくない。先日ある保育所を見学させていただき、いろいろ説明を受けた。その保育所は体育、運動遊びが有名で高い跳び箱を飛んだり、ブリッジして歩いたり、逆立ちも全員ができ、運動能力の向上に努めていた。又漢字や文字などの習得にも力を入れ、あり意味小学校の先取り教育的なことも行っていた。先生方もそれに対して非常に機敏で意欲的で、子どもたちの資質の向上に一生懸命務めていた。私たちにとっては大変勉強になり、教えられることも多かった。ただそこは建物だけの80人規模の保育所で、園庭がないことに大きな違和感があった。…

01 5月 2023

毛利元就の三矢の訓
ー5月のことばー

   春を彩る桜の花が終わり、それに代わるかのようにツツジは今を盛りと咲き乱れています。五月晴れの空には鯉のぼりが気持ちよく泳いでいます。みどりの風が心地よい5月、一年のうちで最も華やかな季節の到来です。爽やかなこの季節、心行くまで楽しみたいものです。いつか楽しもう、いつか行楽に行こうと思っているだけで、何となくためらっていると、いつしか季節が過ぎ、人生の春も過ぎ去ってしまう。人生は限りあるもの、あとになって悔いを残すことのないように、よく働き、よく遊ぶのも人生の一つの処世訓、さわやかに、精一杯楽しくこの5月の環境を享受しましょう。    4月の遠足のお子様の反応はどうでしたか。新しいクラスでの初めての経験、初めてのお友達、戸惑ったり、悲しくなったり、寂しくなったりした半面、仲間が見つかり、嬉しくなった、楽しくなったこともあるでしょう。    年長組は諏訪森、鳳、美木多も同じ日、同じ時間に天王寺動物園に行きました。あいにくの雨に少したたられましたが、その分、動物園は空いていて、十分に動物たちの動作、行動や表情、様子を見ることができ、又写真もかなりの枚数撮ることができました。それに何よりも子どもたちの満足そうな表情、喜びを感じることができました。    ひょっとしたらお家で動物園に行ったことがあると思いますが、仲間と行く動物園は子どもたちにとっては格別の喜びだと感じました。動物たちの何気ない動作、表情、身振りがさも園児のためにそうしていると感じてしまうのです。充実した春の遠足だったと思っています。    私たちは海遊館に行ったり、大泉緑地に行ったり又は3園のそれぞれの幼稚園に行って交流を深めてきました。美木多幼稚園は泉北ニュータウン光明池駅から歩いて10分、緑に囲まれた、今年46年目を迎える幼稚園です。鳳幼稚園は民営化になってから11年目、それまでの堺市立幼稚園時代を含めると、100年近い歴史があり、住宅街に囲まれた鳳駅より徒歩5分の幼稚園です。そして諏訪森幼稚園は90年以上の歴史があり、高齢者の皆さんに「私もここを卒園した」と時に言われることがあります。  古い高野街道の近くに位置し、南海諏訪森駅から歩いて5分、最近前面の道路が都市計画道路に正式に決定され、浜寺東小学校の前を通って国道26号線に接続される広い道路になります。南海電車の高架化と都計道路、少し園の環境が変わるかもわかりません。美木多幼稚園と鳳幼稚園は幼稚園のままですが、諏訪森幼稚園は認定こども園制度ができた10年前に堺市で最初に認定こども園の指定を受けました。  美木多幼稚園と鳳幼稚園は1号の園児だけで、募集は10月1日、幼稚園独自で行います。管轄は大阪府になっています。諏訪森幼稚園は1号、2号、3号(0,1,2才)を受け入れ、1号は10月1日に幼稚園で募集、両親が働いている場合などの2号は堺市に申し込み、幼稚園には堺市から園児の名前が知らされます。  認定こども園は堺市の管轄です。募集要領は変わりますが預かり保育などに関してはほとんど遜色ありません。毛利元就の「三矢の訓」ではありませんが、私たちは3園の協力体制、研修制度、カリキュラム、その他の内容に関しても密接な連携を保っています。新任研修、音楽研修、絵画研修、体育の指導、カウンセラー等の研修もしかりです。  幼稚園で使う絵本や教材なども共通のものを使い、その内容については、研鑽を重ねています。又毎月場所を変えて、3園の主任会を行い、活発に意見を交わして、保育の質の向上を目指しています。マンネリに陥ることなく、いいものは残し、新しいものも積極的に取り入れています。    又3園とも立地する環境が異なる為に、それぞれの園の独自性も勿論尊重しています。それぞれの幼稚園には管理栄養士がいますが、毎月集まって給食会議を開いて、メニューの工夫、チェック、栄養価、残食なども話し合っています。    稲森和夫さんの言葉を借りれば、「動機善なりや、私心なかりしか」をモットーに子供の成長発展のために何が必要で、何が必要でないか、自問自答しながら保護者の皆様から託された期待に応えてまいります。    今後ともご支援、お力添え、よろしくお願い申し上げます。…

