厳しい寒さの中にも、なんとなく春の気配が感じられる頃になりました。この間朝礼で今は何もない木だけれども、2月から3月にかけて咲く花は何?と聞くと「桜」と言う声があちこちから聞こえてきました。桜のイメージが強いのでしょう。桜に似ているけれどもそれは梅の花だよと答え、幼稚園の周りにある白や赤の枝垂れ梅の蕾も少し膨らんできたよと話すと朝礼後早速担任と一緒に走ってそれを見つけに行ったクラスもあった。子どもたちは何事にも興味津々です。好奇心が強く、どうにかしてそれを良い方向に伸ばしてあげたいと先生も一生懸命です。そんな朝礼を終えると、私たちの仲間のお母さんが104歳で亡くなったとの知らせ、私にできることと言えばお葬式に参列する事位、葬儀は島根県隠岐の島、行く方法は午後出発の飛行機かフェリー、後者を選択、パソコン等で道路状況を調べ、午前3時30分、一人で泉北の自宅を出て、阪和、近畿、中国、の各自動車道を経由して、車の温度計が途中の蒜山高原や大山の麓で-2度を表示するも普通タイヤでOKとの道路情報を信じて、雪の米子道を終点を目指してまっしぐら、終点から国道を通って島根県松江市七類フェリー乗場に7時30頃に到着、9時発のフェリー、地元の人もびっくりのべたなぎ、3,000トンのフェリーは港内こそ穏やかだったが、外海に出ると大海の中のちっぽけな存在、波にもまれての揺れの激しさ、大げさな表現を借りれば、自然の大きさ、力強さにびっくりした2時間30分の船旅であった。初めての隠岐の島、後で知った事だが、島は島前(douzen)、島後(dougo)の2つに分かれ、前者はまた3つの島から成り立っていて、よく観光ポスターに使われるのが島前、詳しくは西ノ島だそうだ。私は島後の西郷港で下船した。レンタカーを借りて島を半周したが道路はよく整備され、辺境の地に来たという違和感もなく、どこにでもある日本の原風景であった。無事ご遺族にお悔やみの言葉を述べ、3時40分発のフェリーに乗船、七類港に6時過ぎに着き、途中米子市内で食事をとった後、同じ米子道を通って堺市の自宅に11時ころに到着した。19時間余りの急ぎの旅であったが、隠岐の島を身近に感じた旅でもあった。どの地域でも人々が素晴らしい営みを送っていることを再認識した時間でもあった。 |