前を向いて今年も進もうー2025年1月のことばー
01 1月 2025

前を向いて今年も進もうー2025年1月のことばー

2025年1月1日、新しい年、新しい月日が始まりました。 あけましておめでとうございます。 年の瀬の喧騒がどこへ行ったのかのように静まり返り、家の内外に何かしら厳粛な空気がみなぎっています。家の前を通る神社の参拝客にも、気のせいか昨日までの佇まいとは異なって感じてしまう。無事に新年を迎えることができたことを神様はじめ、様々な人に感謝の気持ちを伝えねばなりません。人はどんな逆境や窮地にあっても、最後の一瞬まで希望を忘れてはならない、これはよく言われる言葉です。前を向き、活力にあふれて生きようとする人はこの信念を無条件に祝い、大きな夢を託すものです。私たちの中には新年と言ってもそれは読みが変わるだけで、何も変化がない、平凡な日々の連続の一日に過ぎないと言う人もいます。 私たちが学校で習った鴨長明の方丈記冒頭文には「ゆく川の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず、よどみに浮かぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖又かくのごとし」(流れゆく川の水は絶えることがありません。しかもよく見ると、新しい水を常に入れ替えています。変化しています。流れが止まっている水面には、ブクブクと泡が浮かんできます。しかも大きな泡も生まれたかと思うとすぐに消えていきます。いつまでもふくらんでいる泡等見たことがありません。まさに人の一生も同じではないでしょうか。川の流れのように、幸せも悲しみも時と共に過ぎていきます。大切な家も財産もはかなく消えていきます)家も財産も一瞬のうちになくなる大変な時代に生きた鴨長明は無常感あふれる文章を書いていますが、正月は暦の連続性ではなく、新しい動きのあらわれとして、この方丈記を勝手に解釈してしまいます。昨年2024年はどのような年だったのでしょうか。大谷選手、パリ五輪、能登半島地震、裏金問題、トランプ氏圧勝、ウクライナと中東情勢、自民党過半数割れなど等の嬉しいニュースと悲しいニュース、見たり聞いたりしたくないニュースがありました。宗教、民族が異なると言うだけで、人を殺害することを平気でできるのでしょうか。日本にも最近外国人とのいざこざが頻発していることの懸念もあります。矛盾に満ちた世界、ダブルスタンダードの基準、独りよがりの政策、世界がもっと楽しく、有意義に生きることを学ばねばなりません。せっかく日本の被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞をもらったのだから。2年前の文章では日本の出生数が80万人を切る事の不安を書きました。そして今、70万人を切ることがささやかれています。ある幼稚園の経営者は幼稚園の未来は明るくないと言って、子どもを幼稚園以外に就職させました。しかし子どもたちがいる限り、幼稚園の存続、存在意義はあり得ることだと私は思っています。その対策の先頭に立っているのが、三原じゅん子大臣、子ども政策、少子化対策、若者活躍、女性活躍担当です。若い時の活動からすれば、今の職責は隔世の感があり、任命権者の決断はある意味英断であると思います。丁度堺市の民間人校長にアメリカ人が抜擢されたように、教育委員会の素晴らしい決断だったのでしょう。過去や国籍や民族での判断基準の変更は必然的なものになってきました。私たちの社会に大きなプラスになるのか、はたまた社会に大きな亀裂を生み出すことになるのか、避けて通れない大きな問題かもしれない。今学期は音楽生活発表会の大きな行事があります。今それに向けて先生と子どもたちは必死です。又3月には卒園式で、年長さんは巣立っていきます。それぞれの学年の子どもたちも進級を迎えます。子どもたちは一歩一歩大きな成長過程のレールに乗っています。いつの間にかこんなこともできるようになったことも目立ってきました。幼児期は人生で一番大切な成長、発達の基礎作りの時期、これまで同様、積極的に取り組んでまいります。子どもたちの未来は前途洋々です。私たち大人はそれが実現できる環境作りを頑張っていきましょう。保護者の皆様には今まで同様のお力添え、ご支援、よろしくお願い申し上げます。輝かしい初日の出に向けていざ出帆です。Bon voyage.    