01 4月 2023

養花一年、看花三日
ー4月のことばー

   日本の古い歴史の中で、一つのけじめをつけて、始まりとしたのはいつのころだったのでしょう。というか、けじめをつける、或いは始めと終わりを考えるのは何かと好都合に思ったのは随分昔のことだった?日本には他国よりも明確な四季が存在することで、それに拍車をかけたのかもしれない。  春の彼岸で天から神の降臨をお願いして、稲作の始まりを祈願し、秋の彼岸では収穫の喜びの感謝で又神を呼んでくる。    陰暦にまつわる様々な行事といわれと始まりと終わり、私たちはその始まりや終わりを大事にし、感謝の気持ちを持った人々の集団、私たちだけが選ばれし者との不遜な考えを持たずに、優しく誰とでも仲良くなれる人々の集団、そんな集団生活を送る私たちにとっての大きな始まりは1月と4月、特に後者は日本独自のユニークな始まり、多分すべての生き物が目覚め、花や動物が歓喜の「雄たけび」をあげるこの月を大事な出発点として選んだのでしょうか。    「養花一年、看花三年」という言葉通り、一年かけて育てた花もたった三日で散っていく。春風の無情な、そんなはかなく、もろく、無残に散っていくが故に、花は私たちの心をとらえる。ある意味、はかないことで私たちに瞬間のめでる気持ちを高揚させ、ほとぼしる愛情が生まれてくる。今年もそんな季節が到来しました。  2023年4月、お子様のご入園、ご進級、おめでとうございます。心よりお祝い申し上げます。今まで乳児保育を受けたお子さまもそうでないお子さまも、今日からみんな一緒、幼稚園の仲間、幼稚園っ子です。本当に不思議な縁を感じます。この年幼稚園で一緒に存在すること自体、考えれば考えるほど不思議で、本当に偶然な出来事です。人はその人と人生で少なくとも2回は会うと言われます。そうであればその縁を大事にして輝く未来を進んでいきましょう。  幼稚園では今まで経験や体験しなかった事がいっぱい出てくるでしょう。そんなときは臆せずに先生に問いかけてください。寂しくなった時も、悲しくなった時も又有頂天になってうれしくなった時もそっと先生に打ち明けてください。きっと先生は優しくその解を教えてくれることでしょう。寄り添ってくれることでしょう。    これから始まる三年間、四年間の就学前教育、きっと皆さんは大きな成長を遂げ、たくましく、立派に育っていくでしょう。いろいろ経験をしましょう。いろいろ体験しましょう。いろいろ知識を増やしましょう。先生はいつも皆さんの味方です。いつも皆さんのそばにいます。安心して幼稚園生活を楽しみましょう。そして進級する皆さん、皆さんは幼稚園ではお兄ちゃん、お姉ちゃんになりました。幼稚園のことは何でも知っています。新しい仲間に優しく、丁寧にいろいろ教えてあげましょう。皆さんが前にそうされたように。    お子様の入園された保護者の皆さまにとっては、初めてお子様を未知の世界に送り出す不安や心配がいっぱいおありだと思いますが、どうぞ安心して私たちにお任せいただきたいと思います。子供たちに寄り添い、様々な問題を解決して、子どもたちの信頼を得て、教育活動に取り組んでまいります。    又進級された園児の皆さんのこの一年間の様々な活動は本当に立派でした。この一年で大きく立派に成長を遂げられました。頼もしい限りです。私たちはこれからもこの大事な「三つ子の魂百まで」の幼児期、将来に禍根を残すことなく、全身全霊取り組んでまいります。    いよいよ新しい船出です。  この一年、お子さまにとって掛け替えのない年であります様に、そして又光り輝く希望と期待の一年でありますよう心より切望しています。春爛漫、いざ出航です。

