2012年5月

賢明な決断

 青い実が年を越えると急速に真っ赤に色づくクロガネモチ(略称モチの木)、関西以西の地で庭の主木や街路樹として広く一般に植えられている。その赤い実をめがけてヒヨドリが押し寄せ、一瞬のうちに実がなくなり、新芽の出る準備をする。因みにこの木は鳥が来る、鳥が入る、なまってトリイル、そこから派生して物が入る、財が増えるということで縁起の良い木とされている。それが今年は何かおかしい。葉をすべて落としたモチの木は赤い実がそのまま残り満開の状態だ。ヒヨドリが来ない。いつもピーピーと鳴いていた大柄のその鳥が一向に姿を見せない。素人なりに考えることがあった。赤い実を食べるヒヨドリの天敵はカラス、そしてカラスの天敵のトンビはほとんど消えてしまった。今やカラスは傍若無人、昨年は家に来ていたツバメの巣も壊し、中の卵も食べてしまった。カラスに個人的な恨みや憎しみはないが、自然の輪廻の輪を壊されるのは残念で仕方がない。この小鳥たちの小さな変化がこれからの大きな変化につながっていく。昔から続いてきた様々な連鎖の世界を壊したのも、この小鳥の世界での出来事と同じ、環境の変化や公害を生み出した人間だろうか。今原子力発電の再稼働が大きな焦点となって人々の話題になっている。10年以上も前にこの園便りで人に聞いたことを少し書いたことがあった。それは当時電力会社と密接に関係のあった大企業の幹部社員で私の高校時代の同級生が言った言葉「原子力に限らず全てのことで、人間のすることに絶対安全はない。人間は誤りを犯すものだ。」ということであった。又当時原子力発電所には電力会社の正規の職員がほとんど常駐せず、大部分は下請け企業の社員であるとも言った。現在のことは知らない。今は安全、安心であるかもわからない、しかし20年、30年以上生まれ故郷へ帰ることができない人々の心情や放射能の子どもに与える影響の恐ろしさを思うと何とも言えない気持ちにさせられる。反対に今はそんな心情を持たれるとしても、時がたてば、原発バブルとか、補償成金といった色目でみられたり、揶揄されたりするかもしれない。原発に賛成、反対であれ、あとからやってくる子孫や次世代の人たちに賢明な結論であったと言われるようにしなければいけない。戦争を持ち出すのは気が引けるが先祖の人々はある意味無謀な戦いに挑み、300万人以上の同朋が生命を落とした。しかしその後艱難辛苦に耐え、世界に尊敬される国になった。日本人は耐えることもできるし、新しいことにも挑戦できる優秀な民族、一時的な迷いがあっても長い目で見れば良い方向に進むことができる人たちだと思う。あとからくる子孫に拍手喝采され、喜ばれる決断をしていかなければいけない。幼稚園の小さな幼子たちを見るにつけ、その思いは募ってくる。この子供たちは立派に大人に成長し、命の終わりが来るまで人生をしっかり享受することを願ってやまない。「うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川・・・・」昔の童謡が頭から離れない。昔熊取町に住んでいた女性の先生がいた。ある時、熊取町の原子炉のことが話題になった。そのときそれまで黙っていた女性は急に立ち上がり、「私たちは身近に原子炉があることを忘れよう、忘れようと思って過ごしている。それを今更思い出させるような話には強い怒りを感じる。」と言った。原子力は安全、安心と宣言されたが事故のない時にも近くに住んでいる人々の心境は複雑だった。原子力発電所はなぜ電力消費地から遠く離れた電気を送るにも効率の悪い地域に立地しているのだろうか。職住近接ではないが、発電職住近接ではないのだろうか。安全地帯に身を置いて是非を判断するのは少しエゴイズムでないのだろうか。その女性は強く私たちに問いかけた。今、赤やピンク、白のハナミズキが満開、人通りの多い地に咲いた花はその美しさを大いに称賛されるが、人の目に触れない場所でもその存在を誇示するかのように艶やかさを見せている。時には人の評価に左右されずに自分の意見を主張する大切さを暗示しているのかも。

モチの木

青い実が年を越えると急速に真っ赤に色づくクロガネモチ(略称モチの木)、関西以西の地で庭の主木や街路樹として広く一般に植えられている。その赤い実をめがけてヒヨドリが押し寄せ、一瞬のうちに実がなくなり、新芽の出る準備をする。因みにこの木は鳥が来る、鳥が入る、なまってトリイル、そこから派生して物が入る、財が増えるということで縁起の良い木とされている