2013年2月1日 美木多 幼稚園

私と歴史
ー2月のことばー

 

高校時代は世界史が大好きであった。と言うよりも漢字を正確に書けなければ、日本史の試験は通らないと言われて、必然の結果であった。当時世界史にも大学入試の難問集があった。ほとんど何の問題も無く解けた。3年の模試では結果が廊下に張り出されたが、世界史では断トツであった。それが他の教科の自信につながった。しかし社会人になって日本史の重要性がますます大きくなった。日本の歴史、ルーツを知ることが大切だと思うようになった。例えばシェクスピア時代の英語、ドン・キホーテ時代のスペイン語が仮に理解できたとしても漢字ばかりの古事記や日本書紀を読めない。NHKの大河ドラマでは散々の悪評であったが、はじめての仮名交じり文の「平家物語」になって、ようやく理解できるようになった。戦記物語というジャンルのせいだろうか。「祇園精舎の鐘の聲、諸行無常の響きあり。娑羅雙樹の花の色、盛者必衰のことはりをあらはす。おごれる人もひさしからず、只春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、偏に風の前の塵に同じ。・・・・
まぢかくは六波羅の入道前の太政大臣平の朝臣清盛公と申し人のありさま、傳承るこそ心も詞も及ばれね。」歴史を知り、先人たちの働きをよく理解し、いかにして日本を日本たらしめたのか、そして今の日本に至ったのか。たくさんヒ―ロが出現したが、その反対側には無念にしてこの世を去って行った幾多の人がいたであろう。そんな大勢の無名の人に助けられて今の私達が存在する。日露、太平洋戦争、有能な人たちの損失は計り知れない。「聞け、わだつみの声」を読むと涙が止まらない。誰もが戦争の悲惨さをよく知っていた。しかし他に選択の余地がなかった。堺ゆかりの与謝野晶子も激しい反戦歌を詠んだ。リベラルの幸徳秋水でさえ、そんな中で兵士に激励の言葉を送った。「行矣従軍の兵士、吾人今や諸君の行を止むるに由なし。諸君今や人を殺さんが為に行く、否ざれば即ち人に殺されんが為に行く。吾人は知る、是れ実に諸君の希ふ所にあらざることを、然れども兵士としての諸君は、単に一個の自動機械也、憐れむ可し諸君は思想の自由を有せざる也、・・諸君の行くは諸君の罪に非ざる也、・・・ 現時の社会制度の罪也。・・吾人諸君と不幸にして此悪制度の下に生るるを如何せん、」比較的自由な立場にいる日本人は国益とは? 愛国心とは? ということについてよく考えねばと思う。昔の通信手段や交通手段も限られた世界では藩が全てであった。藩を出ることは自分を殺すことであり、他の藩は敵になることもあった。それが文明開化と共に大きな単位になり、国家意識が芽生え、国益や愛国心になって行った。国の為に殉じるのが愛国心なのだろうか、国益のために戦うのが愛国心なのだろうか。家の周りや公共の地をきれいにすることも立派な愛国心だと思う。フォークランドで戦ったイギリスのサッチャー首相、石油利権で戦ったブッシュ大統領、フランスのナポレオンやド・ゴール大統領、彼ら全てが強烈な愛国者なのだろうか。ミサイルの名前にもなっている愛国者、私達は自分の国を愛するのは当然の義務であり、その為に一生懸命働くのは自明の理だが、それはこれから生まれる子どもたちの幸せのために取っておきたい言葉であるのかもしれない。