庭の一輪の清楚な白い梅の花がいつの間にか仲間を増やして、三分咲きになり、それが七分になって、満開になった。いよいよ弥生三月の到来です。長い眠りから目を覚まし、命の活動を始めました。少しは例外があるとしても、異常気象には関係なく、ほぼ決められた季節にそれぞれの樹木はそれぞれにふさわしい装いをまとっておめかしをする。樹木や花々は私たちを裏切ることなくその季節が来たことを知らせてくれる。人間だったら体内時計、植物だったら何というのだろうか。様々な事象を見せられ、意識するにつれて、私たちは本当に自然の中で生きる、生かされているちっぽけな存在だという事を痛感させられる。ある人が出てきて、様々なことを行い、暴論や強い口調を繰り返して脚光を浴びても、所詮それはコップの中の小さな争いや揉め事、自然の輪廻の流れには逆らうことはできない。そんな自然に生かされて 12か月目、三月、一年の節目を迎えました。生活音楽発表会の時にも、思いを述べさせていただきましたが、本当に一年間の子どもたちの成長にはすごいものがあります。あんなこと、こんなことが言えなかった、あるいはできなかった事、それが大人の想像を超えるくらいの速さで次々と達成していく。その発言にはまだまだ幼さが残ると言え、大人顔負けの口調や話し方、内容になったりする。又行動面においても、優しさや指導性、協調性を発揮し始めてきた。最近よく言われる非認知能力がますます身についてきた。年長さんはいよいよ卒園、巣立ちの時がやってきました。幼稚園で学んだこと、遊んだこと、一生懸命練習したこと、遠足に行き、田畑に出かけたこと、山に登ったこと、楽しかったこと、しんどかったこと、涙を流したこと、友達になったこと、様々なことを幼稚園で身に着けました。皆さんは立派に随分大きく成長しました。もうどこの小学校に行っても、誰にも負けることはありません。誰とでも友達になって、うまく小学校生活を送ることができます。今、文科省では小学校と幼稚園との架け橋教育のことが盛んに言われ始めました。幼稚園で最高の教育を受けた子どもたちが小学校の一番低学年になっても、様々な面で、うまく乗り切っていくことができるように小学校と幼稚園が今まで以上に連携を密にしてその能力を高めていきます。卒園児の皆さんは幼稚園の在園生活で、今の年齢以上のことを学び、経験しました。正々堂々と自信をもって小学校の門をくぐってください。年少年中の皆さん、「三つ子の魂百まで」の諺通り、皆さんの人生の根幹部分は幼稚園生活で十分会得したと思いますが、残りの年中年長でそれをより完璧なもの、充実したものにしていくと同時に、今まで以上に認知能力だけでなく、友達をたくさん作ったり、何事にも意欲的に取り組んだりして、非認知能力も高め、幼稚園生活を一緒に楽しみましょう。最近読んだ本や新聞から次の文章が気になりました。「子供の頃の楽しい思い出など何一つない。思い出したくないことばかりだった。それに対して、今このように命があって、生かされているということは、あなたに誰かが寄り添ってくれていた何よりの証拠です。人は一人では絶対に生きていけないのです。一人ひとりの命は無数の縁によって育まれたものです。そう考えれば決して命を軽んじたり、無駄にしたりすることはできません」又アメリカの有名人、デービークロケットの言葉「私の判決は一度も控訴されなかったし、仮に控訴されたとしても、覆されることはなかった。なぜなら、常識の正義と人間同士の誠実という原則に基づいて判決を下したものであり、又人間本来の判断力を信頼し、法の知識を信頼しなかった。私は生まれてこのかた法律の本など一ページでも読んだことはない」若干の極論と思えなくもないのですが。