2012年12月1日 美木多 幼稚園

健やかに、元気いっぱい
ー12月のことばー

 

春に命を与えられた生命体が燃え尽きる前に、今までで一番艶やかな姿を見せる、そんな例えが全くふさわしいように、どんな形容詞を使っても表現できないような、筆舌しがたい美しさを、「もうこの世に何も思い残すことはない」という吹っ切れた思いで私たちに表現している、そんな真っ赤に色づいたモミジの対生の葉、カエルの手に似ているからカエデとは少し興ざめだが、燃えるような朱に染まった赤色は凛とした姿で、官能的な艶やかさで、私たちに迫ってくる。特に明るい太陽越しに見るその姿と色はこの世のものと思えない程の美しさだ。その美と紅葉を求めて何種類か庭に植えてみたが、「美人薄命」ではないが、結構育てるのが難しい。私たちは自然の中で、自然界の掟に従って生かされている。中国の「愚公、山を移す」や大分県の「青の洞門」、そして近年山々を切り崩して造成した宅地や工業用地、それらは地球の表面のほんの超些細な点を触らしてもらっているにすぎない。自然に対抗して人が考案した自然界ではありえない直線も、自然界の大御所である曲線にかなうはずがない。人の体をはじめ、様々な生き物や自然界に存在する物体の優美な曲線やその彩色は私たちが感嘆と驚異の念を持って、ただ茫然と眺めるだけだ。涙の形から自動車をデザインしたイタリアの有名なカーデザイナー、その形や配色から大きなヒントを得ている建築家やファッションデザイナー、物理学者、科学者、哲学者、小説家、枚挙にいとまがないほどの人たちに大きなそして決定的な影響を与えている。自然界に存する物には無駄がない。すべて合理的なものであり、理にかなっている。あるとすれば合理的なものの中に存する余裕であるかもしれない。私たちの色の組み合わせでは決して考えられない配色も自然界では何の違和感もない。それどころかその不思議な色の組み合わせに見とれてしまうことがある。丁度子どもたちが絵を描くときに、大人たちが常識として使う色とは異なって、大胆で不可思議な色の組み合わせをするかのようだ。逆に言えば、子どもたちの本能は自然界そのものであるかもしれない。そんな素晴らしい子どもたちに命を恵んでくださったお母さん達、この子はどんな子に育つのだろう、どんな大人になるのだろうかと、丁度お母さんが今まで育ってきた環境や状況を考えると、日々心配の種が尽きないと思います。私たちの責任はこの子どもたちが健やかに、元気いっぱい、何の恐れや怯えもなく生きていく環境を作ってやることだと考えます。男女共同参画で社会進出して仕事を積極的に続けていくことも大事なことですが、それと同じくらいに家事と育児に励んでおられるのも本当に大切なことだと思います。私たちはたとえ些細な力であっても、いつでも保護者の皆様のお力添えになりたいと考えています。年の始まりが迫った師走、12月、今月も明るい幼稚園を心掛けてまいります。保護者の皆様も2013年が幸多い、明るい年になりますよう心からお祈り申し上げます。