大阪府堺市南区鴨谷台の大自然に抱かれて、のびのび保育 学校法人 鴨谷学園 美木多幼稚園





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2015年6月


 その地は思ったよりも近かった。 JAL2465便は日照時間が日本一短いその島に向かって高度を徐々に落としていった。珍しく空が晴れ渡っていた。その瞬間、本土とは又違った風景が目に飛び込んできた。青い空、それを映し出す澄み切った海面、岩場の続く海岸、そして南の島特有の樹木、大阪を離陸して1時間30分、鹿児島の南をかすめて、ボーイング737は少し荒っぽいながらも鹿児島県の奄美空港に無事着地した。空港の外はレンタカーの事務所以外何もなかった。大阪と比較するとやはり熱い。奄美大島も数奇な運命の島であった。1000年以上前から日本の古文書に日本の島と明記され、交流が盛んであった。その後時代が進み、中国、韓国との中継貿易地として、それなりに栄えた。しかし日本が戦争に明け暮れた戦国時代に勢力を通り戻した琉球王国によって、その支配下に置かれた。島にはその時の面影や文化が残され、今に続くものもある。その後江戸幕府の命を受けた薩摩島津藩によって奄美群島が次々と日本の軍門に下り、その勢いで、琉球王国までもが日本の支配下になった。エアポートには小さな旅客機も翼を休めていた。聞くと近くの島々(喜界島、徳之島、沖永良部島、与論島等)に飛ぶ定期便であった。ここから鹿児島にも福岡にも那覇にも東京にも飛んでいた。4万人余りの佐渡に次いで2番目に大きい奄美大島にとっては外の世界への貴重な交通手段なのだろう。奄美にも戦前本土防衛の為に重要な軍事基地が存在したが、沖縄ほど過酷な戦闘に巻き込まれることもなく、ほぼ無傷のまま戦後を迎えた。しかし戦後は一転アメリカに占領され、Northern islands of Ryukyuと言われて日本の主権を否定されそうになった。米軍下の奄美は様々な規制や制約があって、人々の生活は困窮を極め、日本復帰への運動が盛り上がっていった。そして1953年(昭和28年)12月25日、アメリカはその統治をあきらめ、奄美の日本復帰が実現した。その時アメリカのクリスマスプレゼントとも言われた。飛行場の近くに奄美パークがあった。田中一村の美術館があったので、入場した。一村は奄美の人の紹介で私がその名前を知った画家であった。人生の後半を奄美で送ったことがこの島と一村を結びつけたのだろう。独特な画法、繊細な筆致、奄美特有の樹木や鳥を描いたその画風、十分一見に値するものであった。軸を二つ所有しているが、そのスケールの雄大さと筆致の素晴らしから見ると、同じ作者の物と思えないほどだ。奄美大島の中心地、名瀬までレンタカーで小一時間かかった。道路は整備されているが、上り、下り、ワインディングやトンネルも多かった。名瀬の町に出るほんの少し前のトンネルは長く大きかったが、その片一方には広い通学路が整備され、暗い中、中高生たちが一人であるいはグループで自転車をこいでいる姿が印象的であった。日本の他の町と同じように、昔、人でにぎわったと思われる繁華街の屋仁川通りで食事を摂ったが、混雑してもよい夜の7時頃でも人気が殆どなく、さみしい感じであった。食材は豊富で安かったが、奄美特有の甘い調味料には慣れが必要であった。奄美は今もがいている。伝統の大島紬は韓国に生産を移管したせいか、売り上げが最盛期の30分の一に落ち、その他の農産物も黒砂糖が中心であるが、最近魚の養殖でも生産額が伸びているそうだ。街で見かけた中高生も大阪の彼らと変わらない。店の前でたむろし、学校には各地の大会への参加のバナーが掛けられているのもそっくりだ。奄美は兵庫県の尼崎と最初の一字の読みは同じ、あましんと書いていたので尼崎の信用金庫がここまで来ているのかと思ったほどだ。同じように奄美高校はアマコー(奄校→尼校)あと一つの高校は大島高校(ダイコー)だそうだ。もう一つ特記したいこと、それはマングローブの森があること。マングローブという名前が付いた植物があるわけでなく、熱帯や亜熱帯地域の河口まで満潮になると海水が満ちてくるところに生えている植物をまとめてマングローブと言うのだそうだ。奄美のマングローブはその中でも比較的大規模、一人乗りのカヌーに、ライフベストを付けて出発です。リーダーに先導されての1時間のマングローブカヌーツアーは結構疲れるが、根が浮き上がった植物を見たり、水深が非常に浅いためにいろいろな生き物を観察できて、いい記念であった。帰りの飛行機に乗る前に少し北部の土盛の海岸に行った。水はあくまで、そしてどこまでも澄み、サラサラの砂浜がはるか遠くまで続いていた。ただ、海岸で泳いでいても沖に流される可能性があると書いていたのが気になった。昔、アメリカの真ん中の田舎でニューヨークに行ったことがありますかと聞くとその数は少なかった。同じように外国人の観光客は知っているけれどもそこに住んでいる日本人がまだ知らない良いところが日本にはまだまだ残されている、そんな思いが一杯の奄美への一泊の旅であった。水無月、6月、今月中旬よりプールが始まります。水に親しみ、水に慣れるをテーマに安心、安全、楽しい保育を目指していきます。

奄美大島

マングローブ

田中一村

田中一村 絵画



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