1月の初めに始まった桜の開花は4か月もかけて日本列島を縦断し、5月末に北海道最北端にたどり着いた。1日に何キロの速度だったのか。赤ちゃんのハイハイとほぼ同じ時速1kmで北上するという。桜に限らず、北上する植物が多い。4月から5月にかけて、頼りない新芽の木々は燃えるような薄緑色の新緑から今は濃い緑色に色を変え、それと同時に野山の風景が一変した。
山のどこにいるかを誇示していた花々も消え、今は全て同じ色に変わった。そんな成長した木々の隙間から漏れる木漏れ日の中,胸を張って散歩し、登山し、目には見えない自然の大気を胸いっぱい吸って、爽やかな気持ちになるのも、6月ならではの機会なのでしょう。家の庭先にはアジサイの花が「開花はもうすぐですよ」と言わんばかりに小さな花弁を揃えて出番を待っている。
アジサイと言えば、雨、6月、水無月(水の月)梅雨の季節、雨を好きな人はあまりいないが、雨がもたらす水は人が生きていく上で欠かせない。子どもたちにもよく、人の体の70%は水だよとか雨がなければみなさんがおいしく食べているお米もできないよと話をする。
水田の横を通った時に、稲の成長を子どもたちと一緒に見たり、観察したりするのも、いい経験になるでしょう。水田の水はどこからきているのだろうか。川からか溜め池からだろうか。水源がわかれば、どのように水田まで、水が流れてくるのだろうか。今は作っていないが若い時には父と一緒に米を作っていた。田植えの前に溝掃除を関係者全員で行った。
稲刈りが終わり、役目を果たした溝(水路)を再び生き返らせるために、雑草やごみを取り除き、水を田に導くための作業であった。田植えは勿論人の力、縦・横に印のついた麻縄を張り、その交点に植えていった。一家族ではできないので、隣組という組織を作り、共同で田植えや稲刈りを行った。
池の水をいつ抜くか、いつ止めるか、どの田から順番に水を入れるか、雨の日はどうするのか、一種の運命共同体であった。水はふんだんにあるときは何も問題はなかったが降雨の少ない時にはいろいろ問題が生じた。今は田植え機、耕運機やトラクター、コンバイン、機械化で合理的になり、省力が進んだ。ヒルを怖がりながら裸足で植えた田植えは小中学生頃の貴重な思い出になっている。今その田んぼは何も利用されずに草が生い茂っている。
もう少し若ければとの思いがいつも脳裏をよぎっている。そんな自然いっぱいの中で過ごした人々にとっては、この赤い実はなんだろうか、いつ食することができるのだろうか、自然と身についた知識であった。しかし園児は緑の葉っぱに赤い実がついていることに興味津々、その赤い実を競ってとってしまうことがある。それはサクランボに似た赤い小さな実のユスラウメ、勿論毒性はなく、食用になる実であった。
園庭にある比較的大きな木であった。子どもにとっては好奇心からでた行為であった。それを採ることは子供には何の罪もない。むしろ私たち教職員が前もって「もっと熟してから採ろうね」というべきであった。それはともかく子どもたち同士で協力し、話し合い、競い合って行動し、新しい発見を重ねていく。点数でははかることができない子どもたちの成長発達に欠かせない大事な非認知能力の習得です。それは他者と付き合う力(社会性、社交性)、感情を管理する能力(自制心)目標を達成する能力(実行力)等です。
早いもので、進級、入園してから二か月がたちました。ゴールデンウイークの長い休みも無事乗り切りました。子どもたちは園庭で、砂場で又保育室で、時には喧嘩もするけれど、すぐに仲直り、みんな元気に走り回っています。どうぞ安心して子どもたちを見守っていただきたいと思います。
5月は母の日がありました。6月には父の日があります。
子どもたちはお父さん、お母さんが大好きです。そんなお父さん、お母さんをもっと好きになればと思います。6月、水無月、June、ジュノの月、鬱陶しい梅雨空を吹き飛ばすような元気で7月につなげていきましょう。
今月もご支援、お力添えをよろしくお願い申し上げます。