戦中生まれの私が小、中、高と進んでいくにつれて新聞の論調が変化していった。それは取りも直さず日本経済の高度成長と重なっていたのだろう。「戦前のGNPに肩を並べた」「戦前のGNPを上回った」という見出しが何回ともなくトップ記事に踊った。しかしあたりを見渡すと、JR環状線はまだ環状でなく、いまの森ノ宮やその周辺は焼け野原でむき出しの鉄骨だけが無残な姿をさらけ出していた。白い服を着た傷痍軍人がいたるところで物乞いのような活動をしていた。実態はそれほど変わっていないのに、数字の世界では戦前を超えたと囃し立てていた。現在の今はどうだろうか。戦後長らく世界2位の経済規模を維持していた日本が「中国に抜かれて3位になった」「そしてその差が開いていく」と言われている。そんな現実を目の前にして、日本人の意識が変わったのだろうか。これも数字の世界だけで表向きは何の変化もない。逆に中国はそれに勢いづいて精神的に加速したのだろうか。中国に行ったこともない私が意見を言うのもおこがましいが、発展成長を遂げているのは大都市やその周辺だけで大多数の貧しい地域が残っていると報道されている。 丁度いくら経済規模で勝っているといっても日本がイギリスやフランスに勝てないように。数字はある意味事実で現実味を帯びることもあるが、時によっては数字ほど信頼できなく、人を裏切る指標はない。しかし一度ことが起こると表面的でなく実質的に数字以上の力を発揮し、敵愾心を燃やし、団結力を誇示する民族は私たち以外にないかもしれない。昨日まで目もくれなかった人は今日は仲間として肩を組んでいる。その源泉はどこにあるのだろうか。その仲間意識はどこから芽生えたのだろうか。「一人では小さな力でも、団結すれば大きな力を発揮する」いい意味では大きな力の源泉だが逆に考えれば無節操な利権団体になり、圧力団体にもなる。元来日本人は一人では大人しく何もできない。外国でも日本人の一人での行動はあまり見られない。グループでの活動や行動であればそれこそ勇気凛凛である。同窓というのも大きな要因だろう。小学校、中学校、高校、大学、専門学校、もっと言えば学年や学級の同窓会、毎日どこかでこんな会合が開かれ、昔を懐かしみ、政治や友の話をし、絆を深めている。これは何も学校に限ったことではない。同じ職業もそうだ。会社全体、各部、各課単位、あるいは同期入社、(私たちはよく花の28組のことを聞いた。昭和28年入社組は優秀で出世をした。昭和の時代は年代の後半は不景気で、前半は好景気であり、不景気の時に入社した人は会社でよく出世した)ドクターの世界でも診療科、出身大学、大学の部活、なんでも会合のネタにしてしまう。生誕地も強い絆だし、同じことが海外でも盛んである。これがある意味昨日までの他人が今日の親友になり、団結力につながる大きな要因かもしれない。社会的立場の高い低いがあっても仲間になればみんな同じ日本人、もっと広く言えば地球人。美木多幼稚園卒園児も7000名弱、ひょっとしたら私たちの知らないところで美木多幼稚園同窓会が開かれ、緑に囲まれた幼稚園や懐かしい先生の話題に花を咲かせているかもしれない。 今月7日は美木多幼稚園第35回運動会、精いっぱい頑張ります。どうぞ奮ってのご参加そして温かい拍手喝采よろしくお願いいたします。