27 12月 2024
14 12月 2024
30 11月 2024
27 11月 2024
「来年こそは」と師走に想うー12月のことばー
26 11月 2024

「来年こそは」と師走に想うー12月のことばー

2024年もいよいよ最終章を迎えました。今年こそはと期待と希望をもって臨んだ年、皆様方にとって、満足のいくものでしたか。それとも来年こそはと新しい年に望みをつなげているのでしょうか。どちらにしても2024年は私たちの人生において、それが重要であるかは別として、後になって考えてみれば、大きなターニングポイントになったと思われるかもしれません。その大事な見過ごすことのできない2024年もあと一か月、今年充実したと思っている人もそうでないと勘違いをしている人も、残された31日間を絶対後悔しない日々にしましょう。時間は誰にも平等であると同時に誰をも待ってくれません。この瞬間も今は過去になり、未来は現在になっている。過去が咲いている今、未来の蕾でいっぱいな今なのです。「好奇心こそ進歩の糧」とか「前例踏襲は最後の手段」等とよく言われますが、まわりまわってその言葉を生かしきれない自分がいる。この11か月間、どのように日々過ごされたのでしょうか。大きな喜びはなくとも、たとえそれが他人から見れば本当に小さなものであっても、それは人生における至福の時であり、喜びの瞬間だと思う。不幸しかやってこないと言う人も実は周辺に沢山の幸せがころがっているかもしれません。ただそれをつかみ取る努力や意志や意欲がないだけかもしれない。自分を正当化する弁解は何の役にも立たないし、その人を守ってくれることもない。四月に進級、入園して八か月、子どもたちは様々な試練を乗り越え、経験や体験を積み、努力を重ねてきました。友達との交わり、交流する経験や喜び、新しいまだ知らない物への旺盛な好奇心を持ち、又肉体を鍛え、頭脳を磨き上げ、手先の器用さも会得しました。様々な行事を積み重ねて、今やだれにも負けない子どもの輝きを身につけました。もうどの舞台に立っても正々堂々とその年齢以上の活躍ができ、其の上、十分な知識も身につけています。今月のクリスマス会やお餅つきで、西洋や東洋の風俗習慣を体得し、未来への大きな一歩を踏み出します。政府も大人への投資よりも格段の効率の良い子どもたちへの大きな投資を決めています。就学前の子供たちの活躍は何かと暗い世の中にあって、光り輝く未来への大きな期待がいっぱいです。 ところでトランプ氏が大統領になってからフェイクニュースという言葉をよく聞くようになりました。フェイクと言えば、偽の毛皮とか一般に偽物等によく使われていましたが、ニュースがフェイクとは最近の傾向なのでしょう。それ以前に、何がフェイクで何が真実なのでしょう。為政者に都合の良いニュースが真実で、都合の悪いものはフェイクなのか。アメリカの次期保健省長官に選ばれたケネディ氏はワクチン等もフェイクであると言い又トランプ氏の言う事にはフェイクが多いと主張する人もいる。国内に目を転じても、あの人は民に選ばれるほど高潔でないとか、実はあの人は裏と表を器用に使い分けていると言う。自分の意見や思想に合致していれば、一般の真実と少し異なっていても、それがその人たちの中で真実として受け入れられていくきらいがあると考えれば、客観的な真実がない場合は、自分の規範に照らして、それが合致していればフェイクでないと考え、又多数の人が信じているのだから、それは真実に違いないと思ってしまう。関東大震災時の震撼させるような人種偏見に基づくニュース、太平洋戦争に至る真実、政府が、学者が、上司や先輩が言っている、信じているから、それは本当の真実であるという理屈は今の世界には当てはまらないことが多い。何が本当で、何が嘘なのか、年末の今、純粋な気持ちになってよく考えることも必要なことだ。疑わしきは罰せず、とは裁判でよく使われる常套句であるが、私たちは何が真実で、何が嘘か、そしてその中間がないのか、生きていく上で、難しい判断を迫られる私たちは、様々な誘惑を排除して決めるのが難しい社会に住んでいる。しかし未来の子どもたちのためにも、清濁併せ持つ社会でなく、もっとクリアに人が人を疑うことのない社会を作り上げたい。師走、12月、この一年間、保護者の皆様には大変お世話になりました。ありがとうございました。 どうぞよいお年をお迎えください。ご健勝、ご多幸をお祈り申し上げます。

