2月 2014

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01 2月 2014

隠岐の島と激動の幼稚園
ー2月のことばー

   厳しい寒さの中にも、なんとなく春の気配が感じられる頃になりました。この間朝礼で今は何もない木だけれども、2月から3月にかけて咲く花は何?と聞くと「桜」と言う声があちこちから聞こえてきました。桜のイメージが強いのでしょう。桜に似ているけれどもそれは梅の花だよと答え、幼稚園の周りにある白や赤の枝垂れ梅の蕾も少し膨らんできたよと話すと朝礼後早速担任と一緒に走ってそれを見つけに行ったクラスもあった。子どもたちは何事にも興味津々です。好奇心が強く、どうにかしてそれを良い方向に伸ばしてあげたいと先生も一生懸命です。そんな朝礼を終えると、私たちの仲間のお母さんが104歳で亡くなったとの知らせ、私にできることと言えばお葬式に参列する事位、葬儀は島根県隠岐の島、行く方法は午後出発の飛行機かフェリー、後者を選択、パソコン等で道路状況を調べ、午前3時30分、一人で泉北の自宅を出て、阪和、近畿、中国、の各自動車道を経由して、車の温度計が途中の蒜山高原や大山の麓で-2度を表示するも普通タイヤでOKとの道路情報を信じて、雪の米子道を終点を目指してまっしぐら、終点から国道を通って島根県松江市七類フェリー乗場に7時30頃に到着、9時発のフェリー、地元の人もびっくりのべたなぎ、3,000トンのフェリーは港内こそ穏やかだったが、外海に出ると大海の中のちっぽけな存在、波にもまれての揺れの激しさ、大げさな表現を借りれば、自然の大きさ、力強さにびっくりした2時間30分の船旅であった。初めての隠岐の島、後で知った事だが、島は島前(douzen)、島後(dougo)の2つに分かれ、前者はまた3つの島から成り立っていて、よく観光ポスターに使われるのが島前、詳しくは西ノ島だそうだ。私は島後の西郷港で下船した。レンタカーを借りて島を半周したが道路はよく整備され、辺境の地に来たという違和感もなく、どこにでもある日本の原風景であった。無事ご遺族にお悔やみの言葉を述べ、3時40分発のフェリーに乗船、七類港に6時過ぎに着き、途中米子市内で食事をとった後、同じ米子道を通って堺市の自宅に11時ころに到着した。19時間余りの急ぎの旅であったが、隠岐の島を身近に感じた旅でもあった。どの地域でも人々が素晴らしい営みを送っていることを再認識した時間でもあった。 1月28日、幼稚園研修会は今までにないくらいほとんどすべての設置者か園長400名余りが出席した。平成27年度に迫った新しい幼稚園の制度はこれからの各幼稚園の未来を決める非常に重要な決断になるからです。それは今までの幼稚園として残るか、認定こども園あるいは施設型給付を受ける幼稚園として残るかという選択です。今までの大阪府の関与から市町村などの基礎自治体の関与が大幅に強まるからです。認定こども園にしても幼保連携型と幼稚園型があり、その組織、給付体制が異なる。前者は別法律によって運営され、幼稚園の名前が消えることありえる、後者は従前どおり幼稚園の名前が残る施設になる。0~2歳の保育所機能を付けることも可能である。今まで通りの幼稚園として残ることももちろん可能だが、保護者や施設への補助金の減少が見込まれるかもしれない。又保護者は1号認定(教育のみ)、2号認定(3~5才の保育の必要性あり)、3号認定(0~2才の保育の必要性あり)の区分があり、1号認定者は従前どおりですが、2号、3号認定者は市町村で認定を受ける必要があり、保育料も同一でなくなる可能性もある。市町村の影響が強くなることは必定である。まだ基本となる公定価格や消費税10%が決まっていない等で流動的な要素がたくさんあります。保護者の経済的な負担を軽減しようとするこの新制度はまだまだ未知数の所が多いかもしれない。 今月は音楽・生活発表会の月、今練習、練習です。当日子どもたちは待っています、大好きなお父さん、お母さんから褒められることを。