2025年9月1日 美木多 幼稚園

誠に個人的な二つの出来事

ー9月のことばー

 

 夏休みが明け、子どもたちは少し日焼けした様子ながら、幼稚園に無事帰ってきてくれました。おかえりなさい。病気も事故もなく、元気いっぱいの帰園で何よりです。猛暑日の連続が新記録に近づこうとする強烈な自然環境の下で、二学期がスタートしました。先生も含めた大人たちは厳しい暑さの中で少々疲労気味ですが子どもたちはいたって元気、夏休みに体験や経験したことを楽しそうに話してくれました。昔は海へ行ったり、山登りすることが断然多かったのですが今はバーべキューがトレンドになり、又厳しい自然環境を避けて、ディズニーランド、USJ, 万博をはじめプールなどに行った子供たちがたくさん見られました。勿論定番のおじいさん、おばあさんのところに帰省したり、一緒に旅行して、夏を楽しんだ子どもたちも多かったようです。反対に様々な理由で家に留まって、家族と楽しく過ごした子どもたちも勿論それなりに見受けられました。どこで過ごそうとも、どんな経験しようとも、それが子どもたちの血となり、肉となって大きな成長発展に繋がっていくことだと思います。
10年後、20年後あるいは50年後今年の夏休みが鮮明に思い出されることもあるでしょう。さて、全く個人的なことになりますが、コロナが終息して、何年かぶりに4泊の予定で日本を離れました。
93歳の私の最後の叔母(母親の一番下の妹)が日系二世と結婚して、シカゴに住んでいましたが、7月に亡くなりました。
日本では小学校の先生をしていましたが、何か不思議な縁で、60年前に日本に来ていた日系人の清水さんと結ばれました。アメリカに行っても持ち前のバイタリティーと精神力で様々な人種的、金銭的苦労を乗り越え、姉をはじめ、日本からの支援があったにせよ、飛び級の娘を立派にハーバード大学を卒業させ、ニューヨークやカリフォルニアの弁護士資格を習得させました。葬式は謙虚で質素なものでしたが、シカゴ郊外の広大な墓地の一角に夫婦二人の名前を刻んだ小さな墓石を立て、アメリカ市民として、永遠の眠りについたのでした。堺で生まれた叔母が遠い、遠いシカゴの地を最終目的地に選んだのも何かの宿命だったのでしょう。
丁度同じ時に同じシカゴには呼吸器外科博士研究員として、ノースウエスタン大学に息子が派遣されていました。叔母の葬式と久しぶりに彼に会う目的で、11時間かけて、シカゴに到着しました。日本の暑さとは少しかけ離れた心地よい夏の気候でした。ミシガン湖に面したアメリカ第三の都会シカゴは湖上から見ると、N.Y.のマンハッタンと同じように見えたものです。休みには周辺の田舎町から沢山の人がこの町を訪れていました。
シカゴはそれなりに大きいのですが、何よりもびっくりしたのはノースウエスタン大学、Northwestern University、(実は私もどのレベルの大学かはっきりわからなかった。)の医学部や病院に行った時でした。御多分に漏れず私立大学で、USA政府からは100億円以上の補助金を受けているそうです。街の真ん中に位置するその医学部や病院の大きさ、清潔さ、ごみ一つない環境、日本の国立大学病院を3つか4つ合わせたような規模、まさにアメリカであった。
その大学から手当をもらっているそうだが、家賃や4人家族の子供の教育費、物価の高さを考えると、結構厳しい生活だそうだ。30代半ばの息子にとってはアメリカでの研究生活は人生の貴重な経験になればと思う。
それにしてもシカゴで重なる二つの出来事、そして私も又55年前の大阪万博は海外駐在で見られなかったこと、そして今彼は大阪万博も同じような理由で見ることはできない。人生にはいろいろな偶然がよくあるものだ。これからどのように活躍の輪を拡げていくのか又人生を切り開いていくのか私にはわからない。自分で自分の道を選択し、それに向かって努力してほしいと同時に、この世界に生まれた感謝を考え、世の中のために何らかの貢献を果たしてもらいたいものだ。誠に個人的なことを書いて恐縮です。さて、この二学期は様々な行事が目白押しです。健康に気を付けて、安全安心をモットーに、充実した日々を子どもたちと一緒になって過ごしてまいります。どうぞご期待ください。9月、SEPTEMBER、 ロマン薫る魅力にあふれた麗しの月、いざ出帆です。

理事長