25 11月 2024
16 11月 2024
Arrogance  kills-11月のことば-
31 10月 2024

Arrogance kills-11月のことば-

9月になったとはいえ、まだまだ30度を超えるような気温が続いた日本の秋、そんな中、時間を限定し、水分補給をこまめに行い、担任や体育指導の先生方が考え、構成した運動会の演目を汗を流しながらの必死の練習です。先生も負けじと一緒になって取り組みました。本番さながらの予行演習も行いました。懸命な努力、必死な姿の先生と子どもたち、努力は裏切ることはなかった。 運動会本番での子どもたちのやり切った顔、満足そうな姿、ひたむきに演じる子どもたち、私たち大人は何物にも代えがたい大きな喜びを感じ、成長した子どもたちの姿を再認識したのではないでしょうか。やらされたり、強制されたものでない、内からほとばしるような、満足そうな顔の表情や笑顔、誰もその感動を否定できません。作り物でない、内から出た演技、競技は本当の本物です。 保護者の皆さんの大きな声援に励まされて、子どもたちも大きな達成感を得たものと信じています。一つ一つの大きな山を乗り越えて、確実に大きく成長する軌道を進んでいます。成績だけの認知能力だけでなく、誠実に立派に楽しく人生の道を歩む一つの指標の非認知能力も確実に身につけてきました。幼稚園生活を立派に送ることはすなわち良い人生を得ることができる事にもつながっています。 これからが楽しみな子どもたち、同時に今後の日本を支える重要な構成員でもあります。 青春とは心の若さである。信念と希望にあふれ、勇気に満ちて、日々新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものだ。又ある人は70歳であろうと16歳であろうと、驚異に惹かれる心、幼子のような未知への探求心や人生への興味の歓喜がある限りその人は青春だ。 We are only young once. 若い時は一度しかない。というようにyoung は一般的に若い人を指すことが多いのだが、先日89歳、85歳、84歳の人と一緒になった時、言語的にはold であり、elder であるのだが、私は youngest だと言われた。そんな使い方もあるのかと感心したのだが、人が集まると、昔は一番若かったのだが、だんだん真ん中になり、今ではほとんどの場合年長になっている。 高校の担任をしている時に、最初はほとんどの保護者が年配であったが、いつのまにか保護者と同じ年齢になり、そして保護者が後輩になっていった。その時はyoungestと言われたが、誰も年齢を感じさせない溌溂さにも驚かされた。人が意欲を持っている限り、希望を持っている限り、その人は青春だと思う。さて、私はめったに電車に乗らないし、道路を長く歩くことはない。しかしこの間やむなく歩道のない狭い市道を歩くことを余儀なくされた。いつもは何とも思わない道が歩行者の立場になると、歩くのが怖いくらい恐怖に感じた。車が凶器に思えた。歩くスピードと横を走る車の速さの違い、一瞬のハンドルさばきのミスが歩行者に打撃を与えてしまう。歩道のないことは勿論問題だが、時には逆の立場になってみるのも必要だと強く思った。丁度ハンディキャップを背負った人の苦しみを理解するために、装具を付けて行動するように。普段何気なく見ていることが、それが普通でなく、危険な状態であることを改めて思い知らされた。 さて、人には様々な人生訓があり、それは国や町やビジネス界の規範になっている。この間、日経新聞の「私の履歴書」で見かけた記事が気になった。それは洋の東西を問わず、成功する、あるいは成功した人の不可欠な処世訓だろう。アメリカの投資ファンドKKRの会長の座右の銘は「arrogance kills」であった。これは日本にある諺「実るほど頭が下がる稲穂かな」と全く同じ意味、すなわち傲慢になる事を戒めたものだった。ある人は幸せな人生を送るためにはどうすべきかと問われ、「正直に生きるという一点に尽きます。人をだましたり、うそをついたり、人生において、自分の利益しか考えられないような人は表情を見ればわかる。その人が歩いた生き方は顔に出るんです」と答えた。正直に生きる、それがお天道様に恥じない生き方なのです。そしていただいたご縁を大切に、誠心誠意尽くしていけば、信頼の輪は着実に広がっていく。又人の死はいつ訪れるかわからないので、だから今日一日でやり残したことがないよう日々悔いなく生きることの大切さを述べている。「実るほど頭が下がる稲穂かな」は学問でも、技能、財産、地位でも、持てば持つほど謙虚になる事だが、言うのはたやすいが、ある程度物を持ち、教育を受けた人が実行するのは少し厳しいかもしれない。しかしそれに向けて、一層謙虚に素直になり、感謝の気持ちを持つことが必要なのです。とその人は述べている。 出雲から神々が各地に帰ってきました。11月、霜月、文化かおる月、そして又働く人への感謝の月、今月も皆様方にとっては素晴らしい月になります様にご健康、ご多幸を祈念しています。秋の夜長のつれづれに少し長々と書いてしまいました。