01 3月 2023

巣立つ子らへ
ー3月のことばー

   少しずつ日差しに春を感じ、クロッカスにも小さい黄色の花が咲き始めました。梅の花も満開を迎え、固く閉ざした樹木の蕾もふっくらとなってきました。ボケやモクレンが今か今かとその出番を待っている。いよいよ春の到来です。自然の大地が春の来たことを感じ、草木が徐々に芽吹き、成長しつつあります。北国では山や野が雪化粧を落とし、トドやアザラシが流氷と共に訪れるころになりました。    この時期昔ほどでないにしても、霞がたなびく季節であり、なんとなく心もざわめき始める時です。何かしら期待と希望の幕開けです。それらすべては大気と土が潤い、日差しが強まった事の証でしょう。田んぼの畔や土手で顔をのぞかせるツクシやタンポポ、レンゲ、それらの花と匂いが重なり合って私たちに自然と共に生きることの素晴らしさ、魅力を教示している。  自然の躍動と私たちの鼓動が相まって、全てが大きく波打っている。生きとし生けるものすべてに万歳です。先日の発表会に際し、ご来園、ご声援ありがとうございました。本人の頑張りもありますが、この一年間の成長・発達は目を見張るものがありました。精一杯頑張った、持てる力を出し切ったとほめてあげたいと思います。  それと同時に先生方も子どもたちとかかわり、様々な行事を苦労し、努力して乗り越えたことによって、本当に大きな成長を遂げたと思います。この頃の幼児教育を卒業する短大生、大学生のほとんどが「楽だ」とか「ピアノがいらない」とか言って保育所志望する中にあって、幼稚園で一生懸命子どもたちと交わり、努力し、練習し、前向きに頑張っている先生は本当に立派だと思いました。人は生涯勉強し、努力しなければと言われます。    そして又努力は人を裏切ることはしないとも言われます。私の知り合いの中には官僚も大企業の社長さんもいませんがその人たちは時にはマスコミにたたかれ、一般の人からは怨嗟の気持ちで見られることもあります。  それは正当な評価でしょうか。日経新聞の私の履歴書を読み、様々な話を聞くと、何倍もの努力をし、勉学に努め、今の地位にたどり着いた人がほとんどです。中には青雲の志が実を結ばなかった人もいることでしょう。    しかしそんな人はほかのことで運をもらっているかもわかりませんし、人間として大きな成長を遂げていることもあります。アメリカ人と違って、日本人は人の成功を羨んだり、けなしたり、あるいは何かあるのではと勘繰ったり、はては失敗すればいいと思ったりする。アメリカでは、あの人が成功したのだから、私も頑張ろうと前向きに考えることが多い。    長年この日本に住んできて、よく考えるに、若い人は大事に大事に育てられてきたせいか、最後は誰かが助けてくれるだろうと甘い考えを持つ人が多い。それで働き口がいっぱいあるからと言って転職を繰り返す一因になるのかも。腕を磨きたい、技量を盗みたいと言って有名店で修業する若者が多かった。    理不尽のことや下働きに堪えて、自分を磨いていった。しかし今やそんな店に修業に行っても、すぐにブラック企業だとか、人使いが荒いとかクレームをつけ、自分のことを棚に上げて人を訴えることがある。必死になって努力しなければ、挫折感だけ味わい、二度とない人生を無為に終わらせることになる。巣立っていく年長の子どもたちには、「友達を作ろう」、「勉強しよう」、「努力しよう」、「時には我慢もしよう」、「そして健康や事故には十分気を付けよう」 とエールを送りたい。  そして年長以外の皆さんには「もう少し私たちと一緒に幼稚園で楽しく過ごしていこう」と伝えたい。3月は春の彼岸の月、此岸(現世)に対する別次元の世界であり、拘束のない自由な境遇、身の上を考えてみることもできるし、それは一種の理想郷であり、観念の世界になっている。    それ故、この時期に巣立つ子どもたちには、汚れと不自由に満ちた此岸に、理想と意欲に燃えた彼岸をもたらしたいと思う。世間の荒波に翻弄され、悲しくなったり、寂しくなった時には幼稚園のことを思い出してほしい。又幼稚園を見に来てほしい。私たちも精一杯頑張って、いつまでもこの地に幼稚園、皆さんの母園が存在し続けるように努力していきます。    Von…