22 10月 2024
激動の20代―10月のことばー
24 9月 2024

激動の20代―10月のことばー

もう戦前を超えたとか凌駕したという言葉を何回聞いただろうか。朝鮮戦争の特需でそれまで打ちひしがれていた日本の経済は飛躍的に発展への道を歩み始めた。 池田首相の「貧乏人は麦を食え」は当時としては当たり前のことを言っただけだが、白米にあこがれる消費者に忖度するマスコミが貧しい人々を侮蔑する言葉として取り上げた。実際、戦前まで、例えコメ作りの農家であっても、かなりの農家が米を食べていなかった。供出米として政府に差し出し、年貢米として地主に米を引き渡すことで、手元に残るコメは少なかった。 年に数回のお祭りや祝い事の時に白米を食べただけであった。麦ごはんが主流を占めた。私自身も農家の出であるが、祖父が麦を作り、それを米に入れて食べることがあった。池田首相は所得の高い人は米を、低い人は麦を食べると言う当たり前のことを言っただけであった。池田首相の所得倍増計画や日本人の勤勉さと相まって、国力が大幅に伸びた。輸出にもドライブがかかり、商社マンや会社員が世界狭しと日本製品を売りまわった。又戦前の「安かろう、悪かろう」の欧米人の日本商品に対するイメージを払拭するために、デミング賞等を筆頭に品質管理にも力を入れ、大きな成功をおさめ、世界中から求められるようになった。 それと軌を一にして、驕れる日本人が話題になったのもこの頃である。今はコンピューターからAIへの大きな科学の進歩が言われているが、私の20代も留まることのない大きな変化の波に翻弄された。1963年(19才)、初めての衛星放送がアメリカから中継された。 しかしそれがあまりにも悲劇的なケネディ大統領の暗殺のニュースであった。日本国民誰もが暗澹たる気持ちになった。同じ年、名神高速道路が尼崎―栗東間で一部開通した。ドライブした友人が「やはり外車が違うわ」と言った言葉が印象的であった。その時日本人で車を持つ人は本当に少なかった。豊中で乗って栗東で降り、琵琶湖大橋を渡って帰ってくるのがお決まりのデートコースになった。次の年になると、新幹線が開通した。 それまで東京までは8時間、それが3時間30分になった。誰も用事もないのに新幹線に乗りたがった。京都や名古屋までが定番になった。そしてこの年東京オリンピックが開催され、私と同じ年齢の広島の被ばく青年が最終ランナーとなって、長い階段を駆け上って聖火台に火をつけた。同じ頃、紆余曲折があった名阪国道も無料の一般国道25号として、時の河野一郎運輸大臣のもと、1000日道路として開通した。今や名古屋と大阪を結ぶ重要なインフラとしてその役割を果たしている。そして1969(25才)年アメリカNASAのアポロ11号で人類が初めて月に降り立った。これは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては偉大な跳躍だ。That’s one small step for a man, one giant leap for mankind. 3人の宇宙飛行士が持ち帰った月の石は大阪万博に展示された。 この時私は日本にいなかった。日本から遠く離れた南米アルゼンチンのブエノスアイレスでスペイン語で書かれたこの言葉を新聞で読んでいた。同じ頃、空前のブームになったライアン・オニールとアン・マックグロー主演の映画「Love Story, ある愛の詩」とその主題歌に大きな感動と感銘を受けていた。愛とは決して後悔しないこと。Love…